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国際通貨ドルの慣性

米国は中央銀行デジタル通貨(CBDC)の開発に乗り気でない。FRBはむしろCBDCを警戒しているという。一方、欧州や中国はCBDCの実現に向けて実証実験を実施して前のめりの姿勢が見える。

2023年9月に公表されたIMFスタッフによる報告書では、CBDCが脱ドルを進めるように作用する可能性があるそうだ。果たしてそうだろうか。

コストから決済通貨を考える

決済通貨をドルから他の通貨へ乗り換えするのは容易ではない。そもそもドル決済にかかるコストが小さい。為替以外の世界でもそうであるが、コストは取引量の減少関数となる。外国為替市場においてドルが使用される比率は圧倒的に大きい。

例えば、貿易決済のためにタイバーツと韓国ウォンを直接交換しようとしてもドルを媒介させて交換するよりもコストは高くつく。金額、交換レート、タイミングの全てがかみ合わないと取引は成立せず、これらの条件が全て成立することは難しい。

また、企業が為替リスクを管理する上でもドルを為替媒介通貨とすることにはメリットがある。リスク管理のために為替相場の動向について情報収集と分析が必要となるが、ドルを軸として経済情報にアンテナを張れば済むことになる。

スイッチングコストも大きい

それに加えて決済通貨を乗り換えるにはスイッチングコストがかかる。スイッチングコストとは、現在使用している商品・サービスから別の商品・サービスに乗り換える際に発生するコストや金銭的・心理的負担のことをいう。

スマホを思い浮かべてもらうといい。アンドロイド・スマホからiPhoneへ乗り換えるとしよう。機種変更に費用がかかるだけでなく、操作方法やアプリの使い方に慣れるには時間がかかる。これがスイッチングコストである。

ドル決済に係るスイッチングコストを具体的に考えてみよう。日本企業による国際決済はドルでの取引を前提としてリスク管理体制が構築される。構築すると一言で表現しているが、体制作りには時間と金がかかる。

大手メーカーや大手商社のように複数の海外支店がある企業では為替リスクと送金手数料の削減を目的として「マルチラテラル・ネッティング」が行われている。日本の本社やシンガポール辺りにネッティングセンターを設けて集中的に資金管理をするという手法である。

管理の中身として次のような項目がある。社内レートやヘッジ基準の策定、管理組織や管理方針の構築、調査分析の部署設置など多岐に渡る。また、為替リスクに係るノウハウを蓄積し、ノウハウを修得した人材を育成するにも時間がかかる。

こうした負担を凌ぐメリットなければ、決済通貨をドルから他の通貨へわざわざ切り替えることはありえない。それまでの投資が部分的であるが埋没費用となってしまう。

基軸通貨ドルの慣性

国際金融論の教科書では、ドルが基軸通貨であり続けることを形容して「慣性が働く」という。また、多くの人が使うから使わざるを得ない「ネットワーク外部性」が効いているという表面的な説明で終わる。

学者も少し謙虚になって実務の世界を学べば、上述した「慣性」の内実を実態に即して説明できるようになるかもしれない。学界を見回すと、そういうスタイルの研究者が減ってしまったと少し寂しい気がしている。

本筋に戻ろう。ドルが基軸通貨である背景にはビジネス上のメリットがある。これはよほどのことがない限りは崩れそうにない。歴史を振り返ると、基軸通貨のポンドからドルへの漸進的な移行の契機となったのは第一次世界大戦である。

第一次世界大戦の勃発によってポンドによる国際決済システムは機能不全に陥った。ロンドン市場での貿易手形の引受・割引業務が事実上停止したのだ。このため米国によるラテンアメリカ、アジア向け貿易は支障を来すこととなった。そこで米国はドル建て貿易金融に乗り出し、二極通貨体制へ移行していくことになった。

CBDCへの関心が高まり、国際通貨システムへの影響が議論されることがある。しかし、スイッチングコストの大きさを勘案すれば、未曾有の有事が起こらなければドルに基軸通貨の慣性が働き続ける。

参考文献

  • 金森亨(2023)『為替リスク管理の教科書〈改訂版〉』中央経済社

  • 橋本優子・小川英治・熊本方雄(2019)『国際金融論をつかむ【新版】』有斐閣

  • 山本栄治(1997)『国際通貨システム』岩波書店

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