模倣犯

『模倣犯』宮部みゆき(7)~由美子の運命~

2001年出版(日本)
著作、宮部みゆき  

 高校生の塚田真一は、犬の散歩の途中、公園で人間の片腕を発見する。そこから明らかになる連続誘拐殺人事件。失踪したと思われていた女性たちは殺されていた――。片腕とは別に発見されたハンドバック の持ち主・鞠子の祖父、義男。事件のルポを書くライター、前畑滋子。犯人を追いかける警察、武上・秋津・篠崎……そして犯人たち。
 マスコミにかかってきたキイキイ声の電話による犯行声明から、事件は動きだす。


→前(ヒロミの死後)へ

※ネタバレあり


~由美子の運命~

 由美子がちょっとしたトラブルを起こした際に、警備員が執拗にいたぶります。由美子が加害者遺族だからって。それは「好奇心」か「勝利感」か……。

 言い訳のできない弱い立場にいる、彼らからみればまったき「悪人」を、どう料理しようと自由だという――満足感? 

 胸に刺さりますね。正義の拳を振り上げて殴るやつが一番悪いのだと。
 自戒にしたいです。

 執拗に由美子をなじる警備員に網川浩一(ピース)が言います。「こんなのは事情聴取でも説諭でもない、ただのいじめだ」と。
 立派な正論ですが、言っているのはピースというところが怖いです。
 世の中で何が正しいかを語ることができるのに、間違ったことを平気でできるというところにとても恐怖を感じます。

 失敗により追いつめられた由美子が自殺未遂をはかった時の、

 はいはい、やっつけるから。今やっつけるから。このしょうもない高井由美子をやっつけるから。

 という独白が真に迫っていて心臓がぎゅっとなりました。
 一つの失敗で人がことごとく追いつめられる様子がリアルで身が震えます。

 しかも、由美子の失敗をワイドショウに売ったのはピースなのです。「次はそういう趣向か……」と背筋が寒くなります。
 最初の失敗についてもピースが仕組んだものであり、悪気がないような顔をしてしれっと情報を流してトラブルを起こすところが悪質です。

 由美子の失敗が原因で、滋子も週刊誌で批判されることとなります。そのことが原因で夫・昭二と喧嘩になります。
 それまでの昭二は優しくて仕事に理解のある「ザ・理想の旦那さん」という感じだったのですが、このあたりからひずみが生まれます。

 書かれているのは嘘っぱちなのに、昭二は自分を信頼してくれない。なぜこうなったのか聞いてくれない。
 滋子は傷つき、作中で初めての深刻な夫婦喧嘩となります。

 そしてピースは、由美子の味方に付く形で、「連続殺人犯の犯人は生きている」という主張をメディアにし始めます。
 カズが犯人である風潮に乗っかれば、自分が真犯人であることが隠せそうなのに、自らそれを崩してしまうわけです。
 悪いことを隠したいくせに、やったことをにおわせようとする。

 こういうすごい事件を起こしたのは栗橋ではないのだと、主張せずにはいられないのです。

 また、テレビに出れば声が聴かれてしまうというのに出れるというのが良くも悪くもすごい度胸です。度胸というより狂気です。

 29歳のヒロミとピースですが、作中では「大学生くらいに見える」と何度か描写されています。それだけ幼い、精神が子供だということなのでしょうね。

 ドキュメントジャパンの手嶋編集長はいいキャラクターだと思いました。
 滋子にボロクソ厳しいことを言ったりと、癖も欠点もありますが、決してそれだけではない部分のある魅力的な人物として描かれています。衝突やトラブルがあってもさっぱりして根に持たないタイプに観えます。
 なんだかんだ言いつつも滋子の書いたものを採用してくれたり。
 事務所に押しかけてきた義男が、滋子に会えるよう責任を持って場を作ってくれたり。
 ちゃんと慈子を認め、義男には彼女が部下ではないと伝えます。対等な立場なので命令はできないと。そのうえで話し合える場は作ると。筋を通せる大人です。

「有馬さんがこんなことを君に頼んでいるのは、君が高井由美子と接触しているからだ。ほかには高井由美子と会うルートがないからだ。別に君が、この事について有馬さんに特別な忠告を与えることのできる人間だからじゃない。そこをはき違えるんじゃないぞ」

 こういう性格を、地の文で「根は悪くない」などと書かず、行動描写だけで表現できているところが素敵です。

 別の場面では、義男が塚田真一くんに、家に帰らない理由を聞きます。このくだりで急に高井由美子の話を真一がし始めます。義男としては急に由美子の話になってびっくりするのですが、読者にはその理由がわかります。

 突然定跡通りの流れから予想しないところに一手を置かれた

 真一が家に帰れないのは、加害者家族の樋口めぐみに付きまとわれているからなのです。
 その真一の立場を知っていると、「家に帰れない理由」が引き金で「高井由美子」につながることは理解できます。義男視点ではわかりませんが。
 相手が予想しない反応をとったときには、その裏に何かがあるということを察しないといけないなと思いました。

 また、ポケベルだとかこの時代特有のものが出てくるのが面白いです。自分がかろうじて知っている時代だからこそ「こんな感じだった」とぼんやり懐かしむことができます。

 ところで、この作品のタイトルは「模倣犯」なのですが、後半に至るまで「模倣犯」の「も」の字も出てきません。
 だいぶ物語が進んでから、「模倣犯が出る可能性がある」という言葉が出てきて、「おお」と思いました。
 本当の題名の意味を知るのは、ラストのラストなのですが……。

 篠崎が勝手に由美子に接触したときに、激怒しつつも、上層部からかばいクビをつないであげた武上さんは偉いなと思いました。

 まだ当分のあいだ、篠崎をカンベンしてやる予定はないのだった。

「カンベンしてやる」という言い回しが、感情が伝わりやすくて素敵です。

 犯人(ピース)が行っているのは殺人ではなく舞台である、と「建築家」は推察します。彼は演出家兼劇作家で、被害者は女優。栗橋浩美ですらも、演じさせられている。
 人を使って現実で舞台をやってのけているのです。
 ヒロミは自分が嘘をついても忘れてしまうわけですが、ピースは「嘘」を「演出」だと悪びれず言い切るタイプだろうなと思いました。

 恐ろしい話ですが、彼の行動理念は単純です。

 ただ、そうしたいから。

 創作家の情熱に駆られてやっているなら恐ろしいことになります。罪の意識がないから。それだけへまを踏まなくなるから。と、武上刑事と建築家は危惧します。
 悲しいかな、ただそうしたいからという気持ちはよくわかってしまいます。
 しかーし! 超えちゃいけないライン考えろよ!! やっていいことと悪いことがあるだろ!
 人が成長過程で身に着ける大人の分別を身に着けずに育ってしまった可哀想な子供が「ピース」です。

 ピースが演技指導するのはヒロミくんだけではありません。由美子もピースにすがり、知らず知らずのうちに彼の言いなりになっていきます。
 人を信用させてそれと悟らせずに人の行動をそうと差し向ける。
 自分を善人に見せる、自己演出に長けたところがピースの怖いところです。
 信頼する相手を間違えるというのはとても恐ろしいことです。

 そして、ピースの手の中で踊らされているのは滋子も同じです。ピースの描いた筋書きのままに進み、カズを犯人と決めつけたルポを書いている。
 慈子のような聡明な大人でも間違いを犯します。
 自分が間違った選択や失敗をしてしまったとき。
 どのように誇り高くふるまえるか。
 それが大切なのだと思いました。

 物語が進むにつれて、一見無関係だった登場人物がつながっていく様に感動します。
 ばらばらに出てきた人たちが、後々つながっていく、それに気づく瞬間が気持ちいいです。

 ピースはだんだんと自己顕示欲が顔を出し、ついついしゃべりすぎるようになります。
 できた作品は人に見てもらわないと、自分が作ったと知ってもらわないと意味がありませんから――。

 演技上手のピースを自然に、年の功でやり込めてピースに怒りの感情を出させる義男さんには感服します。

 ピースの様子をうかがうばかりの由美子に、由美子自身の意志を言うように働きかける展開にはすっきりします。
 あんなにしっかりして意見を言えていた前半の由美子とは別人のようになってしまいました。その姿は可哀想を通り越して歯がゆくなってくるほどでした。
 相手がヒロミという幼馴染だったから強気に出られていただけで、実際は元々から内弁慶の女の子だったのかもしれません。それに、ピースのマインドコントロールが拍車をかけてしまっている。

 ピースは真一や義男の前で、まるでカズが犯人でないことを証明するためのものがほしくないような打消しの態度をとります。
 場を仕切るのが目的だから、他の人間の意見が採用されるのが我慢ならないのでしょう。今まで、自分でさりげなく場を動かしてきたピースです。これからもそうでなければならないのでしょう。
 少しずつ、少しずつ彼の不自然さに周囲が気づいていきます。

 そして、由美子の自殺未遂につながった事件は、ピースが仕組んだことであることに真一は気づきます。
 わざと由美子をけしかけて事件を起こしてスクープにする、マッチポンプ。
 そのせいで由美子は自殺未遂までしているのです。
 それなのに気づかずピースにどんどん依存して社会から切り離されていく姿に背筋が寒くなります。わざと精神的に追い詰めて助けて虜にしていくわけです。

 真一は由美子のピースに向ける感情と、ピースの認識の差に考えます。

 だが、たった一つだけ確かに言えることがある。由美子は自分の足で立つべきだということだ。
 網川は由美子を必要として担いでいるが、担がれている側の由美子だって、自分で舵を取れば利用されずに彼の協力を勝ち得ることもできるのだ。自分の意志で舵を取ることが大切なのだ。

 ハッとくる内容です。状況は自分の意志で変えることができる。自分自身で決めることができるのです。
 心のメモに書き留めておきたいです。

 公園で対峙する真一くんとピース。
 ピースの話す「犬のアーサー」の思い出が印象的です。二度と作品内で触れられることはなかったですが、ピースとアーサーがどんな関係を築いていたのか気になります。わざわざ名前を出して懐かしがるくらいなので、特別な犬だったのではないかと思います。それとも、ヒロミも由美子もピースにとっては、「犬のアーサー」と同じ。自分に従わせる存在ということが言いたかったのでしょうか。

 真一のする質問に対して哲学的なことを言ってごまかすピースが面白いです。
 真一との押し問答の中で、ピースは普通ならありえない態度をとります。うつむくピースがのぞかせる表情は、焦りでも、困惑でもなく。

 網川は面白がっていた。

 ゾッとしました。

 ピースははじめ、カズと由美子のために戦う正義の戦士として登場したはずです。
 浮かれすぎて自分の作ったポジションを逸脱しかけています。 デスノートの月をちょっと思い起こさせますね。月は本当に正義のつもりでいるので、そこが違います。
 また、普通に逃げ切ることよりも、状況をかき回してできるだけ舞台の時間を長引かせようとする。勝ちではなくて大衆や警察を振り回すのが楽しい。 というところは『ハンター×ハンター』のパリストンっぽい。まあパリストンならラストのような失態にはつながらないでしょうが……彼は「子供のふりをした大人」だと思うので。あそこでこらえきれないからピースは「子供」なのです。

 そして、仲良し夫婦だった滋子と昭二の関係もどんどん悪くなっていきます。
 滋子は強い女性で、この夫婦は先進的な家庭として描かれていましたが、その滋子の強い性格が場を悪くしてしまっているのが読んでいて辛いです。
 理屈っぽく言い訳ばかりなのです。

 悪くないのになぜ謝らなくてはいけないのか。
 と考える滋子。
 なぜ一言、ごめんなさいと言えば済むことが言えないのか。
 という昭二。

 とうとう別れ話になります。
 昭二はもう別れることで結論を出しています。だから話し合いにならないのです。
 でもここでごね続けず「ありがとう」と言える滋子は心底偉いと思いました。
 理想の夫婦だったのに、好き同士だったのに、それでもうまくいかないことがあるのだと、やるせなくなりました。

 一方で、一度深刻な喧嘩をして、お姉ちゃんにも「絶対にうまくいかない」と言われていた若い真一と久美が仲直りするところには希望を感じました。

 ピースは足立印刷の増本に真犯人Xを演じさせようとするが断わられてしまいます。それはそうです、普通の神経をしていればこんな要求を呑むはずがありません。でも、それがピースにはわからないのです。
 増本はのんびりした雰囲気だから聞いてくれると思ったのでしょう。
 こういう人を舐めたところがピースの失敗につながるのです。
 増本本人にすら、「ほいほい引き受けると思っているなんて、まるっきり人をバカにしている」なんて言われています。

 由美子は精神的にいろいろと追いつめられ、ピースにも心を閉ざしていきます。
 そんな由美子に追い打ちをかけるように、「兄が残した遺書の写真」が届けられます。自分の犯行を告白した遺書です。

 それはピースがカズのふりをして書いたものなのですが、画像の質は悪く、また判断力の落ちている由美子にはそれが本物に見えてしまいます。

 そこにやってくるピースが怖いです。

 先にも行けず、後にも引けず。

 これは面白いことになったと本性をあらわにするピース。
 しかし、本性をあらわにしているピースなのに、話している内容は由美子を絶望に追いやるための「嘘」なのです。
「善人」の仮面をかぶってやっている彼の行動の方が「真実」で、本性を現した彼のいう事の方が「嘘」――それがとにかく恐ろしいです。

 手のひらでつくりあげた小さな闇のなかに、ほの白く浮かびあがるのは、兄の呑気そうな笑顔だった。それは、世の中の誰に対しても、敵意なんて、爪の先ほども抱いていない顔だった。由美子の信じていた顔だった。

 由美子は兄が犯人だと思い込んだまま、死を選ぶことになってしまいました。
 あまりのことに呆然となりました。まさか、死んでしまうなんて。しかも、絶望に包まれたまま……。
 残酷なシーンの多いこの作品の中でも、現在進行形で起こった死亡な分、衝撃が強いです。

 ここにきて、数少ないピース視点の文章が入ります。
 ヒロミくんは事故死ですが、やはり処分を考えていたことがわかります。

 何のために真犯人がこんなことをするのか。
 その盲点に飛び込むのがピースは得意だったといいます。

 ピースが由美子の取るであろう選択肢として予想したのは、「写真を見なかったことにしてますます周囲と断絶していく」「自殺する」の二つでした。
 由美子が自分で決断して本当のことを言おうという、選択肢が浮かばない。
 そこがピースの、人間を舐めているところです。
 まあ、実際に由美子は自殺してしまったのですが……ピースを調子に乗らせないためにも、ここはもっと頑張ってほしかったです。

 →その7(結末)へ 

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