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ヒロシマの「被爆樹木」を毎年撮影する動機について

被爆樹木を撮影する動機について良く尋ねられる。

それは、2011年「東日本大震災によって起きた福島第一原発の事故を受け、「原子力」についてリアルに考える機会が生じ、その第1歩としてヒロシマに行く事が必要だと感じたから」と答えている。

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そして2012年の夏、思い立った様にヒロシマに向かった。

はじめに訪れたのは原爆ドーム。

原爆ドームの前に立つと、頭を鈍器で殴られたような衝撃が走った。 その場に立ち尽くし動けなくなった。しばらくしてベンチに腰掛け、 原爆ドームをボーっと眺めた。 多くの観光客が原爆ドームを背景に写真を撮っていた。
私もファインダーを覗いて写真を撮ろうとしたが、躊躇われた。


ファインダーの先の時間が「死んでいる」様に感じられ、その時間を止める事に抵抗感があった。
同時に、柵の向こうのそこは、生きている者が決して立ち入る事ができないようなバリアを感じた。

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次に、平和記念資料館に訪れ、様々な展示物を観た。

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一番強く印象に残っているのは「人影の石」。
銀行の開店を待っていた人が、原爆の閃光を受けて大火傷を負い、逃げる事も出来ないままその場で命を落とした。強烈な熱線で周りの石段の表面が白くなり、その人がいた部分は黒くなって残ったという。
それを観たとき、私は、その方の冥福を祈るとともに、原爆はとても恐ろしい「写真」を撮ったのだとも感じた。

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館内を一周し、館を出た頃は夕刻にも関わらず、空がとても青く高く感じられた。

また白い道が一直線にその高い高い空に伸びている様なイメージが自分の中に入ってきた。

大きな疲労感を感じ、なんとか休憩所にたどり着いた。

その休憩所のラックに、「被爆樹木マップ」があった。


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それを手に一番近い被爆樹木を訪ねた。

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幹にはプレートがかけられていて被爆樹木の説明があった。

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幹や枝葉に触れた時、この木が生きている事への驚きと感謝の念が溢れてきた。


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同時に、「1945年8月6日8:15」は、「過去」ではなく、「現在進行形」の時間である事を実感した。

共に同じ時間を生きているこの木の存在は、私にそれを教えてくれた。

私はその木の「今いきている時間そのもの」を写しとりたいと思った。

これまでの感光紙によるフォトグラムの制作約10年の制作が、被爆樹木に出会う事でひとつの大きな転換を迎えた。

感光紙に被爆樹木の影を写すと、風にそよぐ枝葉がまるで「呼吸」しているように感じられた。



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小学校の時に国語の時間に習った、ちぃちゃんの影おくり。

影は死をイメージするものである中、生きている被爆樹木の時間の影を記録することで、影を生きるイメージとしてみることは出来ないか。

写真の表現における、ネガとポジのように、反転し、観る人が死と生のどちらか一方ではなく、その両極を行き来するイメージを生み出す作品はつくれないだろうか。


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(被爆建物旧日本銀行広島支店での個展2015年)

この樹木の生きている時間を直接感光紙に焼き付け記録することで生まれた作品を通して、「今」について感じ、考え、対話できる時間となれば嬉しい。


2012年から継続して制作し『呼吸する影』。
今後も制作を継続したい。

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『8:15 8/6 2014』

2014年8月6日8:15に被爆樹木シダレヤナギの時間を撮影した作品。



●関連リンク

【アートは、「コンセプト」を「身体」にする】

2019年、8年目のヒロシマでの制作を経て感じたこと。



⚫︎写真作家・造形ワークショップデザイナー ・キュレーター・「時間」と「記憶」をテーマに制作。2012年〜ヒロシマの被爆樹木をフォトグラムで作品制作 ●中之条ビエンナーレ2019参加アーティスト ●さいたま国際芸術祭2020 市民プロジェクトコーディネーター