Vol.3 かわいい璃々の悩み3-告白と新たな一歩-

 自分を信じられないという事は、自分を愛する事もできない、という事だ。
 そんな状態で、他人を愛せるはずもない。
 だから璃々は、どんな男性と付き合ってもうまくいかず、もう何人もの彼と別れた。
 告白はされるし、『とにかく付き合ってみてほしい』と言われれば、受け入れた。
 誰とも肉体関係は持っていない。そこまで進展する前に、別れてしまうのだ。
 周囲はそんな事とは知らず、また思ってもみないようで、陰口をたたく女たちは、『いろんな男をとっかえひっかえ』『誰とでも関係を持つ』とデタラメばかりを言う。まるで実際に見たかのように、ありもしない作り話を吹聴する者だっている。
 そんな話を耳にすると、あまりに虚しくて、「この現実は本当に現実なの?実はバーチャルの世界なんじゃないの?」とさえ思ってしまう。
(このまま私は、一人なのかもしれない…)
 そう考えると怖くなり、弱い自分が嫌になって、どうにか早く抜け出したいのだけれど、どうすればいいのか分からなかった。


「璃々、これからは結婚を前提に付き合ってみない?」
 ある日のデートで、澤田さんからそう言われた。
 一緒に夕食を食べて、「家に送るよ」と言ってくれた彼の車に乗り、アパートの駐車場に着き、璃々がシートベルトに手をかけようとした、その瞬間の事だった。
 彼と付き合い始めて、三ヶ月。
 璃々にとっては新記録だ。
 とはいえ、まさか結婚の話を切り出されるとは、思ってもみなかった。
「……早くないかしら」
 璃々は呟くように答える。
 おそらく今、自分はとても強張った顔をしているだろう。
 澤田さんの顔は、ちょうど彼の後ろから照らす街灯が逆光になっていて、よく見えない。
「確かに付き合いはまだ短いけど、知り合ったのはもう二年も前だよ」
「それはそうだけど…」
「俺の事が嫌い? もしそうなら、ハッキリ言ってほしい。それに、今すぐ結婚してくれって言ってる訳じゃないんだ。あくまで前提だから、無理だったら断って」
「……本当にそれでいいの?」
「それでいいというより、そうするのがいいと思うんだ。君のためにも、俺のためにも」
 そう言う澤田さんの声は穏やかで優しくて、璃々は少しホッとした。

「分かった。それでいいなら…考えてみる」
「うん、ありがとう」
 澤田さんの声が弾んだので、璃々の心はチクリと痛む。
 気持ちに応える事はできないかもしれないのに、彼の声は、とても嬉しそうだった。それが、璃々には棘となる。
 彼の事は好きだ。
 しかし、それは『今までに付き合った彼氏と比べて』というだけの事かもしれない。
 心の底から彼を好きで、人生を共にしていけるかと問われた時、はいと頷ける自信が璃々にはなかった。
 そう。きっと、自分に結婚は無理。
 きっと愛する事ができなくて、彼も自分も傷ついてしまう。
 しかしそう思う反面、彼を好きなのだから大丈夫かもしれない、ゆっくり時間をかけて信頼を深めれば大丈夫かもしれない、そんな期待を抱いている自分も存在するのだ。
 そして、そんな自分を、身の程知らずで浅ましいと冷たく見下す自分もいる。

「でも……私、無理かもしれない…。期待はしないで」
 いずれ裏切ってしまうかもしれないのならば、期待させない方がいい。
 そう思って口にした言葉だったけれど、彼は怪訝そうに言った。
「君は一体、何に怯えているの?」
「え……?」
「君はたまに、俺からふっと目を逸らすよね。今だって、視線が定まってないよ。何か不安があるからだろ?」
「それは……」
 璃々は、どう答えたらいいのか分からなかった。
 結婚の話で戸惑っているだけでなく、今まで、こんなふうに突っ込んできた人は誰もいなかったからだ。
 思わず彼を見ると、彼はそっと璃々の手に自分の手を重ねてきた。
 大きくて、温かい手だ。
 その温かさを、無意識の内に受け入れてしまうのはどうしてだろう……。
 嫌な相手だったら、とっさに振り払っている。
 現に、これまでに付き合った彼氏の手は、握るだけで落ち着かなかった。
 付き合っているのだから我慢しなければ、とは思っても、どうしても拒否感の方が勝ってしまって、大きな手から逃げてきた。
 そんな璃々の様子に相手は閉口して、別れ際に「お高くとまって、実はすごい嫌な女だったな」なんて言われた事もあった。

 それを思い出した途端、璃々は不安に襲われる。
 澤田さんには、そんな言葉で捨てられたくない……。
「こうしても嫌がらないって事は、俺が嫌いなわけじゃないよね。君は誰とでも付き合って誰とでも関係を持つなんて噂されてるけど、本当は、君のガードはとても固い。君に嫉妬する人間が、よくもあれだけデタラメを言うもんだって、内心すごく驚いてたよ」
「……」
 璃々は返答に詰まり、重ねられた手に視線を落とす。
「璃々。一体何が、君の心を閉ざさせてる?」
「え……?」
「君は、人付き合いが得手じゃないよね? 見ていて、それはすごく感じるよ。一見、誰とでも仲良くできているようだけど、君は誰に対してもなかなか本心を見せないんだ。だからみんな、君との間に距離を感じる」
「距離…」
「目を合わせないのは、だからだよね。人と距離をおいて、線を引いて、ここから先へは入ってこないで、って無言の内にそう言ってる。親しき仲にも礼儀ありって言うし、線を引くこと自体は悪くないと思う。誰に対しても、それは必要なものかもしれない。ただ、その線をどこに引くかが大切なんだと思う。君の場合、線への距離が遠いんだ。だから相手も、君への距離を感じてしまう。今まで彼氏とうまくいかなかったのも、だからじゃないかな」
「……」
 相手への距離感が、心を開けなかった事が、ますます相手を遠ざけていた…?

「それは……そうかもしれない。でも、どうしていいか分からなくて…」
「そうだな。まずは、自分の弱さを受け入れる事かな?」
「弱さを受け入れる……?」
「そう。君は多分、自分の欠点や弱点を嫌だと思っているんじゃない?」
 あまりに図星で、璃々は思わず彼の顔を凝視する。
 だいぶ暗さに目が慣れたのか、なんとなく苦笑している表情が見えた。
「俺も経験があるから。でも、そうやって嫌だって突っぱねている限り、前には進めないよ。欠点や弱点を認識する事は必要だけど、嫌がるんじゃなくて受け入れて初めて、ちゃんと向き合えるし前にも進めるんだと思う」
「嫌がるんじゃなくて、受け入れる……」

 澤田さんの言葉は、ずっしりと璃々の中に落ちてきた。
 自分でも不思議だが、結構厳しい事を言われているはずなのに、嫌悪感も拒否感もない。
 彼の言い方がソフトなせいもあるのかもしれないが、璃々を痛めつけるためではなく、本当に心配してくれている事が感じられるからだろうか。
「はは、なーんてね。ちょっと偉そうだったよね。ごめん」
 黙り込んだ璃々に、不快だったと勘違いしたらしい澤田さんは、誤魔化すようにそう言った。
「澤田さん」
「…ん?」
 返事をする澤田さんの声が、まるでいたずらが見つかった時のようなドキリとした感じだったので、璃々は少しおかしかった。
 思わずクスッと笑うと、澤田さんは不思議そうに「どうしたの?」と聞いてくる。
「ごめんなさい、少しおかしくて。澤田さんは悪い事なんかしていないのに、まるでいたずらが見つかった子どもみたいな声だったから」
「いや、その…いたずらはしてないけど、偉そうなこと言っちゃったしね。今までも、それで結構『うざい』とか言われてきたし」
「そうなの?」
「うん。カッコ悪いとこばれちゃったな、ははは」
 乾いた笑い声をもらす彼に、璃々はとっさに「そんな事ない」と言っていた。

「私は嬉しかった。だって今まで、褒めてくれる人はたくさんいても、厳しい事を言ってくれる人っていなかったもの。耳が痛い事もちゃんと言ってくれる人って、信用できるわ」
「ほんとに…?」
「ええ」
「俺…、うざくない?」
 不安げに問う澤田さんは、いつもより幼く見えて、なんだかかわいい。
「うざくない。私だって、本当は前に進みたいもの。だから、本当にありがとう」
「そんな…、俺は何も」
「ううん、本当に嬉しかった。ありがとう」
「……どういたしまして」
 いつもより低い声の澤田さんは、恥ずかしそうにふいっと前を向いてしまった。
 しかしそんな彼の横顔を見るのも悪くないと、璃々は思う。

(不思議…。こんな気持ちになったの、初めて)
 ただ見つめるだけで幸せになれる相手がいるだなんて、今まで知らなかった。
 これが、誰かを好きになる……誰かを愛する、という事なのだろうか。
(長所だけでなく短所も含めて受け入れる……、それが愛するという事なのね)
 自分は今まで、自分自身を受け入れられていなかったのだ。
 それは誰のせいでもなく、ほかならぬ自分の責任だ。
(私、変わらなきゃ)
 変わりたい。ちゃんと自分の弱さも受け入れて、向き合って、前に進みたい。
 一人では、無理かもしれない。
 だから澤田さんに、隣にいてほしい。
 本当に大切な事を教えてくれた彼だから、そばにいてほしい。
(でも……伝えるのは難しい)
 気持ちをそのままぶつけるのは、勇気がいる事だ。
 しかしこのままでいたら、そのうち澤田さんも、諦めて離れていってしまうかもしれない。
 気づいたここで踏み出さなければ、きっとこの先もずっと、自分はこのままだ。
(そうよ。思い切って、一歩を踏み出さなきゃ。頑張れ私!)
 璃々は自らを奮い立たせ、澤田さんの顔を見上げる。

「あのっ……、私、初めてでした!」
 璃々が突然大きな声でそう言ったので、澤田さんは驚いた様子で振り向いた。
「え、璃々?」
「あの、えっと! うまく言えないけれど、私、澤田さんが好きです!」
「えっ!」
「本当は、前から好きだったんです! でも、どこかで認めたくないと言うか…どこかで、そのうちあなたも去ってしまう気がして、受け入れるのが怖かったんです。でもだから、本当は、前からあなたの事が好きでした!」
「璃々…!」
「ほんとです! だから私、澤田さんに——」
 一緒に歩いてほしいです、と続くはずだった言葉は、しかしそこで途切れた。
 その代わり、彼のやわらかくて温かな唇の中へと、そっと吸い込まれていく。
 璃々の唇をつつむ彼の唇は、とても優しかった。

「璃々、慌てなくていいからゆっくり進もうね」
 少しして唇を離した澤田さんは、そう言って璃々の頭に大きな手をぽんと置いてくれる。
「無理しなくていいから…」
「無理じゃないもの」
 人と比べてではなく、彼が彼だから好きなのだと受け入れてしまったら、彼と距離をおいたりする事の方が不自然だと、璃々には思えた。
 しかし澤田さんは、璃々の返答に「こらこら…」と頭を抱える。
「君って人はほんとに、もう」
「澤田さん? どうしたの?」
「どうしたのじゃないよ…。君は、俺が男だって本当に分かってるの?」
「ええ、もちろん」
「……即答するところが不安だな。頼むから、他の男には今まで通りでいてくれよ」
 そこまで言われて初めて、璃々は彼の言わんとしている事に気がついた。

「あ、当たり前でしょう! わ、私は、澤田さんだから!」
「うん、そうして。君のガードが緩くなったら、一体どれだけの男に迫られるか分かったもんじゃないよ」
「そ、そんな事……。私、グラマーじゃないでしょう…?」
 いつか休憩室で言われていた悪口を思い出し、顔から火が出そうなくらい恥ずかしいのに口走ってしまったその言葉に、澤田さんは呆れた口調で「何を言ってるんだか」と言った。
「君は十分、魅力的だよ」
「ほんとに…?」
「ほんとに。すごくかわいいし…」
 澤田さんはぷいっと顔を背けてしまったが、ドキドキしてくれているのだと思うと嬉しくて、璃々は幸せな気持ちになった。
 それに、こういう照れた彼はかわいい。
 これまで、『かわいい』と言われる度に自分は耳に蓋をしたい気持ちになってきたけれど…今この瞬間、その言葉が嫌じゃない。
 これも彼のお陰なのだと思うと、璃々は嬉しくてたまらなかった。

 こうして、璃々は一歩を踏み出した。
 ゴールではない、ここからが、始まりだ。

     END

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縞衣

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