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「あなたは罪人です?」

キリスト教の「罪」という言葉は、「神と人との関係が壊れている」という意味だ。(他にも色々な定義があるけど)
「あなたは罪人です」と言われて、一般の人はどう思うだろうか。「自分はそんなに立派な人間ではないけど、罪人と言われるほどではない」というのが率直な感想ではないだろうか。なかには一方的に責められているみたいに感じる人もいるかもしれない。

ところで、ウツ状態の人はひたすら自分を責め続けていて、それは本人にとって大変辛い。そういう状態の時に、「あなたは罪人です」と言われたら、「追い打ち」にしかならないだろうな、と思うことがある。

やっかいなのは、私たちは無意識に他人の「自責感」を使って相手をコントロールしようとしがちだということだ。例えば「今日は来てくれると思ってたのに…私より仕事が大事なの?」「おい、いつまで閉じこもってるんだ?甘えじゃないか?」など。

権力者も「自責感」を利用して人を動かそうとすることがある。信者を導く立場にある教会の牧師さんも例外とは言えない。「あなたの奉仕が足りないのは、あなたの信仰が足りないからです」というような言い方をする牧師さんがいてもおかしくはない。

ここで私たちが気をつけないといけないのは、「罪」と「自責感」を混同しないことだ。

それは私の経験に基づいて断言できる。ウツの時には「自責感」があとからあとからムクムクと湧いてくるけど、「罪」とは関係ない。ウツの季節(主に秋冬)に気圧が急激に下がると「自責感」がひどくなるけど、気圧の変化と「罪」は関係ない。それは単なる脳のスイッチの問題だ。

実は「自責感」を利用して他人を自分の思い通りにコントロールしようとすることは、誰でもわりと普通にやってしまうことだ。だから、誰かにやられても「私の自責感を利用してる!ひどい!」と糾弾しなくてもよい。「あ〜またやってるわ…私もやるしな…」と思うようにすれば、変に落ち込んだりイライラしたりしないですむ。

私は「自責感」を利用して他人を自分の思い通りに動かそうとすることこそ、「罪」ではないかと思う。なぜなら、「罪」は「神を神と認めないこと」…つまり、神の意志よりも自分の願望を重視して、状況を神に委ねようとしないことだからだ。

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