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ラーメン二郎

東京都立川市の公認会計士・税理士の金森俊亮です。会計事務所を経営しています。
私はジロリアンというほどでもないのですが、ラーメン二郎が好きです。本日の記事では、私の二郎系の思い出をとりとめもなく書いてみようと思います。


二郎系ラーメンとの出会い

私が、二郎系ラーメンと初めて出会ったのは、2001年になります。
私の高校は都立石神井高校というとこで、西武新宿線の武蔵関というところにありました。2001年に入学して、まもなく、高校の近くに1軒のラーメン屋がオープンします。「いごっそう」というラーメン屋です。
ここは、ラーメン二郎の三田本店で名物助手だった方が独立して、立ち上げたお店で、独自色もありつつ、二郎に近いラーメンを出すお店でした。
ここで初めて食べたのが、二郎との出会いでした。なお、初めて食べた日のことは覚えています。お昼に食べ、その後部活(野球部)だったのですが、非常にキツかったです。

初めての直系

初めて直系で食べたのは、池袋だったと思います。高校の同級生はいごっそうが好きな人も多く、店主が修行していたお店ということで二郎を認識して教えてくれました。そこで池袋に一緒に食べに行こうとなった記憶があります。

直系二郎が増え始め、通うように。

2000年代の中盤から後半にかけて、直系二郎が増加し始めました。ちょうど大学生の時期です。
私は、西武池袋線沿いに住んでいて、その頃に「ひばりヶ丘」と「桜台」がオープンしました。
この二つの二郎はよくお世話になっていました。また、大学も水道橋だったため、神保町店も毎週水曜日に行っていました。
会計士試験を勉強していた時は、大原池袋校に通い、毎週金曜日の夜はご褒美として桜台店に行っていたのを覚えています。
他には、池袋で勉強をしていたので、今は亡き富士丸「要町店」によく行ったのも覚えています。富士丸の衝撃もすごかったです。

働き始めてから徐々に遠のく

働き始めてからは、やはりニオイの観点から、徐々に遠のいていきました。
こればっかりは仕方ないですね。
事務勤の日に行ったりとかはありましたが、中々に行ける機会はありませんでした。クライアント先に伺うことが多いので、ニンニク臭を漂わせていくことはできないですから。

立川に来てから

立川に引っ越してからは、立川店が近所になりました。また、立川には立川マシマシという有名なインスパイア店の本店もあります。
二郎環境は良くなりました。特にマシマシは遅い時間までやっていて、麺を豆腐にすることもできたりと、よく利用させていただきました。
2020年になると、コロナ禍にもなり、在宅勤務が増えました。そのため、少し早めに家を出て立川二郎に行くことも多かったです。
ただし、立川二郎も2020年6月頃から長期休養に入ってしまいました。再開されたのが2023年で3年近く休養(店主も変わった)になったので、中々、行けなかったのが正直なところです。独立してからマシマシも少し足が遠のいています。
先日、立川二郎が再開後、初めて行きました。また徐々に行きたいなと思っています。

久しぶりの二郎は美味しかった

最後に

気づいたら、二郎系と出会ってからすでに23年の月日が経ったのだなと思います。本当に早いものです。三田には全く関係のない人間ですが、いろいろな出会い方があるのだなと思います。
食べると、結構きつくもなってきているので、年齢を感じますが、今後もほどほどに楽しんでいけば良いのかなと思っています。

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