見出し画像

世界一短い小説(ただし空なものも許す)

 世界一短い小説。定説によるとそれは

"For sale: baby shoes, never worn"

だと言われている。訳すならば「売ります: 赤ちゃんの靴、未使用」。これの作者はいまいちはっきりしないが、ヘミングウェイとされることもあるらしい。
 たしかにこれは、6単語のなかに物語をもった名作だと思う。しかし「世界一短い」という看板には疑義がある。ぼくは「世界一短い小説」と言われると「それって0文字の空な小説も許しますか? 」とか聞いてしまうタイプの人間なのだ。最短を考えるとはそういうことである。いま自分がかなりのいちゃもんをかましていることは自覚している。

 さて、世の中には、何か言われたらまず極端な例外を探しはじめる人たちがいる。典型的なのは数学者、プログラマとかだ。
 まず数学者の場合を考えてみよう。数学というにはだいぶ戯画化した説明になるが、「△は〇〇を満たす」という定理を示したいとき、そのような△が何億個発見できたとしても定理の主張が正しいとは限らない。ひとつでも〇〇を満たさない△、つまり例外が発見されればこの定理は成り立たないからだ。そして、例外というのは往々にして、極端なところにある。数で説明すると「0で例外がある」とか「有限では成り立つが無限では成り立たない」みたいな感じだ。だから、とりあえず極端な例を考えてみることは重要である。彼らはそれを探す。
 プログラマも似たようなところがある。Hello Worldよりすこし複雑なプログラムを書いたことがある人なら必ず直面したことがあると思うが、バグというのは思いもよらぬところから出てくる。なので彼らも例外を考えて、それに自分の書いたコードが対応できるか考えるクセが身についている。

 哲学者も例外を探している。たとえば、言語哲学における

「言葉の意味はその指示対象である」

という主張は了解できそうに思える。「富士山」は静岡と山梨の県境にそそりたっているあの山を意味しているのだ、ということだ。
 だが、これは言語哲学の世界ではナイーヴすぎる主張だとしてすでに退けられている。フレーゲが「明けの明星」と「宵の明星」は同じ金星という惑星を指しているがどうなんだ、というところを突っついたからだ。ここから言語哲学は大きく進んでいく。

 ところかわって法学でも、「人の始期」についての議論にはこういう雰囲気がただよう。
 人を殺すと殺人罪。これはわかりやすい規定に思えるが、じっさいは、人の発生過程において、どこからが法的に「人」なのかをはっきりさせる必要がある。「胎児」の生命の侵害には、殺人罪は適用されない。胎児と人の境界を画する説は、

① 独立生存可能性説 
② 出産開始説
③ 一部露出説
④ 全部露出説 
⑤ 独立呼吸説

など諸説ある。日本での通説は③と④だ。それぞれ説については各自、法律にくわしい友人に聞いておいてください。

 数学者、プログラマ、哲学者、法学者、例外を考える職業というのもいろいろある。数学者とプログラマは大いに関わりがあり、数学者と哲学者はある程度交流があるが、数学者と法学者の間にはほとんど関わりがないように見える。個人的には、文理の壁をはさんでいるものの、お互いにお互いの職業に向いている組み合わせではないかと思っている。数学者と法学者。

ください(お金を)