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2人の後輩


東京学芸大学蹴球部卒業ダイアリー2021
連日素晴らしいブログが更新されています。

一つ下の代の選手達は選手時代もコーチとしての今年一年も非常に濃く関わった選手・スタッフが多いので読んでいて非常に感慨深くなります。

嬉しいことに高校からの後輩が卒業ダイアリーに自分の事を触れてくれました。

「I’LL BE」 4年 山岡廉|東京学芸大学蹴球部  “紫志尊々” @gakugei_soccer #note
https://note.com/tgusoccer/n/n4daceb3b8483

「想いの強さ」 4年 佐藤創太|東京学芸大学蹴球部  “紫志尊々” @gakugei_soccer #note
https://note.com/tgusoccer/n/n4e950a4ab9e5



2人と自分の関係は高校時代からの後輩にあたり、
高校時代から部活や学校生活で苦楽を共にしてきた仲間でした。

自分が大学に合格したときに人一倍喜んでくれた2人でもあり、2人が合格しまた生活を共に出来る事が決まった時には本当に嬉しかったのを覚えています。

そうたに関しては高校時代は試合に出始めたタイミングも同じ時期で、ほとんどの試合をCBとGKで出場し、何度も怒鳴られながら乗り越えた思い出が沢山あります。

山岡はお互い生徒会も頑張っていたので学校生活でも濃い付き合いをしていた仲でした。


自分の東京生活を語る上でなくてはならない2人。
2人とも卒業ダイアリーで何度も自分の事を挙げてくれました。

2人のダイアリーを読んでいると高校時代にあった事や自分が大学一年生の頃の事など本当に蘇ってきます。


2人が学芸のオープンキャンパスに来た時のこと。
「絶対ここに入りますわ!」
と目をキラキラさせていたのが本当に最近に思います。月日が経つのは早いです。

ちょうど時期的に学祭シーズンだったので南高祭の事について聞くとなんだかそうたが申し訳なさそうに
「自分が実行委員長です」
と答えていた事も鮮明に覚えています。

そうたのダイアリーの中にあった「自分から道を閉ざした」話。
あの時の申し訳なさそうな表情で辞める選択をした自分を受け入れられていないんだなぁとは感じていました。
やりきれない想いがあった中でサッカー人生を終えてほしくないし、そして単純にまた一緒にサッカーがしたいし、チームの中での居心地も創太がいてくれるだけで本当に良くなるとも思っていたし。
センター試験後あたりに
「また一緒にサッカーがしたいよ」
と連絡を入れた時に
「もちろん入ります!」のような返事は貰えなかったのも覚えてます。

是が非でも蹴球部に入れたかったので、大学選抜の日韓戦での菊池流帆選手のヘディングの動画などを送りつけたりしてなんとかサッカーをする気持ちにさせようと僕は必死でした。


そしてもう1人の後輩山岡は、正直言わせてもらうとオープンキャンパス時の話を聞くと本当に学芸に来るとは思っていませんでした。
たしか「今から成績伸びればワンチャンっすかね〜」
みたいな事を言っていた気がします。


それでも努力をしたのか日頃の行いが良かったのかわかりませんがセンター試験で結果を残し、二次試験は学芸を受けるとの連絡が。
そして二次試験の前日に岩田家に泊まるという笑
あの日食べた俵飯は美味しかったな〜
帰って次の日に向けて一生懸命勉強している山岡の横で普通に自分は先に寝てた事も覚えてますし、
自分は入試補助で先に学校に入っていて忘れ物を取りに帰った時に入試に向かう山岡とすれ違った時の、ど緊張している山岡の表情も忘れられません。

入試を終えた2人が岩田家でウイイレをしている様子を見て「大丈夫そうだな」と思ったと思います。
(あるDVDがプレステの中に入っていてそれを入試前に見たら終わりだと言っていた話も面白かったので覚えています)

そんな山岡は「大学入ったらサークルでサッカーですかね〜」みたいな事を言っていました。
あんなに熱い漢をこちらの組織に入れずには勿体無いと思い、学連の誘いをしました。(半分ノリ、半分は実際に人を必要としていて彼はそういう立ち位置にいるのが向いているかなと思っていた)

おそらく何も考えていなかったし、何の話かわからなくてきいていたと思いますがほぼ二つ返事で「楽しそうっすね、やりますよ!」と言ってくれて山岡もまた同じ組織で活動出来ることになった。

多くの人が卒業ダイアリーで触れている入部前の中央大学との関東リーグ開幕戦。山岡だけもうすでに学連の立ち位置にいた事は今考えても可笑しいし面白い。



そんなこんなで高校時代からコーチ時代の今年を含めて6年目の付き合いとなりますが、やはり2人といると落ち着きます。自分の居場所がある感じがするんですね。
創太がダイアリーで嬉しい事を書いてくれてました。

岩さんがすぐそばにいてくれたおかげで、僕は安心して自分を表現することが出来ていました。

こんなに嬉しい表現はありません。
そしてこれに関しては本当に自分もです。
創太が来る前は特に「熱い人」とか言われた事なかったし、なんなら孤独感でしんどい一年目でしたから自分こそ創太がいてくれたからこそ自分らしさを表現できた大学サッカーだったのかなと思います。

毎試合会場に山岡がいる事や、自分が主務の仕事をする時に学連に山岡がいる事でちょっとしたミスを沢山カバーしてもらえたから自分も主務として仕事を全うできた4年間でもありました。とりあえず何かあれば頼れば何とかしてくれるっしょという安心感で何とか仕事をやり遂げられました(何点マネポを守ってくれたかわかりません)


つらつら書いていて結局何が言いたいのかわからなくなってしまいましたが個人的なブログですのでおっけーという事で。

2人はそれぞれの進路に進むことになります。
でもいつも3人で集まって話すことは将来の山形の事。

まあ途中で路線が変わるかもしれませんし他にやりたい事が出来るかもしれません。

それでも何年か後には、みんな結局山形に帰って山形の為に考えて、山形の為に働くのかな〜とは思っています。

本当に2人の4年間を間近で見ることが出来て楽しかったし、沢山支えてもらった東京生活でした。
いつも刺激し合って本当の意味での意見交換が出来る(多少気を遣ってもらった事も多いかもしれないが)家族のような存在がいてくれて感謝しかありません。
これからの山南産学芸トリオにも注目していただけたらと思います。注目していただけるような存在になります。


#山形南  #東京学芸大学 #蹴球部


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