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火垂るの墓で清太の自己責任論を振りかざす人達

どうも。夏はやっぱりジブリ祭りですね。
火垂るの墓がテレビで放映されるたびにネット上で
「節子を死に追いやったのは清太」
「戦争が原因ではなく清太の自己責任だ」
という声があがり毎回炎上するのがデフォルトのようですが
とてつもなく不愉快な思いに駆られます。

「高畑の映画には詩情がある。おれはあいつに惚れてるんだ。あの男にはマルキストの香りが残っている」
と今は亡き氏家さんはおっしゃってました。
高畑監督がこの映画で世に伝えたかったメッセージとは戦争阻止というよりも洗脳教育は恐ろしい、宗教思想は危険だ、というイデオロギーな事だったのではないのですか?と天国の監督に聞いてみたい気もします。

当時少数派だったナチス派が独裁政権になり大量殺戮を実行してゆく過程で
それが実現されてゆく細かなステージを調べると
ヒトラーに触発された熱烈信者たちが世間を動かしたわけでもなんでもなく
殺戮実行者は「上の命令に従っておけば自分は助かるし誰が死のうとどうでもいいや」
という、いわゆるイデオロギー等に無関心な層だったということが見て取れます。

その層と戦争孤児は自己責任論者たちがどうしても同一に見えてきます。

SNSなどで彼等を観察しているととにかく自分の利益にならない事には一切エネルギーを費やしたくないらしく「デモなんてくだらない」と冷笑し見ないふりをする。自然災害までも「危険な場所に住んでるせいだ」と自己責任にしたりと非人間的なロジックで弱者を攻撃しながら
自分の幸せだけを追求して何が悪いの?自分のことが好きで何が悪いの?とばかりにふんぞりかえっている人が多いです。

カルト宗教に染まる人の方がまだ人間的だと思える
この薄ら寒さって何なのでしょう。

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