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留学に行くことの本質的な価値【前編】

大学生、可能であれば高校生のうちに海外に行くという選択肢を1人でも多くの人に持ってもらえればと思っているのですが、そもそも留学の価値とはなんなのか、深掘りして考えています。

一言で言えば、と言いたいところなのですが、これがまた難しい。一言で言うとどうしても月並みな表現になってしまうのです。

自分なりの表現でいうと、

⑴多様な価値観を受容するという土壌ができる。⑵一次情報として現地を肌で感じ、経験することで、自分事として考えられるようになる

などではないかと考えています。

またもやどうしても抽象的な話になってしまいそうですが、出来るだけ自分の経験も添えつつ具体的に書いていきたいと思います。


ではまず、

多様な価値観を受容するとはどいいうことか。

それは、自分と違うものをいったんありのまま受け入れることだと考えています。つまり良し悪しの「判断」は置いておくということです。これは結構難しいもので、どうしても自分の物差し基準に、相手を無意識に判断してしまいがちです。目の前にいる人は自分と違うの物差しを持っているので、全く同じ価値観を持っていると考えること自体不自然な話です。

ベトナムの方と仕事をした際のことを例に挙げます。ベトナムは儒教の文化の影響もあり、日本以上に年齢による上下関係が厳格であります。どれだけ親しくなったとしても、年上の方に対する礼儀、リスペクトが必要です。これを怠るといっきに信頼を失ってしまう場合もあります。

また、ベトナムの方は家族を大切する傾向が強く、ある社員の方が、家族の用事を理由に当日仕事を欠席する場面がありました。もちろんベトナム人皆がそうと言っているわけではありません。そういう場面がありました、というだけの話です。

ここでもし、「私用のために仕事を休むなんてけしからん!」という次元で非難している場合、それは自国の文化の物差しでしかみていないということです。決して分かり合えることはないでしょう。

もちろん円滑な業務を行うために、最低限のルールを決めておくことは必要かもしれません。しかし相手の文化やバックグラウンドから生まれる価値観を見れば、それが彼らにとっては普通であるということはよくあります。なるほどそういう価値観なのだな、自分たちとは違うのだな、という視点が必要で、それを踏まえてどのようにお互い気持ちよく成果を出していくかを考えることが求められるのです。

しつこいようですが誤解を招かないようにいうと、ベトナム人を一括りにしてそういう民族だと言っているわけではなく、また勤務態度を嘆いているわけでもありません。

良い悪いの「判断」をしていないのがポイントです。

良し悪しでものを見たときに起こるのはコンフリクトです。

へえ、なるほどそうなのか。ならばどうしていくことがベストか。
という思考です。


以上の事例は、国も文化も大きく違う例ではありましたが、これは身近な日本人同士においても同じことが言えるのではないでしょうか。

日本の学校教育は、基本的に同質性と協調性を是としているため、国民は概ね同じ価値観を共有しています。製造業を中心とした今までの社会構造では皆が同じ価値観を共有していた方が都合が良かったのです。

しかしこれからの時代はそうではないと私は考えています。「グローバル化」や「イノベーション」という言葉は盛んに言われていますが、同じ日本人で協働する場合も、むしろ多様な価値観を尊重・統合して成果を出すことが重要になるのです。

多様な価値観をありのままに受け入れる土壌を持つためのひとつの有用な選択肢として、やはり留学は価値が高いと思います。

それも、なるべく真反対の文化、自分の既存の価値観が大きく揺るがされるような経験が、多様な価値観を受容する土壌を築くためのもっとも近道であると私は確信しています。

自分と異なる価値観にぶち当たった時、なぜ相手はそう考えるのか、何が自分と違うのか、何が共通なのか、自分の価値観の根拠はどこにあるのか、という視点が、留学を通じて身についたと思っています。


まとめ。

グローバル化、イノベーションが求められる時代には、同一の価値観ではなく多様な価値観を統合することが必要。
「多様な価値観を受容する」ためには、自他の物差しの違いを受け入れ、判断を後に置きありのままに受け入れることが肝要。
その土壌を築くためには留学はひとつの選択肢として有用。


【後編】では⑵一次情報として現地を肌で感じ、経験することで、自分事として考えられるようになる
ということについて書いていきます。


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