見出し画像

同人小説と挿絵の話

 さきもりのおさイラスト担当の武器鍛冶帽子です。はじめまして。ジーぽん兄と交代で、色々雑記を書くことになりました。よろしくお願いします。
 今回はジーぽん兄に頼まれたので、挿絵の話をもう少し掘り下げて考察したいと思います。

絵描きさんはあまりカットを描かない話

 さて、僕は挿絵担当です。サークルではpixivなんかで活躍の竜門寺ユカラさんが筆頭絵描きさんなのですが、カットや挿絵のようなものは僕も結構描いています。もちろん単なる同人絵描きなので、描きたいものを描きたいようにやってます。
 僕が挿絵担当なのは、ちょっとした棲み分けです。実は僕しか描かない絵があるからです。それは「人物じゃない、物の絵」です。
 挿絵はストーリーの中を描写するものなので、メインキャラばかり描くとは限りません。本によってはキャラが入らない、まさにカットと呼ばれる絵が必要なことも多いです。たとえばこんな絵ですね。

絵 武器鍛冶帽子

 これって単なるポリタンクの絵です。なぜこんな絵をと言われても、必要だったから描いたんです。
 でもこれって絵描きさんみんな嫌がります。たぶん描いていて面白くないからだと思います。美少女やかっこいいお兄さんや、恐ろしい怪物とかを描いたほうがいいですよね。ロボやメカを描くのが好きな人も結構います。でもポリタンクとか、廃材とか、ムカデとかそういうものは描いていて面白くないんだと思います。画力からいうと描けない訳ないんですけど、絶対つまらないです。仕事でなら描く人もいるかと思いますが、それでもあんまり描きたくないものでしょう。

 ところが文書の説明や挿絵となりますと、こういうカットが必要だったりします。とくに小説ではなくnoteでよくある論説文とかだと深刻です。わかりやすく、個性が強すぎないカットは文章担当側としてはとても使いたいんでしょうが、絵を描く側としては一番つまらないので描きたくない…ここがミスマッチになっているんですね。だから挿絵とかカットのようなイラストを絵描きさんにお願いするのはなかなか難しい。ジーぽん兄が僕に振るのはそういうわけです。

 最近イラスト屋ってよく使われていますが、あれがなぜ偉大なのかと言いますと、この点だと思います。絵描きが描きたくない、個性もあまり出せないカットをあれだけ供給してくださっているのですから、すごく偉大なんです。イラスト屋についてはいろいろ意見もあるかと思いますが、少なくともあれだけの数を用意することはすごいことだと思います。

 ちなみに僕の場合は他の人よりこういうカットが好きです。サークルでもそういう絵の担当は僕ですし、実は仕事でも時々カットを描きます(本業ではありませんが…)。皆さんの中にも、もしかすると僕の絵を見たことがある人もいらっしゃるかもしれません。まあ普段描かないようなトビムシとか、発電機とかを資料を調べながら描くのは結構楽しいのですが…
 昔、「マジンライフ」って言う題名のファッション雑誌風のイラスト集をみんなで作ったことがあるんですが、このときも僕は「時計」とか、「料理」とかの絵を描きました。料理を美味しそうに描くのは結構難しくて、いろいろ試行錯誤しました。また作ってみたいですね。

絵 武器鍛冶帽子
絵 武器鍛冶帽子

 もちろんお金を出せばこの手のカットはプロの方も描いてくれると思いますが、それは同人じゃなくて商業なので別の話になります。いや、それだって期待どおりになるのは難しいです。だって描きたくないからあんまり調べないですし…興味ないネタだと細部でいろいろ間違いがでてもめたりするんですね。事前説明や資料の提供にも限界がありますし…あと価格もあるんでしょうね。
 結局のところ、描きたいものと描いてほしいものが合わないのでうまくゆかない…なかなかこういうものは難しいジャンルなのだと思います。

クロスオーバーは難しい

 さて、もう一つ…昔話になるのですが、もう三十年前、インターネットが普及する前の話です。
 パソコン通信のニフティーで、電子音楽のフォーラム(サークルみたいなもの)がありました。そこではMIDIとかを打ち込みする人が曲を発表していたのです。ちょうどそのころ、PCのMIDI再生フリーソフトで絵と音楽を同期させるものがあったので(当然WindowsじゃなくてMS-DOS時代です)、音楽ジャンルのクリエイターさんの中で、絵描きさんに絵を描いてもらうのが流行ったのですが…

 ここで結構もめたことがありました。「音楽に絵をつけるのか、絵に音楽をつけるのか」というスタンスの違いで絵描きさんとの間でトラブルが起きたのです。音楽クリエイターさんは、絵は自分の楽曲につける、まるでCDジャケットという意識でしたし、絵描きさんは自分の絵に曲をつけてもらうという意識だったからです。お互いクリエイターだという点は同じなので、どっちが主とかいうのもおかしい話だとは思うのですが…紹介文とかの書き方で差がついてしまうので結構難しい問題でもあります。
 これって小説や文章と挿絵や表紙でもいえると思うのです。実は文章も絵も作品という意味では同等ですし、どちらも単独で成り立つものなのですが、文章書きさんの意識の底に「本文がないと絵は成り立たない。だから絵はおまけ」とかそういう観念があるとやっぱりどこかでうまくゆかない。

 もちろん作品形態によって、主役になるものが決まってくるのは当然あると思うのですが、あくまでお互いの作品を単独で認め合わないとまずいのだと思います。他人の作品を(それが音楽であれイラストであれ、写真やほかのジャンルであれ)対等のものとして尊重し敬意を払う考えを持つことが、複数での合作である「小説+挿絵や表紙」を楽しく継続的に作ってゆく基本となるのだと考えています。

まとめ

 絵を描く立場の僕なので、ちょっと偏った感覚になっているかもしれませんが、思っていることをまとめてみました。

  • 絵描きさんが描きたいものと、文章書きさんが求めているものは違う

  • 挿絵や表紙を含む文章は、実は合作になるのでお互いに敬意を

 この辺の話は、特に趣味で同人をするときに限定した話ではなく、いろんなところで心に留めておくといいかもしれませんね。
 それではまた、次の機会にお会いしましょう。

この記事が参加している募集

振り返りnote

つくってみた

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?