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意識とはプログラミングされた法則以外のものなのか?

地球上で生命ができる確率はプールにバラバラの部品を浮かべて水流で完全なる時計ができるくらいの奇跡的な有り得ない確率だそうだ。しかしそれならば銀河系の月や火星に過去の人類の痕跡が残ってるのはなぜだろうか。人は神が人間を作ったと言うが神なんてものは存在しない。したとしてもそれは神という枠を超えたプログラマーだ。この世は全てミクロからマクロに至るまで法則で成り立っている。しかし唯一、未だ数式化も法則も見出すことができないのが人の意識、いわゆる心と言われるものである。過去に脳が先か心が先かという論争がありデカントの二元論が主流だった時代があった。簡潔に言うと先に心があり、それが肉体に宿ることで意識が芽生えるというものだ。幽霊というのがその肉体がない状態のものを指すのだろう。近年の脳科学の研究の発達でそれも、打ち消されてしまったようだがまだ一部には根強い信者もいる。話を戻そう。なぜ神と呼ばれる存在は宇宙を基盤として人類という生命体を繁殖させるようにプログラミングし、なおかつ人類の脳にのみ複雑な脳神経細胞を増殖させたのだろうか?結論からいうと私にはただのゲーム感覚のように思える。それに人類なんて所詮は三次元空間でしか生きられない存在だ。我々は神のようなものがその過程を楽しむゲームのために用意されたのかもしれない。パラレルワールド(同時進行世界)があるという仮説は、ゲームの選択肢によって結果が異なってくるというあのシステムと同じだと思えば合点がいく。しかしゲームには予測不能な要素がなければ高度な知的生命体にとっては面白くもないし価値もないだろう。その予測不能なプログラムとして受け付けられた要素が数式化できない人の意識だ。その意識の正体はそれこそ我々を作った者の一部であり、その者とコンタクトできる手段でもあり、未知数の領域だ。

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