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かみゅ034 逝去。諡号「猫道伴子」(2019年)

2019年2月23日12時05分頃、かみゅくん逝去しました。
1月20日に症状が表面化してから、日に日に衰弱していき2月22日夕方に腎不全末期症状の痙攣が初めて起きる。
そこから急激に悪化していき、痙攣を何度も繰り返した後、最期に低い声で長く鳴き、息を引き取りました。

諡号は自分で考えて付けました。「猫道伴子(ねこどうはんし)」
意味合いは、猫=そのまま、道=武道など〇道・タオ(老荘)、伴=友、子=子供・師。

かみゅ2001年6月25日生まれ、約17歳8ヶ月でした。

かみゅくんは私にとって、友であり子であり師である最良の生物であった。
そんな素晴らしい存在に巡り逢えた事は、人生でとてつもない幸運であった。ありがとう。


2019年2月22日16時台。
ほぼ動けず寝たきりですが、スキンシップで添い寝。


2019年2月22日17時台。
ずっと添い寝も難しく場所を移動しておもらし予防の上へ。


2019年2月22日21時台。
適当な箱があったので、そこにタオルとペットシーツを。
もう殆ど動けないので首輪も外した。


2019年2月23日00時台。


2019年2月23日01時台。
簡易寝床に居させるままが忍びなく、あぐら枕の上で。


2019年2月23日12時頃。
低い声で長く鳴くと同時に肺呼吸の動きが止まる、指1本で心臓マッサージをしたところ、口呼吸を苦しそうにする。耳を当ててみても心臓の音が聞こえない。口呼吸も一時的であって逝去する。
最期の鳴き声と同時に尻尾が膨張していました。


2019年2月23日12時頃。
亡くなる前に箱の中に落ち着かせてから頭の支えが無いので、ペットシーツを畳んで簡易枕を作ってその上に頭を乗せてあげていました。


逝去後、かみゅくんの汚れた部分を拭いてあげ、死後硬直が始まる前に体の体制を整えた。
その後、花屋さんに行き見た目の気に入った薄紫色とピンク色のスイートピー、それとオレンジ色のバラを購入した。オマケで白いスイートピーも付けて頂いた。バラは葬儀に相応しくない言われがあるようだけど僕が気に入ったのと、所詮は人が勝手に決めたこと。オレンジ色は茶トラと近しい印象があるため。
帰宅し、かみゅくんの入った箱へ花を添える。花の気持ちになったら人間のエゴだろうけれども。
そして動物を飼育する事もエゴであり…。


2019年2月23日13時頃。
僕が花を買いに行っている間に、うまく閉じさせてあげれなかった瞼を妻が閉じさせてあげてくれていました。


2019年2月23日13時頃。


2019年2月23日13時頃。

以前から調べておいたペットの火葬車サービスに電話をしたが、本日23日は予約がいっぱいとのこと。一番早くて24日とのことで、体の下に保冷剤を置き、温度の低いお風呂場に安置することに。逝去してから1時間ほどで死後硬直が始まっていた。
お風呂場の扉を開けて名前を呼んでも、もう返事をしてくれない。一緒に添い寝したり、追いかけっこしたり、美味しそうにご飯を食べる姿を見たり……。
ブラッシングされるのが好きな子で、ブラシを見ただけで興奮して早く早くと鳴いてせがんできていたな。
火葬まで1日と少しの時間があるので、度々かみゅくんを安置したお風呂場の扉を開け、かみゅくんを撫でたり、かみゅくんのお腹に自分の顔をうずめたり、かみゅくんの口元にキスをしたり。
病気や死後の影響で毛艶が悪くなるかと思っていたが、変わらずシルクのような手触りのまま。
遺体が綺麗で眠っているようで、かみゅくんを眺めながら走馬灯のように様々な想い出が蘇る。
スーパーに買い物に行っても、かみゅくんが好きだった食べ物を見ては、当時のかみゅくんを思い出す。
写真や動画をたくさん撮っていたから、観ながら懐かしんだり。

困窮体験が多く人間不信が根強かった私にとって、私の行いをそのまま反射してくれる、かみゅくんの存在はとても大切なものだった。
かみゅくんが生後2ヶ月で我が家に来た頃は、私自身が躾の厳しい環境で育った事から、無意識にかみゅくんにも躾を厳しくしてしまっていた。
それでも愛情を示す時はしっかりと示し溺愛していた為か、とても懐いていてくれていた。
かみゅくんは、穏和で優しくて甘えたで賢く、猫の良さと犬の良さを併せ持ったような子であった。
幼い頃は猫らしく好奇心旺盛でイタズラっ子であったり、私が寝ていると構って欲しくて足の指を甘噛みしてきたりした。
私がまだまだ未熟であり、厳しく躾ようとしたり、私の思った通りの猫になるように、かみゅくんに対して時に厳しい接し方をしてしまう事もあった。
軽くであっても叩いてしまった時もあったし、イタズラが酷い時に1日餌抜きとしてしまった事もあるし、イタズラが酷く出掛ける時にトイレに閉じ込めて出掛けてしまった事もある。
その時は、かみゅくん自身がトイレのドアノブを自分で回し扉を開けイタズラをしながら、私が帰った時はトイレに大人しく居て、弱い声で鳴きながら僕は大人しくトイレにずっといたにゃ、と主張していた。
イタズラ云々よりも、その賢さが素晴らしいと思い、ウェットフードの方が好物でありつつも、当時は歯の健康の為にドライフードをメインにしておりながら、賢さを評価してご褒美にウェットフードをあげ、かみゅくんは嬉しそうに食べていた。

人間が何かを飼育するという事は、その飼育対象の生殺与奪の権限を握る事であり、伴侶動物にしろ、家畜にしろ、その是非の判断はとても難しい事であると思う。
仮に猫であれば、野生の寿命は3~5年くらいと言われており、飼育された猫の寿命は12~15年くらいと言われている。
野生であれば全てが自由であるけれども、自己責任濃度は強く大抵は長生き出来ない。
飼育下であれば寿命は長くなりやすいが相応に自由は失われ、飼い主の質が猫の一生に大きな影響を与えてくる。
猫にとっての最適な幸せとは何だろう?
かみゅくんにとって、私と一生の大半を伴に過ごす事は幸せだったのだろうか?
かみゅくんは私にとって、友であり子であり師である最良の生物でした。

認知行動療法の一環として、少年犯罪史・犯罪史・猟奇殺人・連続殺人鬼・通り魔殺人・無差別殺人などを調べた事がある。
脳の構造や神経伝達物質の影響や虐待や虐めなどの後遺症なども調べていた事から、自分も何かが違っていたらテロリストになっていた事と思う。そうならないように救ってくれたのは、かみゅくんだった。
昔に「無に響く 乱の衝動 掻き消して 有で奏でる 伴子の活声」 2007/02/09詠
と句を詠んだ事がある。「伴子(はんし)」は私の造語であり、伴=友、子=子供、子=師、の3つの意味を込めている。
そんな素晴らしい存在に巡り逢えた事は、人生でとてつもない幸運でした。ありがとう。
ペットロス。句を詠んだ頃であったら激しく狂乱していた事であろう。
認知行動療法や、その一環として老荘・菜根譚・仏教を独学で学び、少しずつ自分に浸透させていったおかげで緩和効果は得られているけれども、それでも軽度の鬱状態になっていると自覚。
今まで様々な困難を乗り越えて来たから大丈夫との自信はあるけれども、相応に時間は掛かりそう。


2019年2月24日16時台。
亡くなってから28時間が経過し火葬直前。
妻が閉じさせてくれた瞼が半開きになり、とても悲しそうな表情に。
添えた花の大部分が枯れ出したために取り除いた。


2019年2月24日16時台。
枯れて取り除いた花の代わりに庭に咲いていたサザンカを。


2019年02月21日、体重2.0kg。
昨日夜遅く、一時的にぐったりしていて元気がなく虚ろな感じ。シリンジで水を与え過ぎたのか、カツオたたき1切れ半が多過ぎたのか、虚ろ状態ではなくなった後に最近では久々に嘔吐する。嘔吐物はカツオらしき細切れと黄緑色の液体。嘔吐液が緑色なので内蔵状態の悪化、胆汁が濃くなった為と思われる。吐いてすぐにトイレで力み出すがうまく姿勢を保てずよろけ続ける為、排便し終わるまで支えてあげた。排便はやや柔らかめだった。排便後にお尻を拭いてあげる。
起きたらトイレ周囲と付近で粗相していた。トイレ内でした形跡は無し。少ししたらトイレでしっかり排尿していた。前足に茶色っぽいものが少し付着していたので排便をしたかと思い、お尻に何かついていたので拭き取っていたら血だと気付く。老化?腎不全?刺身による胃腸炎?お尻の拭き過ぎ?歳なので原因が特定し難い。刺身をあげても良いかどうか悩む。夜間は一切何も食べなかったようだ。水も減っていない、シリンジで水遣り。歩くのが一段弱々しくなった。弱々しい声で鳴く、抱っこしてあげると落ち着く。
ブリ刺身10gくらいを食べ、それ以上を食べず。昨夜寝る前から食べれたのはこれのみ。強制給餌はとても嫌がり困難。
立っている時に少しバランスを崩しただけで転ぶ事が多くなった。

2019年02月22日、体重1.9kg。とうとう体重が2kg未満に。
夜間に餌が殆ど減っていない。全く食べていないかほんの少し食べたか?昼間に少しだけ餌を食べる。
夕方に初めての痙攣が起きる。その後横たわったまま殆ど動かず。たまに立ち上がろうとするが立ち上がれず、弱々しい声で鳴くことも。
21時頃にあぐらの上で抱っこしていたら痙攣が再度起きる。
何かを強く噛み締めたいのか右前足を自分で噛んでいた。夕方時はカーペットを噛み歯に繊維が絡みついていた。
万が一の事故を懸念して首輪を外した、もう走るどころか立ち上がる事すら困難な為、脱走や迷子の心配はなく。
丁度良い箱があったのでタオルを敷き吸収シートを敷き簡易寝床を作る。もうまともに動く事が困難である為、下手に動いて怪我や粗相の懸念を回避する為。ぐったりと横たわっているも、名前を呼ぶ声に鳴いて応える。まだ意識は保っているようだ。
深夜体重1.9kg。かなり弱々しい声で鳴く事が増えた。深夜2時近くに、あぐらの上に乗せていたら三度目痙攣。腎不全による痙攣は何かしらの音により誘発される事がある模様。
1回目:携帯のカメラ撮影音(デジカメなら殆ど音がしない)。2回目3回目:あぐらの上に乗せていた時に、私が指をパキポキ鳴らした。

2019年02月23日、早朝6時近くに4回目の痙攣。寝ている間にあったかは解らず。
寝室に丁度良いスペースが無い為、居室にかみゅくんを箱ごと置き、心配なのでクッションを枕にして横で寝ていた。
体重1.9kg。何も摂取出来ていない割には体重が減っていない、排泄もしていないが。
午前8時半頃に5回目の痙攣。午前10時台に2回痙攣。何度も右前足が何かを掴みたいような仕草をする為、右前足を握ってあげる。
昼12時頃に低い声で長く鳴くと同時に肺呼吸の動きが止まる、指1本で心臓マッサージをしたところ、口呼吸を苦しそうにする。
耳を当ててみても心臓の音が聞こえない。口呼吸も一時的であって逝去する。


火葬は以下の「ジャパン動物メモリアル社」にお願い致しました。
親切過ぎるほど丁寧に配慮され対応して頂けました。


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