見出し画像

きょんこハートは宇宙のはじまり、と、それから

 以前、別のブログにて日向坂46の8枚目シングル『月と星が踊るMidnight』がリリースされた時に書いた内容なのですが、せっかくなのでこちらにもと思い、さらにそこに多少加筆したものです。

ーーー
 ふざけたタイトル(旧タイトル『きょんこハートは宇宙のはじまり』)をつけてしまいましたが、10月26日発売の日向坂46 8thシングル『月と星が踊るMidnight』についての感想文のような記事です。なんせ今日発売だから。

 といっても、この曲については高瀬愛奈さんが自身のブログで「ひらがなけやき時代の曲の主人公が成長して、今またこのタイミングで過去を振り返りながら、時代が変わっても前を向いていろんなものに立ち向かいながら頑張ろうとしているような、そんな歌詞だなと個人的には感じとれました。」と書かれていて、これがもう過不足ない完璧な曲紹介でこれ以上のことは書けません。はい。なので、これから書くのは不要で野暮でオタクの妄想垂れ流しな文章となるわけです。それでも書かずにいられないのがオタクだから…

 というわけで、今回のシングルのセンターは1期生の齊藤京子さん。もうね、この表題曲『月と星が踊るMidnight』は、齊藤京子さんが歌うことで完成する(完成した)曲といっても過言ではないでしょう。それをまず最初に感じましたし、改めてアイドルソングは「誰が歌うか(誰がセンターなのか)」が曲の拡がりを増幅させるということを実感しました。齊藤京子さんはその見た目のクールさや低音ボイスから勘違いされることもあるのですが(ご自身も色んなところで話されていましたが)、熱を宿した言葉を臆することなく吐き出せる人です。今回の表題曲センターについても、自身の出演番組(『キョコロヒー』)では「制服がちぎれるくらい番組にでたい」と話されていました。野望や夢を語ることはこの冷笑の時代と相性が悪いのかもしれませんが、そのストレートで飾り気のない言葉は確実に誰かの胸を打ち、そしてこの曲の威力を増すのです。

 同じ言葉を何度も繰り返すサビ、そして感情をむき出しにしているかのようなダンスパフォーマンスが目を惹きます。それはまさに、心からの叫びであり衝動そのものなのでしょう。歌詞の中に何度も登場する「憂う」は見通しのない将来に対して心配することであり、私たちは将来のことに対して不安に押しつぶされそうになり、そして思い描いた理想と現実との距離の大きさに焦り、苦悩し、生まれ変わることすらを望んでしまいます。ですが、もちろん人生をやり直すことはできないわけで、その当たり前で冷酷な現実に絶望すらしてしまうわけです。しかし、ラストサビの「憂いとは可能性」という歌詞にもあるように、将来を心配するということは将来を諦めていなことと表裏一体でもあります。将来の可能性を諦めてしまったならば、「憂う」こともないわけですから。その意志の強さを存分に押し出した曲であり、だからこそ齊藤京子さんが歌うことで完成する曲なのです。

 そもそも「日向坂46」というグループがこの曲名(『月と星が踊るMidnight』)を出すということも、特徴として目立っているように感じます。太陽の出ている時間帯というのは人間が活動している時間であり、そこには社会が存在します。人間が創り上げてきた社会は、確かにより便利になるようなめらかに進化してきたけど、密度が高くて、時折息苦しくて、また理不尽なこととも出くわすことだってあります。そんな太陽の出ている時間からはみ出したミッドナイトの時間。明るすぎて見えなくなっているものが浮かび上がるものがあって、月と星もその一つなのでしょう。自分と空に浮かぶ月や星だけしか存在しない空間(そして時間)。その時空だからこそ吐き出せる言葉を、きっと人はみんな持っているのだと思います。

 また、MVの舞台が天文台であり、そして星空を取り込んだ映像からは、人間社会のスケールを超えた宇宙規模のイメージを想起させます。そういえば何かのインタビューで、今回のシングルは「つながり」を意識した振り付けであることを話されていましたが、そのつながりは(一列になったり全員で手を繋ぐ振り付けがあるように)グループのメンバー同士の「つながり」であることはもちろんのこと、時間の「つながり」であるとも考えられます(考えました)。この8枚目のタイミングというのは、渡邉美穂さんが卒業されてからの初めてのシングルで、また宮田愛萌さんも卒業発表をされ、そして新たに4期生12人の加入が発表されたタイミングでもあります(4期生は表題曲には参加してませんがカップリングに4期生楽曲『ブルーベリー&ラズベリー』が収録されています)。人間の歴史や社会も絶えず変化していきますが、その一方で夜空に見える星や月は人間の歴史尺度を超えて存在しているものです。

 グループアイドルも、卒業するメンバーがいてそして新たに入ってくるメンバーもいて、そうやって絶えず変化していく中で、シームレスに繋がり継承され続けている確かなものがあるわけです。ひらがなけやきで『それでも歩いてる』のセンターを務めた齊藤京子さんがこのタイミングでセンターを務めるというのも、そのつながりの尊さを感じずにはいられません。

 そして、そのつながりはきっと言語化されなくとも共有されているものなのでしょう。最近読んだ霊長類学者のエッセイで「人類が言葉をもつ以前のコミュニケーションの方法は音楽であった」という文章がありました。音楽的なコミュニケーションは、歌だけではなく、身体でリズムをとり一緒に踊ることも含まれます。言語不要の身振り手振りのやりとりが同一集団で共有されるリズムとなり、身体が共鳴しあうことでお互いの社交を深め、そして次の世代へも継承されてゆく。人間とは言葉がなくとも「つながる」能力を持っているものなのでしょうね。話が壮大になってしまいましたが、そういったこともひっくるめて想像してしまう、そんな日向坂46 8thシングル『月と星が踊るMidnight』です(つい先程公式チャンネルでやっていた「生ひなリハ」を観ながら思いました)。

ーーー

 ということを、『月と星が踊るMidnight』の発売日に書きました(読み返してみると、稚拙だしとにかく勢いで書いているな、と思いました。反省)。
 それから、1年半後。卒業コンサートを控えた2024年4月。つい数時間前には、齊藤京子さんがセンターで日向坂46としてはラストソングとなる『僕に続け』のMVが公開されました。 

 齊藤京子という人間がアイドルになり、メンバーと出会い共に歩み、そして卒業してグループから離れていくまでを綴ったロードムービーのようなMV。始まりは一人だけで、終わる時も一人きりで、でもその間に誰と出会うかなのでしょうね人間って(考えてみれば、人間は生まれてくるときも死ぬときも一人なわけですし)。昨年12月に卒業された潮紗理菜さんが「人は必要な時に必要な人と出会う」という言葉を大切にされていて色んな媒体でも繰り返しその言葉を綴られていましたが、それを同時に思い出しました。
 また、人生を航海になぞらえた歌詞ですが、生きて何かを求め続けるかぎり旅も続いていきます。それは楽しいだけでなくてもちろん別れがあって悲しみがあって。だけども辛いだけではなくて、齊藤京子さんがアイドルを卒業してグループを離れたあとにどんな航海をしていくのか、寂しさの中にそういった希望をも感じさせる力強い歌詞が印象的でした。
 そういえば今のように航路が発達していなかった時代には、自分の位置がわからなくなる海の上で船を進めるために星が目印となっていました(ということも含めて最後の曲のテーマが「航海」なのは偶然なのか意図されたのかニクいところですね)。齊藤京子さんがグループを離れて新たな航海をしていく時にも、日向坂46というグループでアイドルをやっていたということが、1つの星のような存在になっていたらいいな、と1ファンにすぎない私は押し付けがましくも思うのでした。

 でもな、やっぱりさみしいなぁ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?