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子育て支援者のための講座

(⚠️2007年に受けた講座のメモです)

お母さんと小さい子どもがくつろげる広場のスタッフのための講座を受けてきた。

記憶が薄れないうちにメモメモ!(ただし印象に残ったところだけ)

子育て支援とは、要するに母親支援。たいていの父親は育児分担なんてできないから、負担は全て母親へ向かっているため。
ただし、今の20代の父親は家庭志向なので、育児に関心はある。

子どもを産めば誰でも赤ちゃんの欲求に応じて世話を嫌がらない「いいお母さん」になれるというのは神話。育児する時に、子どもに怒り、憎しみ、嫌悪感を向けることがあるのは「あたりまえ」という認識が必要。
実際には子育てに苦痛や辛さを感じているのに、それを抑えつけたり、「こんなことを感じてしまう私は、ダメな母親だ」などと思い続けていると、例えば子どもが泣きやまない時などに、「一生懸命やっているのに、どうして私をこんなに苦しめるの?」と考えるようになってしまう。その認識の歪みが虐待につながっていく。

だから、母親自身も抱かれている、支えられているという安心感の持てる援助が必要。(実家の母親代わりのような)

支援者の心得としては、「傾聴」を学ぶこと。自分の口を閉ざす練習をし、相手の人格を尊重する。そして「共感」を身につけること。例えば、「子どもを殴って蹴ってしまったんです」などと言われた時に、「そんなに辛かったんですか」と支援者に受けとめてもらうことで、そのお母さんは家に帰って子どもに手をあげそうになった時に、ふとその手が止まる・・・ということがある。ただし安易に元気づけないこと。

あまり注目されていないが、幼稚園での母親同士のつきあいで追い詰められてしまう人は多い。「自分は自分だ」が確立されていないと、どうしても人と自分を比べてしまう。そして自分と似ている人たちのグループに入り、その中で同質であることで安心感を得る。けれども、最初はよくても、つき合いが進んでくるにつれて違いは生じてくる。すると異質なものを排除しようとして、「誰かが席を外したとたんにその人の陰口」というようなことがおこり、だんだんと辛いことになってしまう。

人の感情の中で一番厄介なのは「怒り」。受け入れてもらえなかったという経験で人は傷つき、それが怒りになる。忘れたつもりの怒りは心の奥でいつまでも沈澱していて、噴き出した時は、自分や他人への攻撃となる。

人の心は玉ねぎのようなので、薄皮をはがすように、たわいない話から本音が飛び出すことがある。悩みを抱えてその場に来たとしても、最初からそれを表面に出す人は少ない。ニコニコと本当にいいお母さんに見える人が苦しんでいることもある。「話しても大丈夫な人か」と無意識に観察していたりするので、相手が話しやすい雰囲気を作る。

3歳の子どもが口を開けた時、最大口径39mm 喉の奥まで51mm 「えっ?こんなものが?」と想像もつかないようなもので事故が起こる。(巨峰でのどを詰まらせた事故があった)

感想:
「子どもに怒り、憎しみ、嫌悪感を向けることがあるのはあたりまえという認識が必要」というところで、その場に「えーっ ひどいわ!そんなこと言って!」というような空気が全く流れなかったので、ああーみんなそうなのねーと身につまされながらもちょっと安堵した。(「子育て支援をしたい」という人の集まりだったからかもしれないけど)


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