家族の事、自分の考え、自分の生き方などなど

別にさ妻と娘を養ってるからと言って、あんまり責任を感じてない。

自分が日常生活を人並みに続けられなくなったとしても家の両親とか妻の両親がそれなりにやってくれるだろうと勝手に思ってる。

双極性障害なんかだと生命保険入るの高いはず、ちゃんと調べてないけど。

妻には世間一般のいわゆる普通の家庭以上に心配とか不安とか負担をかけてる。

申し訳ないとは思う。

でも謝ってもどうしようもない。

妻によると、昔の自分は優しかったけど今はあまりに物事をはっきり言い過ぎるらしい。それが辛いと。

それで昔の自分のように優しくして欲しいと言われた。黒白つけて言うんじゃなくて、あぁ、とか、まぁ、とかグレーな言い方が出来たら良いのか?

あまりに変わり過ぎたのか。

でも昔の自分は今振り返ればあまりにも自分の意見と感情を表に出さず回りに無理して合わせてただけだったと思う。

それを妻は何も余計な事を言わずたまに感情的になる彼女を自分はニコニコと優しく見守ってくれてたと、

たぶんねあの頃から色んな事を言わず溜め込んでいた自分が今になって爆発してるんだ。

それを話したら詐欺だと言われた、笑

こないだの診療での先生での見解。

・双極性障害二型
・躁状態
・混合状態にあるかも、でラモトリギン増量
・観念奔逸

先々週、先週のとんでもない疲労感は無くなった。たぶん今週は大丈夫。

プラネテスって言うアニメを久しぶりに観直した。



『お前の病はお前が望んだんだ』



『うるせぇ!全部オレのもんだ。孤独も苦痛も不安も、後悔も! もったいなくてなぁ、てめぇなんかにやれるかよ!』



この2つのセリフには今の自分を重ね合わせるように考えさせられる。

大丈夫って言ったけどこれ書いてるとやっぱり感情が揺らいでくる。

自分がこの病になったのは自分が生きるために身体が頭が判断してくれたのか?

それとも生き物として自然淘汰される結果、陥ったものなのか?

自分以外の誰かに自分を理解してくれなんて思えてない。

考え出すときりが無いけどとりあえず生きてる。薬のお陰、家族のお陰、自分でも気付いてない誰か、何かのお陰。

早朝の草木の匂いは爽やかで日差しは気持ち良くて満員電車は鬱陶しい。


とりあえず大丈夫。


だから自分ができる事は全部やる。
やらない後悔はしない。
全部やったとしてもなるようになるし、なるようにしかならない。
じゃあとりあえず躊躇ってないでやっておいた方が良いじゃん。

今、気付いて動けなかったらもう次は無い。ただ同じ毎日の繰り返しじゃない。

躁状態だからなのかそう思ってる。

この揺らいでいる感情、感受性と行動力をコントロールしてやっていく。

とりあえず二型って言ってくれたのは安心した。
今後はどうなるかなんて分からないけど、

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