引き算のできない私たち は、自己への自信のなさからくるのでは。 足し続けることで安心してしまう。
裏垢なんて作るつもりも無かったけど、誰も聞いてないところに毒も吐きたくなるよなあ。 ほんと。色々うっすら腹立つ。
最近読んでるのが 「恋は雨上がりのように」 自分がもうそろそろ40だから響くのか。 しかし、アラフィフの冴えないおっさんを好きな女子高生、との純愛、 なんて、なんだかスピリッツの購読層のマーケティングによって描かれたんじゃないの。。 と下衆の勘繰りしてしまう。 すみません。 お話も絵もとても好きなんですが、 勘繰りしてしまうほど色々刺さるんでしょう。 そしてもうひとつが 「あなたのことはそれほど」 ほんと、、 二つのマンガ。なんとも言えん。 情けないほど、ロマンチス
人に気軽にけしかけるのはよくない、、 のかも知れんが、 やっぱりけしかけないと何も動かないわけで。 うごきはじめたからこそ、 摩擦や軋轢が生じるくらいの質量や熱量があるわけで。 全部が自由というわけにはいかないよねえ。 「共同経営はアカン」という言葉もとても響くなあ。だからこそ、主従を最後には曖昧にできない。 その主従を振りかざさずに済むのが一番いいが、どうしても振りかざさないといけない時、、その時ってどやって判断したらいいんでしょう。周りの風評と、実態は必ずしも相関
先日、通ってるゼミで発表された内容が「山岳信仰」 だった。 山伏は、苦行を経て「入我我入」を目指す。 「入我我入」とは、 大日如来が、我に入り、 我が大日如来に入った状態を示すらしい。 日本、もしかしたら東アジア的感性は、 「目に見えるものも自分の一部であり、私も目に見えるものの一部である」 という所に特異性があるのかもしれない。 日本の歌(和歌)なんかは、よく木や山や花々と自分を重ね合わせる。 自然農法、と呼ばれる農法について語っていたら、 ある人から怒られた。
冷たい頬に。ハマるなあ。 「あなたの事を 深く愛せるかしら」 彼女が去ったのは、 明確な理由があり、自分が至らなかったのだ。 と思いたいが 所詮、ただの片想いで 彼女は俺を好きになれなかっただけなのかもしれないな。
「年末、『ガキ使』みました?」 年始にシェアハウスに同居している若人に聞かれた。 「笑ってはいけない」をいつから面白く無いなーもう。と思ったのか。 多分、竹刀からビニールバットに変わった時だと思う。すっかり緊張感が無くなった。やっぱり吹き矢の頃が最高に面白かった。皆笑いたく無くて必死だった。そのくらい吹き矢が痛かったんだと思う。 最近、その若人がネット動画で「ドキュメンタル」を見せてくれた。 芸人各人が100万円を持ち寄って、10人。密室で笑わせあって、最後まで笑わな
軽はずみだった自分が羨ましくなるほどに。 って正にだなー。 無責任でお気楽だった自分に戻れるなら楽なのになあ。
先日、友人知人と食事に出かけた。 その時にでた話題。 周囲からも「過剰だ」と咎められるほどに、甥っ子に愛情を注いだ女性が、先日その甥と食事に出かけた際に、「叔母は気前がいい人」と言われて、今までの思いが、ガラガラと音を立てて崩れた。だからもういい。と話していた。 私は、「気前がいい」という言葉は人間を評する上でかなり上位の褒め言葉と捉えている。 フラれてしまった彼女とお付き合いが始まったばかりの頃、「どこがいいの?」と聞かれたので、 「美人で気前がいい」と答えたら、 後