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20240114_『格闘家アントニオ猪木』と「壁抜けしつつ留まる猪木」、二つの卓越した猪木論

 マイルス・デイヴィスといえば、言うまでもなく、不世出の天才ジャス・アーティストであり、20世紀を代表する巨人の一人である。
 耳音痴の僕でも『In A Silent Way』や『On The Corner』といえば、極上のヤバい音がブッ放され続ける化け物のような名盤だと確信している。ただ僕は、音楽的な部分はまったくの未知なので、これらの音がどのようにヤバくて衝撃的なのか、それを言葉で伝える術がない。もちろん恐ろしくファンキーで、超絶にカッコいいことだけはわかっているけれど。

 そこで『東京大学のアルバート・アイラー』を一読してみれば、マイルスの音楽の凄さがこの上なく的確に言語化されているのが、嫌というほどよくわかる。
 ただし、僕は楽譜が読めないので、代表曲「So What」で用いられる「モード」がいかに偉大な発明で、ジャズに重大な革命をもたらしたかが当書でこれでもかと丁寧に解説されているのに、書かれている内容がさっぱり理解できない。僕にできることといえば、モードについて語る菊地成孔の恐ろしいほどの饒舌さとテンションの高さから、マイルスの仕事の偉大さと途轍もなさを「よくわかんないけど、とにかく凄いことしてんだなあ」とぼんやり察して、行間から漂うグルーヴに酔いながら、「なんか心地よい読者体験ができたみたいだな」と記憶に留める程度が関の山である。
 音楽の知識がなくても、マイルス・デイヴィスの凄さは理解できる。しかし、楽譜が読めれば、マイルスの音楽がどのように型破りなのかを、音楽を知らない人間の何百倍も深く知ることができ、マイルスの天才を何百倍も濃密にしゃぶり尽くすことができる。

 偉大な音楽家が遺した作品の素晴らしさを語ることは誰にだってできるが、より秀逸な音楽の語り部たりえるのは、「楽譜」というテクニカルな記録から、その創作がいかに過去の常識から逸脱した革命の産物であるかを精巧に解析し、それをあまねく示す知識と技量を備えた人物であろう。

 僕にとっては音楽と比較すると、より「守備範囲」に近いプロレス・格闘技についての論考でも、望むことは同じである。やはり“プロ格”を語る際にも、その思考のベースにファイターの技量、加えて肉体への解析と検証があって然るべきであると考える。

 そこで、本題のアントニオ猪木である。
 木村光一氏が著し、昨年の秋に刊行された『格闘家アントニオ猪木』は、書名に「格闘家」と銘打っている通り、不世出の英雄たる猪木の特殊性を、その格闘技術と肉体をベースに徹底検証するという、過去に世に出た数多の猪木本と趣を異にした出色の内容なのである。
 
 なにしろ本書において、猪木寛至をアントニオ猪木たらしめる存在として歴史教科書の太字級の最重要人物として扱われる面々が、大坪清隆、北沢幹之、イワン・ゴメス、ローランド・ボックという、実に質実剛健なコク深すぎる人選であることからも、この『格闘家アントニオ猪木』が、昨今『G-SPIRITS』中心に展開される、技術論に根ざした猪木論の決定版の証左といえるのである。
 さらには、猪木の比類なき強さと格闘技術を解説するにあたり、猪木のシュート時の必殺技であるスリーパーホールドとボディシザーズ(胴絞め)に彼の骨格と体型の強みが活かされている……という解剖生理学的なアプローチで論じられている点も、他のプロ格本と一線を画す秀逸さを現している。

 猪木の格闘技術を解剖生理学的に解析する試みは、入不二基義氏が著した「壁抜けしつつ留まる猪木」(新書『アントニオ猪木とは何だったのか』内)で展開される、猪木のしなやかな「竹的な体躯」たる、やや細い前腕から繰り出されるチョークスリーパー(首絞め)から格闘と性愛のダブルミーニング的な「壁抜け」を見いだすフェティッシュな論考と、どこか強烈な相似性を感じるのである。
 猪木の没後、『格闘家アントニオ猪木』と「壁抜けしつつ留まる猪木」という、二つの卓越した猪木論(猪木本)に出会えたわけだが、両者に共通しているのは、アントニオ猪木という「現象」を猪木の「肉体」を媒介として考察することに徹底していること。その意味で両者は、強力な一本の線で結ばれている。

 以上より、 『格闘家アントニオ猪木』と「壁抜けしつつ留まる猪木」を立て続けにセットで読めば、とびきり極上の読書体験ができることは間違いないと、胸を張ってお勧めしたいのである。

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