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“負けず嫌い”じゃなくてもいいという提案

最近、気づいたことがある。
セブン・イレブンのかりんとう饅頭が美味しいってことと、僕は“負けず嫌い”ではないってこと。

オリンピックでメダルを獲得するくらいのすごいスポーツ選手のNHKのドキュメンタリーだったり、本当に全部自分で書いたのか分からないスポーツ選手のエッセイ本だったり、そういうものに必ずと言っていいほど書かれている、“負けず嫌い”という言葉。

「あの子は小さい頃から、とにかく負けず嫌いで………」みたいなことを小さい頃に教わっていた恩師が言っていたり、「下手くそだったけど、負けず嫌いさは誰にも負けないようにしようと思って………」みたいなことを自分で言ってみたり。“負けず嫌いさ”が誰よりも強い人が、スポーツという過酷な世界で生き残っていくことができるのだなと、全ての人に感じさせようとする気迫を感じるほどだ。

そして僕も幼い頃から、“負けず嫌い”が凄い。“負けず嫌い”が偉い。“負けず嫌い”が正義。みたいな『負けず嫌い至上主義』を植え付けられていたように思う。また、“負けず嫌い”の感情は強い弱いは置いておいて、誰しも生まれつき持っている感情だと思っていたし、僕も負けるのはそりゃ嫌だから当然“負けず嫌い”のうちの1人だと思っていた。小学一年生から始めたサッカーでも、“負けず嫌い”な人は頭ひとつ抜けて上手かったし、“負けず嫌い”な人はかっこよく見えた。自分も当然“負けず嫌い”であるはずだから、時間はかかったとしても上手くなって、かっこよくなれるはずだ、そう思っていた。

うん。

なんか凝り固まった文章になっちゃったけど、何が言いたいのかというと、“負けず嫌い”じゃなくてもいいんじゃね?ってことだ。確かに競争の激しい世界で生き残るのは“負けず嫌い”な人なのかもしれない。人々の心を強く揺さぶったり、自分もがんばらなきゃって奮い立たせたり、応援したいって思わせたりするのも、“負けず嫌い”な人なのかもしれない。でも、この世界は“負けず嫌い”な人で成り立っているわけでも無いし、“負けず嫌い”な人が絶対正義なわけでも無いのだろう。だから当然、“負けず嫌い”を強要されても、拒否する権利はあるよねって話。

「負けるのは嫌いなの?」と聞かれると、「はい」と答える。「負けず嫌いなの?」と聞かれると、首を傾げる。そんな人は意外と多いのかもしれない。そして、それは矛盾しているけど、間違っている訳ではない。

小さい頃から「“負けず嫌い”であること」を強要されてきた。いや、強要はされていないかもしれない。強要されているように僕が勝手に感じてきただけなのかもしれないけれど、性格としてではなく、努力として“負けず嫌い”であることを求められてきた気がしている。しかし、自分は“負けず嫌い”な性格では無いことに気づいたとき、肩の荷が少し軽くなったのは事実だ。

“負けず嫌い”が悪いとか、“負けず嫌い”になるなとか、そういうことを言いたいのでは無い。“負けず嫌い”を崇拝したり、押し付けるような風潮を批判したいという感情ともちょっと違う。ただ、そのような「負けず嫌い至上主義」に押し潰されてストレスを感じている人、この世界で“負けず嫌い”になること以外の道が残されていないと感じてしまっている人に、言いたい。

“負けず嫌い”じゃなくてもいいんじゃない?

自分が勝つより、あの人が勝った方が嬉しい。
目立った成果は出さなくていいけど、陰でみんなの役に立ちたい。
そんな感情は、“負けず嫌い”な人も含めてみんな持ってるものじゃないんだろうか。

サッカーの話に戻るけど、攻撃のときにチーム全員が前線へ走りだすリスクは大きい。やはり、誰かが自陣に残って相手のカウンター攻撃に備えなければならない。自陣に残ることは、“負けず嫌い”では無いからではない。「なぜお前も攻撃に参加しないんだ?やる気ないのか?」と怒るのは、とんだ見当違いであることは誰でもわかるだろう。チームのために、チームが負けないために自陣に残るのだ。そういう人がいなければ成り立たないから。

たぶん、僕は争い事とか、相対評価の仕事とかは向いていない。勝てるんなら勝ちたいけど、自分より強そうな人たちがいたり、それこそめちゃくちゃ“負けず嫌い”な人がいたら、「勝ち」を譲ってあげたくなる。

これは「逃げ」だと言われるかもしれない。そして、確かにこれは「逃げ」だと言われても、僕は何も言い返すことはできない。しかし、僕自身、それを「逃げ」だと思ってはいない。僕はそういう性格で、そもそもそういうのには向いていないから、その土俵に立つこともしない、ただそれだけである。もっと自分に向いていることがあるし、他に自分が力を注ぎたい土俵もある。勝負事の土俵から逃げるのは、本当の「逃げ」では無いと思う。そう思いたい、というだけなのかもしれないけど。

「探し」ている。自分が本当にやりたいこと、向いていること、実力の限り注ぎたいと思えることを探している。

将来のこととかを考えると、社員を多く抱える企業に就職できたとして、その中で自分が同期を蹴落として出世できるような未来が想像できない。それよりも、小さな会社や、自分が立ち上げた会社で出世を気にせず、誰かのためになることに全力を注ぐのが向いているんじゃないか、とか色々考える。

やはり、ここまでひたすら「“負けず嫌い”じゃなくてもいい」という主張を押し通してきた自分でも、これは「逃げ」なのかもしれないという気にもなってくる。ここまで読んでくれた人にも申し訳ないけれど、それくらい、僕の意思もへたれているということだ。なんというべきか、かたじけない。ただ、こんな僕にも共感してくれる人が1人でもいてくれたら、僕は嬉しいし、ちょっと勇気が湧いてくるというだけだ。

セブン・イレブンのかりんとう饅頭が美味しい。この世界にはその事実だけで救われる気持ちというのもある。別に、「逃げ」だって思われても、宮崎駿の「君たちはどう生きるか」の映画の意味が全くわからなくても、それ以外の揺るぎない事実というのもまた、自分の中に大切に保管してあるものだ。そして、それがまた新しい何かを見つける鍵になったり、ならなかったりするのだ。

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