“童貞”のくせに浮気して見えた、その後の“世界”。

まずどこから話せばいいのか想像もつかないが、
書き手が自分であるのだから、
好きなように話していこうと思う。

男ならだれもが一度、欲情に負けた経験がある
という前提で書いていく。
主人公は17歳のぼくだ。欲情という言葉の意味も
わからないぼくが自分を失い失墜した話である。
そこにロマンスが存在するかはわからないが、
自分のストーリーを語っていく。

2006年の夏、本当にその年だったかは大した問題
ではないがとにかく高校2年の夏だった。

その頃は、彼女がほしいまたはやりたい
もしかしたら後者がほとんど占めていた
かもしれない。女を知りたくて仕方なかった。

周りが初体験なるものを語りはじめる時期でもあり、
とにかく仲間入りしたかった。ある種ステータスの
ようなもので、はやく知っている男になりたかった。

同じクラスに手頃な女がいた。
おっと、女性が読んでいたら困るので
ちゃんと書こうと思う。
そう、ぼくでもいけそうな女がいた。
“K子”というその女は、まぁどのクラスにもいる、
優等生の女だった。

どう口説いたかは忘れたが、花火大会
行くことになった。ないアタマで考えた
手っ取り早い口実、ムードづくりまたは
1つのクッションだったかもしれない。

いきなりキスしたらダメなのは一応自然と
理解できていた。花火を楽しみ、告白し、
キスして帰った。あぁ、付き合うことになった。

ここまでなら普通の話かもしれないが
とにかくその頃は早くしたかった

ぼくにはもう1人気になる女がいた。
名前は“N子”。とびっきりエロくて
賢い素敵な高校2年生だ。
彼女はすでにその経験済みの子で
そのころ童貞のぼくでもなんとなく察していた。

K子と付き合うことを電話で話した。
なぜかわからないが、ぼくは「N子が好きだったんだ」
という訳の分からない話をした。
N子も「ぼくのことが好きだった」という
訳のわからない話をし始めた。

そうなると、高校2年生の男女は止まること
をしらない。まるで昼下がりの団地妻のように
人目をはばかり一緒に出かけた。

行き先はホテルではない。
高校生がいきなりホテルなんかにいけるほどの
小遣いはないし、童貞のぼくにそもそも
ホテルにいくという選択肢はなかった。

N子の家のちかくの小学校に目をつけた。
ちょうど夏休みで人がいないだろうと考えた。
童貞なりに使えるアタマをフル回転させた。
まさに格好の“学び舎”である。

夏の日差しがコンクリートに照りつけ
汗ばむ陽気だった。
でもそんなことはぼくには関係がなかった。
人から見えない体育館の脇に行き、
“アレチュウ”した。

今までに動かしたことないくらい“アレ”を動かした。
この動きが正解かは分からないが、
経験済みのN子の動きを咄嗟にマネした。

これが外国の映画でみる“キス”とは違う
“あのアレ”だと確信した。
ということは次にすることも
なんとなく分かってきた。

次にN子の“アレ”“アレ”した。
そうか“ブ◯”というものがあるから
思った以上にやわらかさを感じにくい。

ということは次にすることも分かった。
“ブ◯”の中にスッと手を入れようとすると、
N子が「ここじゃいや」と言った。

童貞のぼくにはそれでもホテルにいくという
選択肢が出てこなかった。
人から見えないところに行こうと思い
体育館に潜入した。

ちゃんと靴を脱ぎ、下駄箱にしまった。
めざすはステージ横のスペース
どこの体育館でもステージちかくには放送室や倉庫が
あることは容易に想像できた。

そこには小部屋とマットがあった。
マットといってもホテルにあるようなマットではなく
体操用マット。それでも十分だった。

N子とマットに寝そべってさっきの続きを再開した。
“ブ◯”の中には想像以上の
やわらかさがあった。
それと自分に付いている“アレ”より
もっと神聖な“アレ”がそこにはあった。

一心不乱に“アレをアレ”した。
5mmほどの“アレ”をこれほど一生懸命に
“アレ”したことは一度もなかった。

何が楽しくて“アレ”しているのかさえわからない。
時間の経過を感じないその空間でぼくはおとなへの
階段を必死にのぼっていた。

1時間くらい“アレをアレ”していたのだろうか…。
続きをしていいのか、しかもここでできるのか
わからなくなったので“アレすること”をやめた。

そしてまわりの同級生にだいぶ差をつけたことが
わかったので体育館を出ることした。

入口にいくとむこうから学校の先生が歩いてきた。
瞬時に不法侵入高校に報告退学
というワードがうかんだ。

「何してたの?卒業生?」と聞かれると、
「はい、“アレをアレ”してある意味たった今
卒業生となりました。」

なんて気の利いたことを言える年頃ではなかったので
なんとか回避しなくてはとヒートアップしてる脳を
落ち着かせて考えた。

姿勢をかがめて下駄箱から靴をとりだした。
先生が玄関に入ったタイミングを見計らい同時に
体育館の無駄に多い扉から外にでた。
完璧なタイミングだった。

危機的な状況を経験したあとぼくは完全に萎えて
しまっていた。
悪いことはお天道様が必ずみているという
ばあちゃんの言葉を思い出しその日は
おとなしく帰ることに。

帰り道はいつもと違ってどこか新鮮だった。
“アレしてアレをアレしたんだ”という称号を手にして
自転車を漕ぐぼくはどこか大人びていた。

100%童貞の先輩にすぐ自慢をした。
君たちがウイイレでPS2のコントローラーを
“アレアレ”してる間に、ぼくは大人しか
“アレアレ”できない“アレ”
約1時間ちかく“アレ”していたんだ。
そんなような言い回しで詳細を話した。

N子と今日したことは絶対に秘密と約束したのに、
すぐ話してしまった。
そして携帯を見ると“K子”からなんでもない
メールがあり、あっ、おれ彼女いたんだ
いうことを思い出した。

その後の展開はだれもが想像できるものである。
クラスの女子にバレて、非国民扱い。
N子とは関係を終わらせ、K子と8ヶ月付き合う。
そしてフラれる。
数ヶ月してK子にN子との密会がバレて追加で嫌われる。

それから10年経った今、ぼくはこうして
小説を書いて暮らしている。
記憶を掘り返して書いているというよりも、
鮮明な当時の情景が目の前にあって
それを丁寧に書き写しているといったイメージだ。

フィクションかどうかはあなたの判断に任せる。
島から船で高校にかよう17歳が、いきなり彼女を
つくりすぐ浮気する。
そしてクラスでバレて船にのるのが憂鬱な日々。

人間というのは簡単に過ちを繰り返す。
大学でも似たようなことをして嫌われた。
28歳にもなり一応ダメなことというのは
一通り理解できた。
でもモテようとする自分の遺伝子に
ブレーキをかけられないのである。

文明が生まれる何万年も前から人類は
モテて子孫を残すというサイクルを
無限に繰り返してきた。
それほど偉大なサイクルをたまたま
この時代に生まれたぼくが止められる
はずがないのである。

“浮気” “ゲス不倫”
テレビをつけると
毎日のように流れ来るそのワードは
そんな自然のサイクルを言葉として
表しているにすぎない。

食べ物、雨風しのげる場所、安心できる家族…
そんな環境にいても人はモテることを諦めない。
そう考えると、ぼくが犯した失敗はごくごく
自然なことかもしれない。

一方で、ある程度異性を経験すると
わかることがある。
それは異性で自分を満たすということは
長くは続くかないということである。

想像してみよう。
もしあなたが生殖機能を失ったら…
60歳を迎えればほとんどの人ができなくなる、
というかそれをする必要がなくなるだろう。
そんなときあなたは何で自分を満たすことが
できるだろうか。

“富” “名声” “幸福” がそれに置き換わるだろうか。
使い切れないお金を手にした億万長者が必死に生きている
理由はなんだろうか。

自分を満たすという行為は、どこか小説を書く行為のように
感じることがある。
小説や映画の主人公がはじめから
すべてをもっているひと
だったらどうだろうか。

主人公にとって足りないモノ、まだ経験してないコト。
それを一つ一つ付け加えていく。
点と点が結ばれとなり、
それが“ストーリー”となる。

自分を満たすという行為は、
小説の主人公になるということだ。
異性で満たされるという経験だけがその小説に
必要な要素イベントではない。
異性で満たされなくなるということもあなたの
ストーリーに必要な要素なのだ。

“失敗” “成功” “人の死” など、すべてがあなたの
ストーリーにとって必要な要素であり、マイナス
を一切含んでいない。

それはまるで
書いているのに小説のページ数が減っている
ということが不可逆的な現象であるのと
同じことである。

人生の要素を経験するたび、あなたの小説は厚みを
ましていく。
それはだれも止めることができず、あなたすら
コントロールできないものである。

唯一あなたができることは、その要素
どう小説に反映させるかである。
書いてもページ数は減らないのに、
マイナスの出来事として書き続けるのか、
それとも
主人公に必要な要素として表現するのか。

前者と後者を続けた場合、その分厚い2つの小説
どんなストーリーの違いが生まれるかは明白であろう。
本当に小説であれば良し悪しがまわりの反応から
得られるかもしれないが、
あなたの書くその小説を見るのは1人しかいない。

それは“書き終わったあなた”である。

そこに良し悪しは存在しない。
また書きたいと思うか、もう書きたくない
思うかどちらかである。

他人の人生を生きるなと人はいうかもしれないが
どう転んでも他人の人生なんて生きられない。
言い換えるとあなたの小説を他人に書いてもらう
なんてことができないのと同じである。
みんながそれぞれ自分の小説を執筆中であり、
人生ゴーストライターは存在し得ない。

さて、“あなたの小説”はどれくらい書き進んで
いるだろうか。
物語の終わりはどうなるかわからないのではなく
終わり方を決めるのはあなた自身。

今日1日が終わったあと、
あなたはそのページ
どのような出来事
書き記すだろうか。

ぼくのこの小説を読んだ
ということを書くのであれば
それほど嬉しいことはない。


そうぼくのページに書いておこう。


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しゅうへい

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