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「ふしぎなキリスト教」の致命的にダメな箇所

(10年以上前に話題になった「ふしぎなキリスト教」という本についてブログに書いた文章を移植しました。
今、読み返してみると、「この時は知らなかったけど、『原罪』という言葉を使わない宗派もある💦」と思ったりもしますが、とにかくこの本は、私が「これがスタンダードだ」と考えているキリスト教の神学とは違う、ということを書きました。↓)

最近なぜかキリスト教に興味を持ち始めた父が、「ふしぎなキリスト教のどこがいけないんだ?具体的にどこだよ?」と電話で聞くので、致命的にダメな箇所を教えてあげました。

314ページ
●プロテスタントは、神を絶対化します。神を絶対化すれば、物質世界を前にしたとき、理性をそなえた自分を絶対化できる。理性を駆使する自分は、神の似姿になっていると言っていい●

キリスト教は、「自分を絶対化できる」から神を絶対化しましょうという教えではありません。カソリックでもプロテスタントでも、こんなことは断じて教えません。
なぜなら、自分を絶対化し、神と同等の位置におくこと、自分が神になることこそが、まさしく「原罪」だからです。

確かに「神はご自分にかたどって人を創造された」とありますが、神の似姿であっても、キリスト教では、人が神に成り代わることはできません。
いや、「できない」どころか、地上のすべての不幸の原因が、人間が神を神と認めずに自分を絶対化したために起こっているのだ、という教えなのです。

「最強の入門書」としては、教えの根本的な部分と真逆のことが書いてあるので、「ダメ」なのです。


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