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「虹獣(コウジュウ)」5章:ルノア 1話:巡逢(ジュンホウ)

 ルノアとなったリルト達は、最初の頃は高揚とした気持ちで過ごしていたが、狭すぎるケージ、粗末な食べ物によって心身を疲弊させていた。ケージの横からは度々同族である猫の鳴き声が聞こえる。甘えて構って欲しそうな声、ストレスからか威嚇するような声。そして、順繰りにどこかへ連れ去られて行く猫達…。あの猫達はどこへ連れて行かされたのであろうか…?そんな事を考えている時に二人の人間がケージのある室内へと入ってきた。一人は保健所の職員のようで、もう一人は一般人のようだ。その一般人からは懐かしい匂いがした、どこかで嗅いだ匂いな気がする…。しかし離れていて匂いが定かではない。その一般人は手に写真を持ちケージに入れられた猫達をじっくりと観察していた。何をしているのだろう?ルノアはその一般人の動向を凝視し観察していた。やがてその一般人はルノアのケージの前へ来て小さな声を上げる。一年と少しの歳月が経っていても毛色が白色から銀色に変わりつつあっても、写真の面影を強く残した姿の猫を見付けたからであった。そう、この一般人こそ四八の孫の七三一である。七三一はルノアと写真を何度も確認した後、ほっと溜息をつき保健所職員へと伝えるのである。
「この猫を私に引き取らせて下さい」
手続きを終えてルノアがケージから出される。そのルノアを抱きかかえる七三一。抱きかかえられつつ七三一の匂いを嗅ぐルノア…。確信する…、この匂いは四八と同じ系統の匂いだ!と、同時に当惑するルノア。四八は亡くなったはず、どうしてこの人間から四八と同じ匂いがするのだろうと。疑問に思いつつも穏やかな匂いに包まれて、疲弊していたルノアは熟睡し出すのであった。

 ルノアの毛並は白をベースに少し灰がかっていた。その毛並が日光に当たると光り輝き銀色のような毛並を映し出していた。ルノアが熟睡から目覚めると懐かしい家の中にいた。四八や母犬と過ごした家である。七三一は戦後暫くは現地に留まり敗戦処理の為に飼育していた動物達を保護し日本へと持ち帰っていたのだ。帰還したのは惜しくも四八が亡くなった四日後であった。七三一は大きく悔やんだ、悔やんでも悔やんでも自分を可愛がってくれた四八はもう居ない。せめてへの想いとして四八が住んでいた家を譲ってもらえないか親戚一同に懇願した。四八の住んでいた家は古く土地の価値も低く、親戚一同はすんなりと了承をしてくれたのであった。亡き四八の家へと住み始めた七三一は、家の中の整理や亡き四八の思い出の品を探し始めた。ふとタンスの上へと目をやると写真立てが飾ってあるのが目に入った。その写真に写る幸せそうな四八とリルトの姿。親戚から聞いた動物用の餌が床に散らばっていた事、つい最近までこの子はこの家にいたのだと七三一は直感的に感じた。それから七三一は毎日、家の周辺をくまなく探し呼び声を掛け、保健所に通うのが日課になっていた。そしてようやくルノアを探し当てたのである。

 熟睡から目覚めたルノアを驚かせないように七三一は距離を取りじっくりとルノアを観察する。目覚めたルノアは懐かしい匂いに甘えたい気持ちが湧き起こり、七三一の足へと頬ずりを繰り返すのであった。それを見た七三一は、ほっと安堵し懐いてくれた事を嬉しく思いつつ、用意しておいた餌をルノアの前へと差し出すのであった。保健所では粗末な餌しか与えられていなかったルノアは、勢い良く食べ出しあっという間に食べ尽くしてしまった。その様子を嬉しそうに眺める七三一。そっと手を出しルノアの喉を優しく撫でる、ゴロゴロと喉を鳴らし嬉しさを表現し応えるルノア。その喉を鳴らす音を聞いて七三一はもう片方の手で首元や背中を優しく撫で出した。嬉しくてリラックスし出したルノアは仰向けになって更なるグルーミングを催促する。それを受けて七三一はルノアの喉を撫でながら丁寧にゆっくりとお腹を撫でる。穏やかで幸せな一時が流れていた。

 平穏な環境で過ごし始めたルノアは幸せを感じつつも戸惑いを感じていた。波乱な日々を送っていた頃に比べれば今の環境は至福とも言える状況である。食糧を自ら確保する必要はなく七三一が用意をしてくれる。孤独を一匹で抱え込む事なく七三一が毎日可愛がってくれる。何不自由のない幸せな日々、その日々に漠然とした違和感を憶える。何故だろう…?全てを自力で獲得した幸せではなく、他からの恩恵を享受した立場であるからなのか?しかし、恩恵を享受する事は悪い事なのか?そうではないように思える。シガール達に同情や後悔の念があるのか?しかし、彼らは自らの命運を自分達で選択していった。今まで犠牲になってくれた生物達は?しかし、自然の掟に従えば仕方のない事である。深く気に留め悔やむほどではない。けれども、ドグマが喰らったあの子の存在は…。こうしている間にも飢餓やらの理由で命を落とす動物達はいる、その現状を知りながら私は一匹ぬくぬくと幸せを満喫していて良いのであろうか。しかし、平穏を得てしまった私は抱いていた原動力となる想いが薄まってしまっている。やはりそこにあるのは、他の動物を助けたい気持ちよりも、自分が助かりたい気持ちが強かったからであろうか。七三一の下で生きる日々を繰り返す事によって、理性が高まり感性が鈍り出し始めていた。ある種の平和ボケであろうか、研ぎ澄まされていた感性を懐かしく思うと同時にもどかしく感じるルノアであった。抱いていたリルトの気持ち、ドグマの気持ち、ルフゥの気持ち、それらが弱まり薄れていくのを感じていた。昔はあんなに壮大な夢を描き邁進する如く目標に向かって突き進めていたものを!昔のような鋭敏な感覚、灼熱の情熱そういったものが平穏と引き換えに失われてしまったように感じる。もどかしい…もどかしい!この平穏は私自らが心から望んでいた事であったのだろうか?与えられて、それが好ましく楽だからと私は怠け出したのではなかろうか?そうしている日々の中で、私は野生の心を忘れ飼いならされたペットと成り果てているのではなかろうか?解らない…。しかし、以前は心の奥底から湧き上がっていた衝動や情熱が消え去ってしまったのは何故なのだろう?私はこのまま平穏な日々を過ごし無難に亡くなっていくのであろうか?その生に魅力を感じると同時に、その生に何の意義があるのだ?と、私は自身に問い掛けたく思った。意義がある生、それはやはり幼少の頃からの想いを昇華し、動物や人間が共存した社会を作り上げる事、それが叶わないまでも動物達が幸せに生き天寿を全う出来る事である。そう考えつつも平穏を得た事により原動力を損なわれたルノアは自問自答を繰り返す日々を過ごしていた。



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