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2/4(土) 人生で1番お世話になった人の結婚式に行った。
いや1番は親なんだけど、少なくとも僕が17歳で上京してからは1番お世話になった人だ。

結婚式の主役はもちろん新郎新婦なんだけど、
ここでは新郎友人A(僕)から見た結婚式とそれに至るまでの経緯を話す。
映画スラムダンクの宮城リョータ視点だと思ってください。

僕自身結婚式に参列するのは初めてで、スーツもないため、式に合わせて1週間前に購入、前日夜22時にバックが無い事に気付いたので、
ドンキホーテで一丁前にブランド物のバックを購入した。
式には他に誰が参列するのか、当日まで全く分からなかったし、僕はとにかくソワソワしていた。

会場に早く着き過ぎてしまい、外で時間を潰しているとたまたま知り合いと合流できたので少し落ち着いた。
(その時御祝儀はピン札がよろしい事を知り、落胆)


実は式の直前まで、
と言うか当日のとある出来事があるまで、彼の式に自分は本当に出ていいのか、
と疑念を抱いていた。


ここで、僕の話を少し。

僕は決して裕福とは言えない、されど貧乏はドラマだけだと思ってた位の家庭で生まれ育った。 
が、
15歳で親が離婚して、母について行ってからは
家賃3万円の市営団地、働きっぱなしの母とはすれ違いの日々で2〜3年はかなりしんどかった。
唯一の救いは僕がボクサーだったので減量であまりご飯がいならなかった事くらいだ。
この頃将来の夢や希望より、今日明日の事を考えるようになり、ヤンチャと自暴自棄も加わり奨学金をもらって特待生で入った高校を中退。(ボクシングのインターハイに出たかったので通信高校に籍を入れさせてもらった)

その後すぐに上京、アマチュアの成績もあったのでプロボクサーになった。
周囲の期待とは裏腹に、目指すものやゴールが見つけられず、加えて怪我や減量苦が重なって19歳で逃げるように引退。帰る場所もなく途方に暮れて、知り合いが多く働く新宿のカラオケで寝泊まりする日々が続いていた。

ちょうどその頃、暇を持て余してネットで無料のイベントを沢山探していたところ、お菓子食べ放題のイベントがあったので参加(実際は学生向けの討論会だった)

そこで後の恩師と会う事になる。

細かい事は端折るが誕生日が2日違いで一緒に誕生日会をしたり、
一緒に沖縄の無人島に行ったことで仲が良くなった。

ちょうど彼が都内でシェアハウスを経営していたので家なき僕はそこに住む事になった。

当時僕は20歳、彼は23歳。

と、長くなってしまったが、
ここからは2人の話。

東大生、チョコレートが大好き、友達が多い。実家が超金持ち。とにかく討論が好き

これは僕が彼に抱いた最初の印象。
「学歴」とかけ離れた生活をしていた僕からしたら
当初、東大生と言う肩書きはチョコレート大好きと同じ位のインパクトでしかなかった。
逆にそれが彼にグイグイ行けた理由だし、彼も僕のような存在(学歴を全く気にせずスポーツだけして生きてきた)は初めてだったのではないか、と思う。

彼とは何もかもが違った。

育ち、置かれている環境、周囲から入ってくる話の内容
当たり前なんだけど、なぜか不思議で
金無し学無し持ち味無しな僕と、なぜか一緒にいた。
いてくれた。

一緒に住む中で、何かこの街(北千住)で商売がしたいね〜などと話していた。
それから数ヶ月
なんか気付いたら彼が物件を借りて、
僕がその店の店長になることが決まった。
知る人ぞ知る、居酒屋(のちにBAR)おまえンちだ。

シェアハウスも一棟管理を任せてもらえた。 

今思えばそれは意図せずも、
彼の見様見真似しかできなかった僕に、
彼からのプレゼント兼試練だったのかも知れない。

彼とのエピソードは沢山あるが、特に印象に残っているものを一つ。

店舗開業にあたり不動産屋と3人で内見に行った際、
不動産屋のお姉さんが
お店の名前は決まってますか?と聞いた。
「いや、決めてないですけどみんなに来て欲しいから
"お前ん家"とかにしたら、家と間違って入ってくるんじゃね?」
彼のこの一言で店の名前はおまえんちになった。
(その時、
ビートたけしが弟子にダウンタウンと間違えて仕事が来るかも、と名付けたダウソダウソを思い出した)
あたしンちに習って表記は おまえンち とした。

さらっと話したけどこれ凄くないですか?
あんまり普通とか、一般的とか言う言葉は嫌いですが、
普通じゃない。
やっぱこの人凄いな。と心底思った。

物件はスケルトンで設備はトイレと水道のみ
飲食業のノウハウがない僕らだったが彼は即日契約、
1ヶ月後がオープン予定日になった。
飲食店のノウハウも、そもそも飲食業許可なんてモノも知らなかった僕からすると意味が分からなかったが、
お互い共通の、まぁなんとかなるっしょ、精神で、なんとかなった。

店は奇抜な営業スタイルが注目されて深夜バライティーに出たり、起業本に出してもらったり、地域の祭りに出店させてもらったりと、比較的活発にアクションを起こす店だったが結果的に売り上げが上がらず閉店。というか僕が売り上げを上げられなかった。

彼は怒ったりしなかったし、むしろ感謝してくれた。

当時の僕は感謝するなら続けさせてくれとか、たまたまコロナがきただけで、まだやれるんだ。とか、そんな事も正直思ったりもしてた。
(今は自分で事業してて分かるので、あの頃の無知な自分は殴り黙らせてます。)

閉店の事は3ヶ月前から2人で決めていたので、
次の仕事を探していたところ、僕はなぜか縁もゆかりもない造園業を開業する事になった。

店を閉じると残す関係はシェアハウスの出資者、管理人になるんだが、
会う機会は多くても月に一度の集金会だけだし、
僕が彼女(今の妻)と住む家を探していた事や
コロナや諸々の事情がありシェアハウスも畳む事に。

この頃から僕は造園業の方で金銭的トラブルに遭い、
結果的にシェアハウスの退去時に、迷惑をかけてしまい彼はもちろんのこと、彼の周りの人とも距離を置く事になってしまった。

今まで何かあれば全て頼っていた、相談すれば最適な解決案をくれていた彼になぜその事は言えなかったのか、
言いたくなかったのか、今でも分からないけどとても後悔している。

正直、
もう一生会う事はできないなと、
後にも先にも1番賢くて1番世話になった人との関係を
自分のミスでそれも自分から断ってしまった。
そんな悔いを残していた。

しばらくして我が家に子供が産まれ、仕事も繁盛してきて過去の思いは薄れる位多忙を極めていた頃、
偶然知り合いのバーで彼と再会した。
本当に偶然のことで、言葉が出ない とはまさにこの事か!と言うくらい言葉が出なかった。

彼は立ち上がって僕の肩を持って、
お前はすげーよ、頑張ってるよ、よくやってる。
と言ってくれた。

意味が分からなかったし、それでも言葉は出なかった。
それから2人で焼肉に行ってとにかくあれからの事や今の事、ひたすら話したんだけど無我夢中過ぎてほとんど覚えていない。ただ会計は彼が出してくれた。

とにかくごめん、申し訳ない。と言いまくったのだけ覚えているが、その度彼は
もういいから俺の子供できたらボクシング教えてよ、
それでチャラ!とだけ返した。

僕はそんな寛大な男になれない。
彼からしたら僕は何十分の一とかの後輩で、まして彼が創ったモノを(店も家も)壊した人間だ。

そんな僕を相手にする意味も正直分からないし、許しを得た嬉しさより自分の小ささというか、スケールが違う事がわかった。
恥ずかしながらに、憧れや目標だった人が、一気に
そもそも住む世界が違う。とようやくここで気付いた次第でした。

程なくして彼から入籍すると言う連絡が入った。
彼らしく、突然。
驚いたし、嬉しかった。
彼が結婚したがってた事を知っていたし、2年近く一緒に暮らして、一緒に事業をやっていた、
深く知っている人が結婚するのは他人事とは思えず嬉しかった。
安心したの方があっているかもしれない。

もし僕が北千住でしっかり結果を残せていたら
家族ぐるみの付き合いができたのかな
なんて考えもよぎった。

程なくして半年後に結婚式があるから来て、と連絡が入った。

僕の中でこの招待は、
過去の事など全く関係なく、関係者として
呼んでくれた。
だけでは済まされなかった。
式に参加すると言う事はその後も関係が続く。
また何か迷惑になるんではないか、
もっと言うと
あの日以降、彼の関係者で僕のことをよく思っていない人達も参列してその日の空気が悪くならないか
なんて考えもあった。

何もない20歳の僕に
家も店舗も経営するチャンスも与えてくれて、
それを全て壊しても許してくれた人が
再度手を差し伸べてくれている。
その手を掴む権利は、僕にあるのか。

随分長くなかったが、本題に戻る。

実は式の直前まで、
と言うか当日のとある出来事があるまで、彼の式に自分は本当に出ていいのか、
と疑念を抱いていた。

というのは以上の理由からだ。

祝福しているのに、なぜか顔を合わせられない僕がいた。

半分は照れ臭さから来るものだったけど、
吹っ切れたつもりでも
今ひとつ、自分になりきれなかった。

式が終わって披露宴前の受付でご祝儀を渡した時、1人の男性から声をかけられた。
彼のお父様だ。
お店の開業資金なり何なりととてもお世話になっているのは言うまでもない。
本来ならこちらから挨拶に伺うところを、わざわざ声をかけてもらった。

沢山人がいるのに、よく僕の事が分かりましたね。

こんな金髪、この会場で君しか居ないよ。

こんな会話から始まり、事業のアドバイスや車両の話、
僕の事業を褒めてくれたり、相談事があれば何でも電話してね、と僕の様な零細企業を気遣ってくれる優しさが身に沁みた。

その後すぐお母様とも話せて、ボクサー時代の僕を調べて知っていた事や、お店をやっていた時代から頻繁に気にかけてくれていた事を知った。

嬉しさと驚きが同時にきた。

彼が僕の事を悪く思っていればこんな事はないだろう。
僕が彼の事を追ったり、指標にして来た分、僕も彼に何かしらを与えられていたんではないか。それは良いことばかりじゃないけど、、、
それでも少しでも、僕の事を認めてくれてたんだなと、思えた。
僕の抱いていた疑念はその瞬間スッと消えていた。

テーブルに戻ると、過去にトラブルを起こした時に間接的に巻き込んでしまった人に
井越が招待されるのは知ってた(当然だろうの意味)けど他の人は誰が来るか分からなかった。

と言われて、ウルっときた。

ここからの僕は本当の本当に心の底から祝福できた。

テーブルマナーもよく知らないような僕はとにかく
ヘマしないように慎重に慎重に過ごしたが、
堅くかしこまっている間に時間が過ぎるのも嫌なので
お父様の、こんな金髪会場に君しかないよ
と言う言葉を思い出して、僕なりに過ごそう。なんて気楽になれた。

同テーブルのメンバーで
新郎新婦に挨拶に行った時は、席を立った瞬間に感極まってしまい、トイレに篭って涙した。
しれーっと
遅れて参加すると、お前が1番近くで祝えよ
とみんなに言われた。バレてた。

披露宴はとても豪華で素晴らしいモノで、
新郎新婦からのクイズには僕らが営業していた店の名前を当てろ なんていう、会場で5人くらいしか知らないであろうクイズが出た。

結果は全チーム正解。
 
彼、僕が思ってるよりおまえンちの事好きだったんだなぁ。みんなに宣伝してくれてたのかな、なんて思ったりした。

その後も友人代表のスピーチや、奥様のスピーチ、お父様の締めの挨拶、笑いあり涙ありの最高な式だった。

ここにいる全員僕より偏差値高いのか〜
なんて思って1人で笑ってた時もあった。

初手でこの結婚式されたら次からハードル上がるな、
て言うか自分はどうしようかな、でもこれ見せられたら腰重いな、なんて事も思った。

他人の成功を喜ぶ機会は過去に幾度となくあった。
同じジムの選手がKO勝ちした時、
友人の就職が決まった時、
事業にがうまく行った人にご飯に誘われた時、
そのどれもが比べ物にならないくらい
お2人がそこにただ笑って座っている事が嬉しかった。
そしてその場に自分がいる事が、嬉しかった。

これが僕から見た彼の結婚式。
人には人の見方があるし、主役は更にいろんな感情があっただろう。
ただ、最高な式であった事はみんな同じで、繰り返しになるがそんな場に僕を呼んでくれた事が本当に嬉しかった。

最後に、
お2人本当におめでとうございます。
末長くお幸せに。
そして、
式に招待されなければ絶対に言えなかった言葉、

こじとうくん本当にありがとう。
今後ともよろしくお願いします。




ギャグネタから真剣なネタまで 色々取り備えています