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国際通貨ポンドの機構

機構とは機械などの諸部分が互いに関連して働く仕組みのことであり、メカニズムと言い換えられる。ポンドはどのような機構によって国際通貨の機能を果たしたか、歴史を19世紀まで遡ることによって確かめる。国際通貨ポンドを知ることで現在のドル体制、そして人民元の国際化を評価する際に役に立つはずだ。

1. 多角的貿易ネットワーク

機構の成り立たせる要素の1つは多角的貿易ネットワークが確立されたことである。経済覇権国であった英国は自由貿易体制を支持したことによって国際通貨ポンドの基盤を固めた。

19世紀当時における英国を中心とした国際貿易と国際決済はどうなっていたか。模式的に俯瞰したのが下図である。英国、工業国、農業国との間でのモノとカネの動きが描かれている。

出所:倉都(2012)を元に筆者作成

貿易ネットワークを見よう。新興の工業国であるドイツ、米国から英国は工業製品を輸入した。工業国は一次産品をインド、オーストラリアといった農業国から輸入する。英国は植民地等へ綿製品の輸出し、鉄道等のインフラ投資をした。高校の世界史で学んだアヘン貿易、奴隷貿易といった三角貿易と類似した構造になっている。

こうした国際貿易に伴う国際決済にポンドが使用され、モノの流れと逆向きで三国間を循環した。英国が関わらない、工業国と農業国とにおける決済でもポンドが用いられたことが国際通貨としての特徴に挙げられる。

2.多角的決済メカニズム

上で解説した貿易取引はポンド建てロンドン宛て手形によって決済された。ロンドン宛てというのは、具体的にはロンドンに所在する個人銀行であるマーチャントバンカーを受取人とする手形ということだ。

ここで活躍したのがマーチャントバンカー(引受商会)である。引受商会は信用状発行によって貿易手形の支払保証し、為替手形を貿易引受手形へと信用力を高めた。また、マーチャントバンカーがヨーロッパ、北米の大都市にネットワークを張り巡らせコルレス関係を結んだ。ポンド建て債権・債務がロンドンに集中し、効率的に相殺できるため国際決済が可能となった。

なお、農業国や植民地との決済はイギリスの植民地銀行が担った。植民地銀行はポンド為替の売買と取立を業務としており、カナダ、オーストラリア、南米、アジアと広域的に拠点を設置した。

1860年から第一次世界大戦まで世界貿易の60%がポンドによって決済されていた。多角的決済メカニズムこそポンドを決済通貨として機能させた機構である。ロンドンは「世界の手形交換所」と形容されていた。

3.国際金融ネットワーク

ポンドを投資通貨・調達通貨として機能させたロンドンを中心とした国際金融ネットワークはどのようなものだったか。

短期金融についてはロンドン割引市場があった。手形を期日前に現金化することを割り引きすると言う。ここで割引されるのは金融手形である。この手形は商品取引に基づかないで振り出される手形である。

手形割引は短期資金を借り入れる手段である。ロンドン割引市場とはポンドの短期金融市場であり、銀行のポンド需給を調整する場であった。こうした使い勝手のよい金融市場があり、ポンドの国際通貨としての利便性は高かったのだ。

長期金融を担ったのはロンドン外債市場である。発行主体は外国公債では外国政府、植民地であった。日露戦争の戦費はポンド建て外債によって調達されたのは有名な話である。また、民間の外債は鉄道投資、鉱山開発を目的に発行された。

外債発行を担ったのはマーチャント・バンク(発行商会)である。発行商会は国際ネットワークを利用して発行者の信用情報を収集した。信用リスクの価格付けがポンドによってなされたと解釈できる。国際通貨の価値尺度機能は貿易取引だけでなく金融取引でも発揮されると分かる。

以上、国際通貨ポンドの機構を学んだ。歴史に学ぶことは現在のドル体制、人民元の国際化を評価する際の参照基準になる。ポンドについては、イングランド銀行の金融政策の国際的影響、そして英国の貿易収支赤字という論点もあり、これらについては別の記事にて取り上げたい。

参考文献

上川孝夫(2015)『国際金融史』、日本経済評論社
倉都康行(2012)「準備(基軸)通貨の来し方・行く末」、『経済研究所年報』、第25号、109-121頁 
山本栄治(1997)『国際通貨システム』、岩波書店

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