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なぜ、人はストーリーにお金を出すのか?

あれは、大学生のときに、 見城徹さんの『編集者という病い』をよんで、 『太陽の季節』という石原慎太郎さんの小説があることを知った。一緒に仕事をするため本を全文暗唱したというストーリーに感動して試しに読んでみようと思い、普段は足を運ばない書店で本を買った。

小説をなかなか読まない自分にとっては、生きた世代が異なる本を読んで共感するのは正直なところ困難なことだと思っていた。

しかし、読み終わったとき顔面を殴られたような衝撃をいまでもはっきりと覚えている。

書き出しから圧倒されて、小説の世界観に引き込まれたものは、当時始めての体験だった。その日のうちに、興奮冷めやらぬまま読み耽った。

「竜哉が強く英子に魅かれたのは、彼が拳闘に魅かれる気持と同じようなものがあった」

という一文がいまでも記憶から消えることがない。

「何故 貴方は、もっと素直に愛することが出来ないの」

という英子の言葉も忘れられない。ラストシーンの竜哉の姿にも震えを覚えた。

正直なぜこんなにもこの小説に惹かれてしまったのかうまく説明できない。説明できないからこそ強く惹かれたのかもしれない。

接触までの共感と体験を生むストーリー

インターネットで飛び交う情報や出版物でいつまでも、記憶に残るものは本当に数少ない。昨日読んだものすら、明日には忘れてしまう日常でも、脳内にこびりついて離れなかった。そこには、読むに至るまでのストーリーやコンテンツに触れて、クローズドな個の共感と体験があったからだろう。個人的には、編集者という病を読んで、一時的に作品関連する見城徹さんと石原慎太郎さんのストーリーに接触したことも大きい。

僕は、平成生まれで、周りにもなかなか読んでる同世代はいないけれど、好きな小説を教えてと言われれば、迷わず太陽の季節と答える。

「太陽の季節」は 芥川賞 受賞作。当時、石原慎太郎原作の一連の映画化作品がヒットしたことによって、享楽的な遊びにふける若者たちを指す「太陽族」という言葉も生まれ、センセーショナルな内容に、倫理的な問題を問われつつも、一種のブームになったそう。

コンテンツ価値の低下。コンテンツの入口になる共感や体験を増やすこと。

今の時代にブームのおきる、最大公倍数のとれるコンテンツは難しい。かつて極端なものを作って話題になっても、風が吹くように消え去ってしまう。むしろ、コンテンツそのものの価値は下がってるから、コンテンツの周りにあるストーリーや、クローズドな閉じた共感や体験を共有するコミュニティに接触して、ファンをつくるなりの土壌を作らないと、価値を作ることは難しい。 手にすらしない

時代を経ても色褪せないものは、ファンに愛され続けるからこそ価値を持ちつづける

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