愛はなぜ尊いのか

「愛はなぜ尊いのか」

恥ずかしくなるようなテーマですが、どストレートに行きます。

ところで、愛とは何でしょうか?

広辞苑的な答えだと

1 親子・兄弟などがいつくしみ合う気持ち。また、生あるものをかわいがり大事にする気持ち。
2 特定の人をいとしいと思う心。互いに相手を慕う情。恋。
3 ある物事を好み、大切に思う気持ち。

などとなります。

愛は尊いものです。

憎しみや、恐怖、憎悪より「良い」ものだと思います。

「良いものだから尊いものなのは当たり前じゃないか?!」

そうです。その通りです。しかしその当たり前が通用しなくなっているのかもしれません。

この記事を書いている現在。日本を含む世界情勢は、めまぐるしく変化し混乱して、そして憎しみ、偏見、憎悪、差別感情がどんどん増しているように感じられます(あくまでも僕の主観なので、僕の勘違いならそれに越した事はありません)

愛というものは、信用・信頼が不可欠だと思います。

信用に関しては、よく「信用を築くには時間がかかるが、失うのは一瞬である」と言われます。

愛も同じだと思います。

愛を破壊するのは極めて容易です。

愛を築くのはたやすい事ではありません。

愛はとても脆いものです。

逆に憎悪は簡単に作り出す事が可能です。

話が変わるようですが「世界平和なんて夢物語だよ」という意見があります。世界の国々や民族同士は仲良くなんかできない。憎しみ合うものだという「現実主義的」な考えが、どんどん強まっているかもしれません。世界平和を実現する事は容易ではありません。世界中に憎悪の感情が渦巻いてるのは悲しい現状でしょう。

では質問です。

なかなか作り出せないものと、簡単に作り出せるもの。前者と後者のどちらが価値が高いでしょうか?また別の問いでは、少ないものと、すでに沢山あるものの前者と後者のどちらが価値が高いでしょうか?

前者の価値が高く、後者の価値が低いです。これを「希少性の原理」と言います。

ダイヤモンドはなぜあんなに高価なのか?

それはダイアモンドがすごく綺麗だからという理由よりも、数が極めて少ない(これが希少性)からという理由の方が大きいのです。僕自身は子供の時から「ダイヤモンドはたしかに綺麗だけど、なんであんなに高価なんだろう?」と疑問に思っていましたが、大人になってから希少性の原理を知ってからは、謎が解けました(個人的な感情では、あんなのただの石ころだろ…という気持ちは子供の時から変わりませんが…)

沢山あるものは、希少性が低いので、価値も低いです。

逆に、数を安定的に沢山生み出す事を、価値を下げる事ができます。

自動車王と言われたフォードが、自動車の大量生産するための、流れ作業のラインを考え生み出したと言われています。フォードのおかげで自動車は、大量生産されて、自動車の値段が大幅にさがり、所得がそこまで高くない層にまで購入できるようになりました。

このように沢山ものを生産して、値段が下がる高価は一般的に「量産効果」と言われます。

お前は何の話をしているのだ?愛の話はどこに行った?と思われるかもしれませんが、ここからが本題です。

愛はなぜ尊いのか、それは「良い」ものだからとさっきは答えました。

でもそれだけではないのです。

愛と憎悪どちらが簡単に生み出せるでしょうか?

愛を生み出し育む事は容易ではありません。しかし憎悪は簡単に生み出され、そしてまるで自分で勝手に育っていくかのようです。

「憎悪は量産可能」なのです。

しかし愛は量産なんてできません。

つまり僕が言いたいのは、愛の価値が高いのは、それだ良いものだからという観点だけでなく、憎悪と違って量産できないからだという観点も指摘したいのです。

世界で憎悪が増幅して覆っていけばいくほど、愛の価値は「相対的」に高まります。愛というものが、少なく貴重なものになるからです。さっき述べた希少性の原理です。

愛を持ち続ける事は、憎悪を抱き続ける事よりもはるかに困難な事かもしれません。しかし、いやだからこそ、愛は尊いのです。

スポーツでもなんでもそうですが、簡単な事をやり遂げた場合と、極めて困難で不可能に思える事を成し遂げた場合、どちらが素晴らしいと評価されるかは言うまでもないでしょう。

世界に、憎悪を広まりつつあるなら、愛の尊さがどんどん増します

どれだけ社会が、世界が、憎しみや差別と憎悪に満ち溢れ、壊れていったとしても、たどりつく答えは、やっぱり「愛」なのです

その事をどうかみなさん、強い意志で決して忘れずに…!





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