風街オデッセイ2021

「風街オデッセイ」から1週間。
先週の土曜日は、日本武道館の硬い椅子に腰掛けてたんだなあと思う。

本当に武道館の椅子は尻が痛い。腰痛持ちにはこたえる。
最後に武道館に行ったのは2006年の「忌野清志郎完全復活祭」だから、15年も前になる。あのときも硬い椅子だったはずだが、記憶にないのは、途中からずっと立ってたからだろう。本当にあのライブは客席の熱がすごかった。自分も含めて年寄りばかりだったけど。


今回も客の平均年齢は高い。前の席に、お父さんに連れてこられた中学生くらいの男の子がいて、父親に「最年少じゃないか」って言われてたが、清志郎のファンよりも年齢層は高いかもしれない。


6年前の「風街レジェンド」の国際フォーラムはなぜかアリーナの相当前の方だったけど、今回は2階席。思えば自分にとって最初の武道館だったYMOの散開ライブも、清志郎とBooker T.&The M.G.'sのライブも、完全復活祭も2階席だったような気がする。
今回の「オデッセイ」も、6年前と同様2日間公演だけど、前回と違ってガラリと出演者を入れ替えている。本当は初日のほうに行きたかったけど、仕事があったので2日目にした。が、パンフレットをよく見てみると、レア度は初日の方だったかもしれない。アグネス・チャン、安田成美、斉藤由貴、曽我部恵一。特に安田成美は「レジェンド」で観てはいるけれど、彼女は放送やソフトには入れないという条件での出演らしいので、「生」でしか体験できない。まあ、初日しか行かないと2日目に行っときゃよかったと思うのかもしれない。両方行ければいいけど、チケットも高いしね。

…と思っていたら、なんとバンド仲間のM・M君(名前出していいかどうかわからんのでイニシャルで。知ってる人はわかるでしょう)は通しで行っていたことが、終了直後のオンライン感想会で発覚した。


その二人だけの感想会でもだいたい一致してたけど、2日目に関しては、「レジェンド」同様、吉田美奈子がベスト。というか、現在のJ・POPの歌い手の誰も、吉田美奈子には勝てないと思う。もう桁違い。この日は2曲とも松田聖子で、「瑠璃色の地球」と「ガラスの林檎」。俺は「瑠璃色」で視界がぼやけた。歌を聴くだけで涙が出てくるのは、何年か前の上野公園水上音楽堂で、古謝美佐子の「童神」を聴いて以来だった。
その次が南佳孝の「スローなブギにしてくれ(I want you)」。彼も「レジェンド」で聴いているけど、明らかに今回のほうがすごかった。あとは、女性陣が良かった。畠山美由紀の「罌粟」(ずっと読み方がわからなかった 笑)、中島愛の「星間飛行」など。

で、この畠山美由紀のところは、歌手が入れ替わり、その作品の作曲やアレンジを手がけた冨田ラボが演奏するという「冨田ラボ(恵一)コーナー」になっていたんだが、そうした曲の数々を聴いていて、ひとつわかったことがある。
それは、昭和の歌謡曲やポップスと、今のJ・POPと言われるものの違いでもあるが、簡単に言うと、「ケレン」があるかないか、だと思ったのだ。


前述の「スローなブギにしてくれ」。南佳孝は、まるで歌舞伎役者が見栄を切るかのように「だきしぃぃぃぃぃめてくれぇ」と歌う。それはたしかにクサいのだが、大受けするのだ。逆に冨田ラボの曲はアレンジもメロディーも洗練されているのだが、「引っかかり」がない。畠山美由紀の「罌粟」もすごくいい歌で好きな曲だが、スーッと流れてしまって、今ひとつインパクトに欠ける。それは歌詞をメロディに乗っける際の「乗せ方」が素直すぎるからだと思う。

日本語というのはモーラ(拍)言語なので、たとえば「コーヒー」は4拍(発音すると「こおひい」)。対して英語はシラブル(音節)言語だから、「coffee」は2音節(発音すると「こふぃ」)。さらに日本語は高低アクセント(アクセントの高低で言葉の意味が変わる)で、英語は強弱アクセント(アクセントの強弱で言葉の意味が変わる)という違いがある。


松本隆たちのはっぴいえんどが「日本語でロックをやる」と宣言したとき、「英語ロック派」からの批判で、「日本語はロックに乗りにくい」というのがあったが、それはつまり日本語と英語の構造の違いがあるからである。はっぴいえんどはそれを逆手に取って、発声法や言葉の区切りを変えてみたり、一語を伸ばしたりしていた(特に大瀧作品)。また、はっぴいえんど以前・以降の歌謡曲の作曲家も、彼らほど意識的ではなかったにせよ、メロディがスーッと流れすぎないような工夫はしていた。それは、ヒットさせるために「引っかかり」を必要としたのである。その意味では、はっぴいえんどと動機は違っても、結果として、日本語の自然な発音、発声としてはいびつに聞こえるもの、すなわち「ケレン」があるものが生まれた。

体感としては、そうしたケレンのあるメロディを作れるのは、自分と同世代の奥田民生や宮本浩次あたりで最後かなと思う。

世代としてはそれより2〜3歳上の冨田ラボも、そのあたりはわかっているのだろう。彼が、あえてそれをやる気はないのか、やる気はあってもできないのかはわからない。また、そうした作り方は前時代のものとして、歴史の中で語られるだけなのかもしれない。

そうだとしても、俺はそのケレン味あふれる昭和のメロディーが体に染み付いてしまっている。

それはそうと、このパンフレットの3000円はちょっと高いな。

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