「究極の愛」をさがして

皆さん、どんな恋愛してますか?
言い方変えると、何のために、どんなゴールを掲げて恋愛してますか?

社会学者で宮台真司という人がいます。この人は「究極の愛」についてしばしば語っているので、簡単に内容をご紹介します。

「今の若者は恋愛ごっこにすらなっていない。現代の付き合うという行為はお互いが交友関係を縛るという相互拘束の契約になっている」と。
「そこで異性と映画に行ったり、𓏸𓏸クスをしたりされたら裏切られたと言い、バッサリ関係を切る。愛とは自分の好きな人が幸せになるために自分が何でもやるという無償行為だ。その人といたいから一緒にいるし、その人以外の人とは付き合いたくないから付き合っている。自分がやってあげた分、相手に何か見返りを求めることは、果たして本当の愛なのか?」と述べている。

全部は納得できないにしろ、ちょっと一理あると思いませんか?

僕らの何が間違ってるって、愛というものは自分→相手の一方通行の感情であり、相手がどうとかそういった事情は関係ないんですよ。自分がどう思っているかが全て。

つまり、「彼氏が幸せにしてくれるから〜」とか「誠実そうだから〜」とか、相手→自分に対しての行動で恋愛感情を持つのは本当の愛じゃないんじゃないの、という話。

この人以外と付き合いたくない。この人の幸せに自分が近くに居たい。この人の幸せのために自分は𓏸𓏸したい。こういった感情が本当の愛だと思うんです。だから、𓏸𓏸してくれない→冷めるという構図は結局自分のことが好きなだけで、相手のことなんか最初から本気で好きじゃないんです。

だからといって、相手が裏切る行為をしても我慢するべきと言いたいわけじゃありません。そういった時にあなたの恋愛感情がなくなるのは「大切にしてくれないから or 裏切られたから」ではなく、「自分が無償で何かしてあげたいと思うほどの魅力を感じる人間じゃなくなった」からだと思います。

要は何が言いたいかっていうと、あなたの中で恋愛に打算的な考えを持っているならそれはすぐに捨てるべき、ということです。

傷つきたくない→傷つけてこない人を選ぶ、
周りに自慢したい→ハイスペックな人を選ぶ
こういうような気持ちを持ってるなら、あなたは相手のことを心の底から愛することはできません。
これらを大人の恋愛、と巷で言いますがそれは恋愛ではなく、ただのパートナー契約だと思います。

傷つく覚悟を持って、本気でその人と向き合えたとき。僕らは本当の意味で愛というものの真意を知り、人として、大人として成長できるのかもしれません。

こんなこと言ってる自分もまだ全く愛というものが分かりません。ただ、今は自分の感覚のままに恋愛したいと思います。相手からの気持ちや行動で自分の気持ちを決めるのではなく、能動的な感情を大事にしていきたい。何かを諦めた大人の恋愛ではなく、15歳の恋愛をし続けたいと思いました。それができる保証はないし、自信もないです。でも、人生が終わる最後の走馬灯の瞬間に後悔しない自分であり続けたいです。

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