現在の青図2017_中之条ビエンナーレ2

「縄文から平成の人々の営みの時間を写す」カメラを使わない写真フォトグラムで表現

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●フォトグラムについて

 筆者はものを直接、感光面に置き一定の太陽光を当てることで写真を制作している。筆者にとって写真は「日焼け」である。感光面に当たる光とものがつくる影の差で像を得る。海水浴に出かけた時に海水パンツの跡が身体に写るそれは、筆者にとって最も身体性を感じる写真の一つである。カメラを用いず写真を制作する方法をフォトグラムという。


●中之条ビエンナーレ2017で試みた制作

中之条町で出会った1996年に公開された『眠る男』という映画と、この地で出土する縄文土器の数々にインスピレーションを受け、作品制作を行った。

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中之条町 伊参スタジオにある 眠る男のセット復元

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中之条町歴史と民俗の博物館「ミュゼ」に展示されている縄文土器片

太古から人の営みを伝える土器と、歴史が経験してきた様々な震災の記憶。

これまでの制作を通して出会ってきたものが中之条町で出土した縄文土器を中心に「人の生活」というキーワードで様々な事柄が繋がる瞬間が実感できた。

そこから、広島で出会った大戦の記憶を継承する被爆樹木の葉、閖上で出会った震災で生まれた遺失物を組み合わせて作品をつくるアイデアが生まれた。

「人の生活」を「歴史」という層で認識するのではなく、フラットに影で外観できるような人の営みの時間地図を撮影することはできないだろうか?と考え中之条での滞在制作を始めた。

以下の作品画像は、中之条ビエンナーレ2017で発表した作品

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『現在の青図 -Shadow of lives -2017-』
Blue Print of NOW-Shadow of lives
-2017-
235cm×450cm
Cyanotype

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●作品に寄せて

 古代。絵画が初めて生まれたのは、遠くに旅立つ恋人の影を少女がトレースしたものが始まりだとされる(※1)。遠くの地とは戦場を指し、もう戻ってはこないであろう恋人の「存在」をそこに留め、感じる手立てとして、影があったのではないかと『影の歴史』の中でヴィクトル・I・ストイキツァは語る。

 1945年、8月6日、8:15。
広島に「人影の石」が生まれてしまった。
原爆が炸裂したその瞬間、開店前の銀行を待っている人の「存在」は、原爆の閃光を遮り、本来感光面ではない石に焼き付いてしまった。(この人物が現在誰であるか分かってはいないが、数名の人が自分の知人や肉親であると名乗り出ている)誤解を恐れずに言えば、この日、広島は「フォトグラム」となってしまった。爆心地のことを誰も語ることはできない、なぜならそこに「目」は存在できないから。本来、感光面ではない大理石に焼きついてしまった影、その「存在」は原爆の閃光の凄まじさを今を生きる私たちに伝えている。
72年前に被爆してもなお、今も生き続ける被爆樹木が広島には約160本ある。私は、2012年の夏、初めてこの被爆樹木に出会い、それ以来毎年広島を訪れている。幹や根に大きなダメージがあっても生き続け、原爆についての語り部としても存在する被爆樹木の今の「存在」を感光紙に焼き付けている。

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広島の被爆樹木シダレヤナギのフォトグラムを撮影する様子(2015年8月)

 2011年、3月11日、14:46。
東日本大震災が発生した。
地震によって発生した津波で甚大な被害を受けた宮城県名取市閖上に初めて訪れたのは2014年の6月だった。広大な土地には膝丈ほどの家の石垣しか無くなってしまった。その場所には、多くの遺失物が残されていた。それは、スプーン、フォーク、皿、漁具、おもちゃ、仏具などその土地に住む人の生活を想像させるものたちだった。2017年の3月に再びここを訪れた時、約5mの盛り土をし、その上に集合住宅を建てる工事が急ピッチで進められていた。2014年にあった遺失物もその大半は、無くなっていた。私は、持ってこれる範囲でこれらを預かり、その「存在」を感光面に焼き付ける仕事を始めた。
いつか、持ち主の元に帰れるのではないかと願い、また広島の被爆樹木のような語り部になるのではないかと思っている。

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宮城県名取市閖上で出会った震災の遺失物たち(2014年6月)

 約5500年前、縄文時代より、群馬県中之条町には、人間の生活がある。
この町には、宿割遺跡、下平遺跡、久森遺跡など太古の遺跡が数多くあり、
土器や土偶、石包丁、埴輪、など当時の人間の生活を想像させる様々なものが出土している。

 私は中之条の遺跡で発掘されたもの、かつて養蚕で盛んだった時に使われていた道具、広島の今も生き続けている被爆樹木の葉、閖上の遺失物のつくる影を一つの感光面に焼き付け、「現在」について考えることができる青図を焼きたいと考え制作を行った。目の前に広がる「現在の青図」はどんな言葉を私たちに発せさせ、どんな未来図を描くだろうか。

中之条ビエンナーレ2017、作品の設置を終えて2017.8.28 浅見俊哉

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 今回の制作にあたり、中之条町の博物館ミュゼより、地域で出土した本物の縄文土器や埴輪、石包丁などをお借りして作品を制作した。

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●制作に使用したモチーフ

群馬県
・土器(1点・深鉢形土器・修復有り)…縄文時代(前期)中之条町・下平遺跡

・土器片(4点・楕円押型文と山形文)…縄文時代(早期)中之条町・下平遺跡 ★(3点・尖底土器底部あり)…古墳時代 中之条町・細尾岩陰遺跡★(3点)中之条町 平・下平遺跡(33点)中之条町 大塚五十嵐遺跡(7点)中之条町 久森環状列石遺跡

・石斧(2点・打製石斧)…縄文時代(前期)中之条町・下平遺跡 ★

・土偶(筒形土偶)…縄文時代(後期)中之条町・大塚(壁谷)出土 ★
   (筒形土偶)…縄文時代(後期)中之条町・横尾(奥山原)出土 ★
   (みみずく土偶)…縄文時代(後期) ★

・人骨(10点・頭蓋骨)…弥生時代(前期〜中期初頭)中之条町・有笠山2号洞窟遺跡 ★

・石包丁(磨製石包丁)…弥生時代(後期)中之条町・川端遺跡 ★

・埴輪(鳥)…古墳中期(5世紀)前橋市・大室古墳出土 ★
    (馬)…古墳時代 ★

・勾玉(2点)…古墳時代 中之条町・天神遺跡 ★
    (2点)…古墳時代 中之条町・川端遺跡 ★
    (1点)…古墳時代 中之条町・上原遺跡 ★

・古墳の副葬品(5点・金銅製の耳環)…古墳時代(終末期)中之条町・名久田第8号古墳出土 ★

・鋤(3点・大宮巌鼓神社提供)…室町時代 ★

・手回し式座繰り器(2点・繭から生糸を巻き取る時に使用されたもの) ★

・中之条町の子供たちが名久田教場周辺で集めたもの

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広島県
・被爆樹木ユーカリの葉…爆心地から740m

宮城県

・宮城県名取市閖上地区の遺失物

その他
・作家の私物やレジデンス中に消費され出た廃棄物、中之条町の子供達の集めたもの

(★は中之条町歴史と民俗の博物館「ミュゼ」で観ることができます。)
制作協力:中之条町歴史と民俗の博物館「ミュゼ」

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I want to make “Blue print of Now”

"Shadow of Lives - 2017" Production Note.

The concept of my works is “Time and Memory” and also ”The relationship between absence and emerging. ”
Photogram is the way for me to represent them.(Photogram is the way to taking photos without camera.)
I place materials directly on photosensitive paper and burn it with sunlight to take pictures. I think that sunburn obtained when going out to swim is one of the most physical pictures.

 Ancient times.
The first picture to be born is that a woman tracing the shadow of a man going to the battlefield is the beginning.
This woman had a shadow as a way to anticipate that he will not come back anymore, to keep "presence" there and feel it.「A Short History of the Shadow」ーVictor I.Stoichita
(※1)

 1945, August 6, 8: 15 HIROSHIMA.
At that moment, nuclear bombs were dropped and "Human Shadow Etched in Stone" was born.
People are burned to the stone which is not usually the photosensitive surface. We do not know who this person is right now. Without fear of misunderstanding, I feel that Hiroshima became a "photogram" on this day.
"Human Shadow Etched in Stone" conveys the tremendous power of the atomic bomb to us. There are about 160 A-bomb trees in Hiroshima that still live even after the radiation bombing 72 years ago. I met this A-bombed trees for the first time in the summer of 2012, and since that I have been visiting Hiroshima every year. I am burning the present "presence" of A-bombed trees on photosensitive paper.

 2011, March 11, 14: 46.
The Great East Japan Earthquake occurred.
The area in YURIAGE, Natori, Miyagi prefecture, was devastated by the tsunami.
I went to YURIAGE after the earthquake was June 2014.
I saw only the low stone wall of the house remaining in the vast land. Many lost things were left in that place.
These things are spoon, fork, dish, fishing gear, toy, Buddhist instrument etc. When I saw it, I imagined the life of the people living in this land. I visited YURIAGE again in March of 2017. The development of rebuilding was proceeding, which raised the height of the place where the disaster occurred by about 5 meters and built apartment house on top of it. Most of the lost items that were in 2014 were gone. I kept this lost item in the range that I can bring.
And I started making works that burn the "presence" on the photosensitive surface. Someday, I wish I could return to the owner. Moreover, I think that these lost things will become a storyteller like Hiroshima's bombed trees.

 About 5500 years ago, from the Jomon period, there is human life in Nakanojo Town, Gumma Prefecture.
There are many ancient ruins such as IWAJYUKU ruins, SHIMOHIRA ruins, HISAMORI ruins in this town.
From these ruins, earthenware fragments, clay figurine, stone rice cutter, Haniwa, etc are excavated.
Excavated items make us imagine life of human beings at that time.

 Through making works in Nakanojo-machi, I recorded trace of Lives and expressed Connection of lives by taking photograms of Jomon pottery , tools of sericulture, lost property from Miyagi prefecture Natori city Yuriage area, Leaves of Bombed trees in Hiroshima,Important things of children living in Nakanojo-machi, and my daily comodities and consumables.

I want to make that work "Blue print" which can think about “Now”and Imagine the future.

28.Aug 2017 Shunya Asami

※1(Gaius Plinius Secundus 「Naturalis Historia」)


⚫︎写真作家・造形ワークショップデザイナー ・キュレーター・「時間」と「記憶」をテーマに制作。2012年〜ヒロシマの被爆樹木をフォトグラムで作品制作 ●中之条ビエンナーレ2019参加アーティスト ●さいたま国際芸術祭2020 市民プロジェクトコーディネーター