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憲兵に関する検証と彷徨い歩く日々


北支憲兵司令部勤務時と思われる記念写真


 憲兵少佐(主な軍歴 津憲兵分隊長→東京憲兵司令部→北支憲兵司令部→東京憲兵司令部付→麹町憲兵分隊長)であった遺族の方から依頼された各写真の検証中なのだが憲兵少佐のメモ書き・日記等がないか?と聞くと……確かに明確な一次資料ではあるが家族が「戦犯」追及等される恐れ(本人は*中国憲兵司令部勤務中、広島にて戦死・当時は中佐に昇任済)から遺棄した。

*「中国地方を第15方面軍司令部が兼ねた中部軍管区司令部の管轄下に入れ、同年6月12日に広島師管区司令部を中国軍管区司令部と改称して第59軍司令官藤井洋治中将が指揮し、天皇に直隷し中国地方の軍政を統括した。中国軍管区司令部は戦争末期には、広島城地下に移動したが、同年8月6日の広島市への原子爆弾投下により大損害を受けた」

以下より抜粋引用
中国軍管区 - Wikipedia https://ja.m.wikipedia.org/wiki/中国軍管区

 それを聞いて残された写真を拝見する限り納得もいくから仕方がない、枢要な人物や場所、背後に写る兵器類等を見る限り重要な事項(戦史資料から)に被り証左ともなり、時には関係していると思われる処に写真を見せるとそれは…事実として伏せたい反応もある。
 



甘粕 重太郎 陸軍中将
駐蒙軍司令官(撮影当時)


しかしこれらの写真は当時、憲兵というモノがいかなる行動をしてたのか判る手がかりにもなり、私なり世に出すように各機関等に働きかけ検証作業を続けていく…長い旅路となりそうだ

飛行第64戦闘隊(加藤隼戦闘隊)で活躍した
「中村 三郎 中佐(二階級特進)」
憲兵中佐の従兄弟にあたる人物
北支憲兵司令部勤務時と思われる記念写真

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