10マインドフル・ステップス 仏陀の次第説法④諸欲の過患

皆さんこんにちは。

前回の10マインドフル・ステップス 仏陀の次第説法③天の話:後編では、仏陀が次第説法として天の話を説いた理由や天に赴く方法などについての説明をさせていただきました。

今回は、仏陀の次第説法④諸欲の過患というテーマの説明に入りたいと思います。

前回までの説法で、一般の人々に必要な道徳的な生き方と功徳と死後の幸福については一通り説明しましたので、今回からより高度な内容の説法に入ります。

諸欲とは五欲

諸欲には様々な欲が含まれますけど、ここでは眼耳鼻舌身の五感の刺激に対する五欲として説明したいと思います。

五欲とは、①眼で見ることから生じる欲、②耳で聞くことから生じる欲、③鼻で嗅ぐことから生じる欲、④舌で味わうことから生じる欲、⑤身体に触れることから生じる欲という五種類の欲のことです。

五欲は、①感覚器官に対する愛着・②対象に対する愛着・③感覚器官に対象が触れて生じる感覚に対する愛着という三つの着眼点から説明することができます。

例えば、眼で見ることから生じる欲の場合も、①眼という感覚器官と見るという機能に対する愛着、②眼で見る対象物に対する愛着、③眼で対象物を見ることで生じる感覚に対する愛着の三種類の欲や愛着に分類することができます。

眼という感覚器官や機能が壊れると、眼で見て楽しむことが出来なくなるので嫌だという意味では、①眼という感覚器官や機能に対する愛着ということになります。

眼で見る好ましい特定の対象物(綺麗な花など)に対して欲を懐く場合は、②眼で見る対象に対する愛着と説明することができます。

眼で好ましい対象を見ることで楽しみを得ることに対する愛着や、眼で好ましい特定を見て楽しみたいという欲を、③眼で対象物を見ることで生じる感覚に対する愛着とセットでまとめて説明することができます。

一般的なほとんどの欲は、このように五種類の感覚に関係するものとして五欲としてまとめることができます。

五欲が生きる原動力

基本的には、生き物にとっての幸福とは五感の刺激を得て楽しむことであると説明することができます。

世間の人々の感じている生きる喜びというものを、シンプルに分析すると「美しいものを見て楽しみたい」などの五感で五欲を享受したいというだけの話なのです。

世間の人々は、五欲を享受したいので働いたり交遊関係を作ったりしているのです。

例えば、料理を味わって楽しむためには、食材を用意して調理するなり、料理店に行って料金を払わなければ料理を味わうことはできません。

五欲を享受するには対価が必要なので、世間の人々は五欲のために働いているのです。

友人を作ることも、家族を作ることも、突き詰めれば五欲を享受して楽しみたいからやっている行為なのです。


諸欲の過患

諸欲の過患(しょよくのかかん)とは、欲には短所や欠点や危険があるという意味です。

世間の人々は、五欲の楽しみを得るために様々な活動をしていることは説明しました。

五欲の楽しみについては説明したので、次に五欲の危険性について説明したいと思います。

「美しいものを見て楽しみたい」という欲を懐く人の場合でも、美しいものを見て楽しむためにはそれなりの対価が必要になりますし、常に美しいものを見て楽しみ続けることはできません。

世間の人々がお金に執着しているのは、お金自体に価値があるのではなくて五欲の楽しみを得るためには大抵の場合は対価としてお金が必要だからです。

現代社会では、お金でモノやサービスを買うことが一般的ですが対価とは時間や労力なども含みます。

五欲を楽しむためには、お金を払うか時間や労力を使って何かしらの苦労をすることが必要になります。

一杯1000円のラーメンを食べる楽しみは10分で終わりますけど、1000円を稼ぐのはその何倍もの時間がかかるのです。

また、五欲の楽しみは麻薬のような性質がありますので、繰り返すことで耐性がついてしまい同じ快楽を感じることが出来なくなるので量を増やすか質を良くするか別の種類の麻薬を摂取することになるのです。

どんな美女でも、付き合うためには多大な労力がかかりますし関係を維持するにも多大なコストがかかりますが、いずれは飽きて嫌になるようなものです。

また、五欲は感覚器官に依存する楽しみなので、体力や健康の関係で物理的な限界や限度があります。

お金があるからといって、美味しい料理を百人前食べることはできませんし、毎日高級料理を食べ続けてもいずれは飽きて楽しみを感じられなくなります。

モテるからといって、一晩で美女を10人も20人も抱くことは体力的にできませんし、どんな美女と付き合ってもいずれは飽きてしまいます。

若い時に一生懸命働いて財産を貯えることに成功しても、五欲を享受するために必要な体力や気力が老いて衰えて健康も失ってからではお金はあっても楽しみを得ることはできないのです。

五欲を楽しむためには対価が必要でそれは割りに合わないということと、対価を払って五欲を享受してもいずれは飽きてしまうということと、五欲は感覚器官に依存する楽しみだから健康や体力などの肉体のコンディションに左右されて物理的に限界や限度があることが五欲の欠点です。

以上の理由で、五欲を追及しても決して満たされることはないし、五欲の楽しみを得る対価として時間や労力や財産や健康や寿命が失くなります。

これが世間の人々の感じている生きる喜びの実態です。

五欲を追及して、五欲の奴隷として働き、五欲を満たすことができずに、老いて病んで死んでしまうのということが「生きること」です。


重要なポイント

・五欲とは、①眼で見ることから生じる欲、②耳で聞くことから生じる欲、③鼻で嗅ぐことから生じる欲、④舌で味わうことから生じる欲、⑤身体に触れることから生じる欲という五種類の欲のことです。

・世間の人々にとっては五欲を楽しむことが幸福なので、五欲を得る為に様々な活動をすることが生きることです。

・五欲を楽しむためには対価が必要なこと、対価を払って五欲を享受してもいずれは飽きてしまうということ、五欲は感覚器官に依存する楽しみなので健康や体力などの肉体のコンディションに左右されて物理的に限界や限度があることが五欲の欠点です。

・生命にとっては五欲を楽しむことが幸福であり、五欲を追及することが生きる目的ですが、五欲は満たすことができないので幸福には達することはできないのです。

終わり

今回は、仏陀の次第説法の四番目のステップである諸欲の過患についての解説をさせていただきました。

次回は、10マインドフル・ステップス 仏陀の次第説法⑤罪悪、雑染の解説をしたいと予定しています。

ここまで読んで下さった方々に智慧の光が現れますようにと御祈念申し上げます。