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モザイクデザイン研、青について。日本の青と世界の青と。

モザイクデザイン研究から生まれた、色の旅へようこそ!

モザイクアートって何?という方は、モザイクについて書いていますよ。↓


さて、3回目の色のテーマは、

青。

青が苦手、青が嫌いな人って、なかなかいないんじゃないでしょうか!?

フレスコ画も教えている私としては、ピグメント(西洋顔料)としての西洋の青系が青の代表です。(後ほど詳しく↓!)

日本の青ってどんな感じかな!?

では、

とても身近で、スゴーく奥深い青の旅へ、vamos!(バモス!スペイン語でlet's go!)

モザイク に使う、アートクラフトタイルの

青系を西洋の色と日本の色に

当てはめてみました。 

西洋の青

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日本の青

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①西洋の青(左から)セルリアンブルー。

ラテン語で「空」が語源のセルリアンブルー。

セルリアンブルーはもともとは、セレストと同様に空の色(スカイブルー)のひとつだった。しかし、19世紀中頃に生産が広がった硫酸コバルトと酸化亜鉛と珪酸から合成される鮮やかな青色顔料にセルリアンブルーの名がつけられ、色名として定着した。ちなみにセレストブルーは、神のいる至高の空の色だそう。その他にも、ゼニスブルーは、天頂の空の色、ホライズンブルーは地平線の空の色など空の青の中にも、種類がある。

それに対し

①日本の青(左から)(縹色(花田)はなだいろ)。

縹色(はなだ色)は、藍色より薄く、浅葱色より濃い色を言う。

※藍とは、(左から④)藍草で染めた色のこと。顔料は、鉱物由来に対し、染料は植物由来が大半になる。(稀に動物由来も。ご興味のある方は、前回、前々回の、テーマ、赤、紫、も見てくださいね。)

縹色の色幅で、濃縹、中縹、次縹、浅縹とわけられている。一般に縹色と言われているのは、中縹くらいの色調。(画像の縹色は、中縹)

平安時代の人々は、この縹色だけを「青」と考えていた。

正倉院の楽器、「琵琶」を入れる袋に「縹地大唐花文錦」がある。

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②西洋の青(左から2)スカイブルー。

名前のそのまま、空の色。アメリカの色名辞典では、夏の晴天の10時〜15時の間、水蒸気や塵の少ない上空を直径一センチの穴から役30cmはなれて覗いた時の色を、スカイブルーとしたそう。

②日本の青(左から2)空色。

17世紀初頭、中国の明の時代、宋応星が書いた産業技術書の、「天工開物」の中の「晴天色」は、淡い藍に軽く蘇芳を刷くとある。「天工開物」は江戸時代に日本に輸入された。

しかしもっと昔、「源氏物語」に出てくる源氏が朝顔の君に贈る歌、「空の色したる唐の紙」の空の色は、時雨模様の空で、薄黒色である。古(いにしえ)の日本人は、必ずしも、「空の色=晴天」ではなかった。

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③西洋の青(左から3)ベビーブルー。

その名の通り、乳幼児の服の標準色。ベビーピンクもある。

③日本の青(左から3)水浅葱。

浅葱色にも、縹色①のように色幅があり、水浅葱は、浅葱色より薄く、甕覗(かめのぞき)より少し濃い色。ちなみに、甕覗は、最も薄い藍染で、甕にはられた水に空が映っつているのを覗いて見た時の色ともいわれる。浅葱色は、武士の死に装束の色で、新選組が羽織等で使用したことが有名。それに対して、水浅葱は、江戸時代の囚人服の色だった。水浅葱と言うだけに、染料に水を加えて手間のかからない安価な色だったからそう。

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④西洋の青(左から4)インディゴ。

藍は植物の名前ではなく、藍を染める材料となる葉のことで、その種類は世界中に存在する。↓

❶インド藍 (マメ科。インド、インドネシア、アフリカ西部などで栽培される。インド原産)

❷大青(たいせい)(アブラナ科、ウォード。ヨーロッパ。※北海道、アイヌの藍はウォードの藍。)

❸琉球藍(キツネノマゴ科。沖縄、中国南部、ブータンなどでも栽培。インド北部、タイ、ミャンマーあたりが原産といわれる。中国では、馬藍といわれる。

❹蓼藍(タデアイ)(タデ科。日本、中国北部など高温多湿な地域に生育。インドシナ半島原産。

インディゴは、その名の通りインドの藍(❶)。ヨーロッパ諸国の大航海時代にインド藍がヨーロッパに伝えられた。インド藍に普及により、ヨーロッパ原産のヴォート(大青)からインド藍にうつり変わっていった。

④日本の青(左から4)藍。

日本では蓼藍(タデアイ ❹)が使われてきた。5〜6世紀頃、中国から渡来したもので、平安時代は播磨国と、京都南部、鴨川の下流にあたる9条あたりの湿地が主な産地だった。

その後、豊臣秀吉の腹心、蜂須賀家政が阿波徳島の藩主となった時、タデ科の藍は、水分の多い土地を好み水害にも強い面があるため、洪水の多かった吉野川の氾濫を逆に利用して、藍の栽培を始めた。瀬戸内海の水運の発達によってこの地方で「蒅 スクモ」という干藍の形で各地に運ぶ事が可能になった。

徳島の藍の栽培が盛んになったころ、日本でも木綿の作付けが可能なり、関東以西の温暖な地によって栽培されるようになった木綿と相性の良い藍染めは盛んになり、村々に「紺屋」ができた。

絣(カスリ)、型染、筒描(ツツガキ)など、庶民から将軍大名まで幅広く藍の青は広まった。

茶屋辻(ちゃやつじ)は、江戸時代前期(友禅染にやや先行する)に徳川家 大奥・御三家の5月~9月まで着用する帷子だった。
帷子とは、質の良い麻布で一重仕立ての夏の着物のことで、徳川御三家の女性だけに着用が許された藍染の極みの染色技法。一般庶民の使用は禁じられていた。

明治の初め、日本に来た外国人は、そうした日本の藍の普及を目の当たりにして「ジャパンブルー」と呼び称賛した。

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⑤西洋の青(左から5)コバルトブルー。

1777年に発見されたコバルトアルミン酸塩の顔料の青。

古代エジプトでも使われていた最古のコバルトはズマルトという。

ルノアールは、「セーヌ川の舟遊び」で明るい川の水を淡い緑の上に、純粋なコバルトブルーを重ねて描いたと言われている。

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⑤日本の青(左から5)紺。

濃く深く、わずかに赤もしくは紫ががった色。大化3年(647)7色13階の冠位の制で、五番目、青冠に紺が用いられ、「紺」を「ぶかきはなだ」と読ませていた。

桃山から江戸時代にかけて、木綿が普及するに従い藍染が盛んになり (④日本の青、藍。参考)「紺屋」が地方にも広がった。

江戸時代に職人や商人の仕事着として紺地の法被(はっぴ)が流行した。背中に一目でわかる商店の屋号や、商売を一目でわかる紋などを入れたため、「紺看板」とも言った。

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極めて濃い紺を「留紺 とめこん」黒みのある紺を「鉄紺」、紫ががった紺を「茄子紺」など紺にもバリエーションがある。

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⑥ 西洋の青  (左から6)ウルトラマリン。

「海を越えて伝わった」と言う意味のウルトラマリン(ultramarine)。西洋では中央アジアから海を渡りやってきた鉱物、ラピスラズリ の青をそう呼んだ。青の鉱物は大変少なく、特に強い紫みの青のラピスラズリは、アフガニスタンなど限られた地域でしか産出されないため、とても貴重なもので今もウルトラマリン(天然原料)は大変高価な顔料の一つ。

ラピスラズリ は、もっとも古くから珍重された鉱物の一つで、エジプト、ツタンカーメン王の腕輪として使用されている。

キリスト教絵画では、聖母マリアの服の色に使う色ということから「マドンナブルー」ともいわれる。

ラピスラズリ⬇️

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日本の青(左から6) 瑠璃色。

日本にガラスが入ってきたのは弥生時代。中国から運ばれ日本でも原料を輸入しながら日本でも作れるようになった。シルクロードの交流でガラスの生産地として優れていたササン朝ペルシャ時代(今のイラン)で生産された椀や杯が東に運ばれ、瑠璃色をした杯が正倉院に伝えられている。日本では、瑠璃は仏教の七宝の一つ。その色を瑠璃色。

※七宝とは。

『仏説阿弥陀経』では、極楽浄土の荘厳を、
「金・銀・瑠璃・玻瓈・硨磲・赤珠・碼碯」の七宝で説く。 瑠璃は青色の玉(ぎょく)、玻瓈は水晶、硨磲は白い珊瑚または美しい貝殻を言う。赤珠は赤い真珠で、碼碯は今の碼碯ではなく、エメラルドである。
まことに珍重すべきもの、富貴の象徴として表される。

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日本の青、世界の青の違い、いかがだったでしょうか。

あんなに爽やかな水浅葱が、江戸時代は囚人服の色だったとは意外でした!縹色だけを青とするとは、平安時代はより色に厳密だったというか、繊細だったというか、、、、、、平安時代はすごいですね。

ジャパンブルーの藍にも歴史あり!ですし、

個人的には、ルノアールの川の色。やってみたいです😆

こうみると、色自体も原産とか質とか、こだわっていきたくなりますね。なんでも良いものは時間と手間がかかっています。良いものって素敵です!

まだまだ青、深しです!

さて次は緑に行きます!🚙🚙🛻













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