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闇を光に【慈悲深き聖なる大王】のものがたり

【アロマブレンド】ホワイトフレイム アバンダンス

人生とはなんと素晴らしい神が定めたシナリオでしょうか。

幼い頃は希望に胸を膨らませ、人生という言葉に、青葉の輝きのような、ぼんやりとした希望を感じ、それに夢をのせて良いことばかり起きるだろうと、思う存分この人生を楽しもう!そうやって人生をスタート致します。

やがて、思春期を過ぎてとるに足らないことばかりがあると、希望は落胆に変わり、夢は失望に変わる。

親からは、失意や落胆を希望と夢に変えるのが人間だと言われても、小躍りするよ
うな喜びや幸せを満喫した経験がないのに どうやって希望を描くことができるだろう?

なぜ、もっと人生の初期に満たされた環境が与えられないのか?
そんな風に疑問を感じながら、やがて肉体の衰えもあって死を経験します。 

人の心が一体全体何かの出来事や体験を通して、心から改心して、本物に触れる喜びを、歌い上げる様な日々が来るのか?

ひとつの魂の中の灯火をあなたの魂が辿ったら、綴織のような絵巻物の物語の中から、一つ掴み取ってお話し致しましょう。

インドにゴータマ・シッダールタが現れ、慈悲の道を説かれましたが 彼の死後間もなくして、仏教は衰退の一途を辿ります。

ある教えはチベットに、ある教えは南インドに、そしてある教えは中国に。
インド国内よりも国外へ国外へと広がっていきました。

彼の説いた教えというのは、教えを聞くだけでは結果が出るものではなく、ひとりひとりが彼の教えを参考に、自分の人生を懸命に生き直さなければ、結果が出るものではありませんでした。

自動車の運転技術のマニュアルを渡されても 実際に教習所でしっかりと練習しなければ、車が動かないようなものでした。

そのうち仏教は大いに形骸化し、今申し上げたように、車の運転技術の指南書だけが渡されて、高僧といえども、一度も車を運転したことのない者が、運転技術の教科書だけを只々字面を辿って弟子に教える始末。

さて、釈尊が亡くなられ約300年が経った頃でした。
インドに、巨大なマウリア朝の王国を打ち立てたアショカ大王が生まれます。

彼は信仰という信仰を全面否定する、残虐無動な君主でした。
兄弟の命も不必要とあればたちまち奪ってしまうような、「人の道を知らぬ獣の王」であると、人々が噂をしておりました。

とりわけ西暦前265年、カリンガ国との間で激しい戦いが起きます。
アショカ王はカリンガの民を15万人以上集めて、そのうちなんと、約3分の2の、10万人を血祭りに挙げました。

インド史上最悪の出来事と言ってよいでしょう。
流石にここまで人を殺戮すると、アショカ王は生きることに疲れました。

そのカリンガ族の中に、あなたの一族がありました。
この時はまだアショカ王は、自分の残虐さに気がついていませんでした。

強い者が弱い者を倒す。世は自然の摂理を従ったまでじゃ。
善悪などは頭で考える人間が作ったこと。
自然界は弱肉強食の原理で動いておる。
何が仏教だ、何が常楽我浄ぞ。

そんな風に、息をふりまいておりました。

あなたの父親は、それでも善を全うしようと致しました。
奴隷のような身分に落とされ、厳しい過酷な仕事を命ぜられても、不平不満ひとつ漏らさず石を運び、木を切り倒し、重い荷物を運びました。

その僅かなお金を、一切自分のために使わず、家族の食費に充てました。
あなたはそんな父親を誇らしく思っていました。

どう考えても人を殺す悪虐な人間より、人に善を施そうとする父の方が立派に見えたのです。

夕陽を背にして一生懸命力仕事をする父を見て、「うちの父親は山よりも太陽よりも偉大だ」と思いました。

もちろんアショカ王よりも。

父は言いました。

すまんな、善人がいつも幸せになるとは限らない。いつの日か心が綺麗な者が幸せになれる時代が来れば良いな。家族と語らう時間もなく、朝から晩までこき使われている。

お釈迦様はどう仰られましたか?

こう仰られたよ。

仏教というものは、一代や二代で子孫や家族を幸せにできるものではない。二代も三代も、ひょっとしたら10代も続く後の人々のために、我と我が身を使うのだ。

お釈迦様が生きている間は、それでもお釈迦様が何とかしてくれるだろうと、人々は安易な気持ちでお釈迦様の後を追いかけた。

だが釈尊が亡くなられた時、「他人のために一生懸命生きよ」という、その言葉だけが残ると、到底その言葉通りの生き方など出来ぬと思う人間が、次々と教団を去って行った。

人は目先の奇跡に溺れ、すぐに結果が出るものに飛びつく。
だが、釈尊はそこを見ておられなかった。
本物は何代も何代もかかると教えておられた。

だからこの私の一生の間にお前たちを幸せにすることはできぬかも知れん。
未来を見据えて、徳を積む姿を釈尊は慈悲と名付けられたのだ。

だがこんな教えをお前にも守れと言うのは過酷だ。
お前は仏教を否定してもよいぞ。

あなたは、泣きながら父親にこう言いました。

仏教を否定することはお父様を否定することです。
そんなことはできません。

そうか、今すぐに生活が楽になるという奇跡をお前達に見せることができず、誠に申し訳ない。わしの力がまだ足りんのだ。

未来を見据えて生きると言うことがどれだけ辛いことか、その生きる辛さを希望に変えるために、釈尊は毎日毎日御説法なされた。

そんなある日、全インドに旱魃(かんばつ)が襲いかかりました。
それまでだって各家庭に与えられた食料はほんの僅かでした。
それをさらに下回るような量の食糧が各家庭に命ぜられます。

父親が言いました。

これではもはや我ら生きていくことはできぬ。
だがあとひと月もすれば隣の畑が青々と実ろう。
それまでは蓄えてきた食料だけで生きていこうと思う。
この村には病人が多い。
少ない食料を頂くより彼らに分けてやろうと思うがどうだ?

お父様の仰ることならなんでも引き受けます。

ついつい答えてしまいました。

その頃になると、あなたの父親の人徳の高さは全インド中に広まっていたので、遂にはアショカ王が自らが視察にやってきました。

その方、噂によれば自分の家族に与えられた食料を病人の家族に分け与えてるというのは、それは本当のことか?

父親はドキマギしながら答えました。

誠でございます。

アショカ王は目を吊り上げてこう言いました。

それは仏教の教えか?
慈悲心を持てという、あの役に立たぬ仏教の教えか?

さようにござりまする。
その役に立たぬ仏教を心から信じております。
苦しい時ほど他の人間に食料を分け与えろと、お釈迦様は仰いました。
我らはそれを守り通します。

ほう、ここにもまた偽善者がいたか。
その方が心を偽り、本当は喉から手が出るほど欲しい食料。
家族の無理を承知でもっと困った民に分け与えるというのだが、お前は美談に生きようとしているのか?

その結果お前は家族をもっと苦しめるのだ。
それはそちの本音ではあるまい。
仏教とは自分を飾ることか?
自分の本音を覆い隠して、わざと善人面をするのが仏教か?
そんな嘘は聞き飽きたぞ。
その嘘を粉々にするために余がこの大帝国を作ったのじゃ。

よいか、お前は本当は喉から手が出るほどその食糧が欲しいはずじゃ。
他人に分け与えたくはない、それがそちの本音であろう。
なぜその本音を覆い隠してまで綺麗事を言うのじゃ?

あなたはドギマギしました。
ここで父親が何と答えるか、場合によっては父親は首を跳ねられてしまうでしょう。すると驚くべきことに父親は淡々とこう述べました。

確かに食糧が欲しくないかといえば、欲しゅうございます。
理想を言えば、心の底から慈悲の心を奮いおこして 本当に分け与えたいから分け与えるのでございますと言いたいところですが。

この私めの心のどこを探しても、そのような綺麗な心はございませぬ。
王の仰った通り、私の心にはまだ後ろめたい部分がたくさんございまする。

確かにお釈迦様が仰ったように、美しい蓮の花を私めの心に咲かすことは、未だ人間ができてはおりませぬ。

美しい心、それを乞い願ったものの、未だに私の心にはございません。
ですが、美しい行為ならすることができます。


釈尊が仰られた、そして私めが仏教に惹かれたのはそこでございます。
お釈迦様は説法のたびに、こう仰いました。

私はまだまだ完成しておらぬ。其方ら以上に凡夫である、と。
心が完全に仏の心かと言うと、当然そんなことはない。

だが、美しい行為であればいくらでも積み重ねることができる。
そしてその行為は、何度も何度も積み重ねれば、その結果としてやがて汚れきった大海の水が、長い間に循環を続け清まるように 余の心が美しくなる日が来ようぞ。ゆえに我と共に歩もうではないか。

こう仰ったのです。
初めから美しい心など、どなた様の心にも存在致しません。
ですが、美しい行為ならたった一つから積み重ねることができまする。

そうか、釈尊はそこまで見通しておられたか。

まさにそれを聞いた瞬間に、アショカ王の心は、天地が崩れるかの如く「醜き者、人を蔑む心、人と争う心、人と比較する心、人を妬む心」が、すべてガラガラと大きな音を立てて崩れ落ちていったのであります。

なるほど、ならば残虐非道なことしかしなかったこの余にも、生まれ変わるチャンスがあると言うのか?

そのような方のためにこそ、釈尊は教えを説かれました。
初めから清らかな心を持った者には、仏教は不要でございまする。

このアショカ王が「慈悲深き聖なる大王」と呼ばれ始めたのは、このことがきっかけである。

すなわちあなたは、この時この時代において、悪魔のような人間が一大変身を遂げる瞬間を目撃していたのです。

今世においても、出会う人出会う出来事は、必ずしも善ばかりとは限りますまい。皆、むしろ悪虐非道に見えるものが多数を占めております。
そうではあっても、オセロゲームのように黒は突然白に変身するものです。

このヒーリーングを受けたあと、「あなたの想い、あなたの言葉、あなたの仕草」を通して、闇の心が光に転換する人が増えましょう。

この地球は、今偉大なる魂の夜明けを迎えようとしている。
闇が深ければ深いほど光もまた輝く。

AUM  maborokiteshowara

光をもたらしたまえ

光の上に光を

愛の中に愛を

知恵の灯火の中に知恵の灯火を

相次ぐ光の連鎖の中に平和の灯火を

ささやかなる想いのひとつひとつの積み重ねの

その先に大いなる平安の開かれることを

AUM  jyagiyati taisha

AUM  jyagiyati taisha

Dr.Shuのアロマタマシイヒーリングを受けて

不思議な遠い記憶か未来の意識、又は次元が違うだけで同時進行している螺旋状を行き来させられる旅をした…というのがヒーリングを受けた率直な感想です。

先ず私が選んだSAIKOさんのオイルは「White Flame」
浄化と白のエネルギーが シャワーのように見えたから。
そこへ五島先生が加えてくださったのが 「Abundance」
最初は只々良い香り、という印象でしたが、リーディング後に何度も聞き直すうちに意味が明確になりました。

たくさんの命を経て今回地球に来ている理由はおぼろげに分かってはいたものの、やるせなさ・苦しみ・失望が多く、一生をかけて突き進んでいる道は決して平坦ではないので、本当にこんなことをしてて良いのか?と疑問を抱えておりました。

そこへ五島先生が見せてくれた物語は、私の一番つまづきそうな心の葛藤を沈めてくれるもの。人の心を闇から光へ転換するのは、今世の一番の目的であり使命です。

生まれ育った環境や体験してきたことすべてを、生業・聖行に役立て美術作家として歩んできました。自身の人間性の未熟さは重々承知しながらも、作品に込める想いや祈りは穢れなきもの。でもそれに意味があるのか?との問いが、歳とともに重なり、迷っておりました。

五島先生のお話しくださった物語の終わりに、心の中で感謝を捧げ、今世について直接問いかけてみました。

そしたらまた違うビジョンを見せてくださり、身体中が光と一体になる感覚を受けました。その時受け取ったシャワーが実は私にはものすごく深く浸透し、セッションを聞き直すまで、その際先生が唱えてくださっていた声が聞こえていなかったことに気づきました。

たまにそのパワフルなビジョンがよぎります。特にアロマを香るたび。
このような貴重な体験をさせていただき感謝しかありません。

同時に「White Flame」と「Abundance」のオイルを仕事部屋におき、心穏やかな状態で祈りの作品を創り続けております。


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