『模倣犯』(映画)~芸術は爆発だ!~(2)

2002年公開(日本)
原作、宮部みゆき 監督・脚本、森田芳光
 

 高校生の塚田真一は、犬の散歩の途中、公園で人間の片腕を発見する。そこから明らかになる連続誘拐殺人事件。失踪したと思われていた女性たちは殺されていた――。片腕とは別に発見されたハンドバック の持ち主・鞠子の祖父、義男。事件を追いかけるライター、前畑滋子。犯人を追いかける警察……そして犯人たち。
 マスコミにかかってきたキイキイ声の電話による犯行声明から、事件は動きだす。

※ネタバレあり

 前のつづきになります。

 犯人が咳をする描写は映画版でもあるのですが、ヒロミではなくピースでした。しかも物語にはほとんどからまず。何のために入れたのか不思議です。

 ピース&ヒロミが川で魚釣りしている姿は、なぜだか『愛と幻想のファシズム』のトウジ&ゼロを彷彿とさせました。二人の悪だくみしている感じとかもそれっぽいです。やはり男が絆を深めるときは釣りと相場が決まっているのか!?
 まあトウジ&ゼロと、ヒロミ&ピースなら後者のほうがすっごく「悪い子」ですがね。
 それにしてもシュールなシーンです。

「動物も魚も鳥も人間よりきれいだ。それらを殺していいという観念がある以上、戦争はもちろん、人間同士の殺人なんて無くならないさ。」
 淘汰されるために選ばれた、それも観念。残酷さは至福のため、それも観念。

 幽白の仙水さんを思い出しました。「俺は草も木も動物も好きだ、嫌いなのは人間だけだ!」
 なぜ人間を殺戮したがる系男子は動物や自然には優しいのか。

 この自然愛があったうえでの、ピースがヒロミを「四か国語を鳥のようにさえずる」と表現するのには愛を感じました。(観返してみるとこんな台詞はなかったような……「ヒロミは本当にアニマルだ」と言うシーンはありました)

 ピースとヒロミくんが食事しているシーンでは、「ピースが○○した」と、全世界の犯罪の枕詞にピースがついて流れていきます。
 何を暗示しているのか……世界の事件もほとんどが誰かの仕組んだものだというようなことが言いたいのでしょうか(ピース=誰かという観念)。

 全体的にアート系が入っていて、監督の中で何かが爆発したんだろうな~と思わせます。

 カズが連続殺人事件に気を取られていて、妹に「事件に関係しているのか」とからかわれたときの反応。

「そんな勇気ないよ」
「勇気ってこういうときにも使う言葉?」

 というのは印象的で、ずっと覚えていました。

 ヒロミくんのアパートの下にカズが現れるシーンは、映画でもホラー的です。

「ヒロミ、俺に何か隠してないか?」

 どういう立ち位置から聞いているのかと言いたくなる突っ込んだ質問です。
 映画のヒロミくんはカズにも優しいです。「あーん」と言ってパイナップルを食べさせるシーンからは狂気すら感じます。

「この事件の犯人を演じるのは高井和明だ。あいつの無能は才能だ」

 ピースの言い回しが面白いです。

 大きな変更として、殺される男性が見ず知らずの人から、なんと滋子の夫・昭二にされています。なぜそんな仕打ちを(涙)。
 この変更は原作の昭二ファンの方は怒るのではないかなと思いました。
 おそらく尺の関係で、由美子のエピソードを入れられなくて、滋子を奮い立たせるポジションを分かりやすく夫の昭二にするしかなかったのかなと思いますが……。

 昭二の時計のエピソードは好きです。核戦争が起こっても壊れない時計。滋子にプレゼントされた大切な時計。
 昭二を殺した後、なぜかピースはその時計を自分のものにして付けているんですよね。
 愛されている昭二が羨ましかったのかなあ……とか、彼の心情を思いました。

 ピースがカズをバットで殴ろうとしたとき、ヒロミが止めるシーン。

「やめろ、ピース」

 あの一言には、人間の感情は一筋縄ではいかないのだという機微や妙を子供心に感じました。
 それまでのコメディとのギャップが、場面を引き締めています。
 ここまでのヒロミが異常であればあるほどにここでの人間的な素の反応が生きるんですよね。ヒロミくんの中で「人を殺す」ってことがリアルになった瞬間だと思います。
 ナンパした女は殺せても幼馴染はためらうのがヒロミくんの幼稚なところですが。

「何をやめるんだよヒロミ」
「ヒロミに手を出すな!」

 ここでカズが瞬時に反応するところもいいなと思います。ピースが何をやろうとしているのかを気づいていた、そしてヒロミがそれを止めてくれたのもわかっている、というのが伝わるので。

 しゃがみ込み、半笑いしながら話すピース。
「どうして僕のレベルにきてくれないんだ。僕はいつも、普通の奴に計画を邪魔される」
「普通の人間、馬鹿にするんじゃないぞピース」
 というカズの説教にピースは反応しません。ヒロミは気まずそうに口をつぐんでいます。

 僕よりカズを選ぶのか。

 というのがピースの心境ではないかと思いました。ここで、ヒロミを切ることが決まったのかな、と。これはヤンデレですなあ……。

 何かわからんが結局、気絶する(ふりの)カズ。
 中学時代にヒロミくんがいじめから助けてくれたエピソードが回想シーンとして入ります。
 二人の雰囲気が何とも言えません。

「ヒロミ、ありがとう。こんな僕のために……」

 回想の台詞に被せるように、現実でも呟くカズ。けなげを通り越して若干、狂気を感じます。

 気絶した(ふりをしている)カズと昭二の遺体を積んで車を走らせるヒロミくん。
 途中で起き上がったカズとの会話が妙になごみます。
 ヒロミが人を殺しているんじゃないかと気づいていたというカズ。

「じゃあ何で来たんだよ重ね重ねの男だなほんとに」

 の言い方が優しいです。そして「ヒロミは誰よりも純粋なんだ!」という名言。これもヤンデレですなあ……。

 カズの説得むなしく、車のブレーキが利かなくなって二人は死んでしまいます。映画ではピースが仕込んだことに(おそらく)なっています。
 原作の二人のやりとりはすっぱりなくなっていますが、尺を考えればうまいことアレンジしているのではないかと思いました。
 ヒロミが自分からカズをかばうところは、個人的には原作より好きかもしれません。
 ふと思ったんですが、「やめろ、ピース」のくだりってもしかしてカズの妄想? だとしたら悲しい……。だから結局、気絶しているのか?

 この映画は2002年の公開で、原作の連載は1995年です。この時期のインターネットの進歩はめまぐるしかった記憶があります。ですので映画の方が、原作の時よりちょっとネットが一般的になっている雰囲気を感じました。掲示板の書き込みがバーッと画面に出てきたり。

 ナンパシーンでのヒロミくんが気持ち悪すぎて爆笑しました。

「お前の10円が欲しいんだ」

 もらった10円玉をそのまま口に入れるクレイジー行為。女の人が本気で気持ち悪そうなのがまたいいです。

 ここのシーンでの「ヒロミ、やめとけ。その女は背が高すぎる」はやたら印象的で覚えていました。ヒロミとピースが犯人であることがわかる重要な場面ですから、印象に残る作りにしているのはうまいと思います。

 残酷な事件をやっているのに雰囲気が軽いところが今時(当時の)の若者っぽさを感じさせます。

 真犯人を追求するものとして、テレビに出るようになるピース。原作にはないピースの演説が興味深いです。

「人を殺したいという気持ちそのものが既に犯罪なのです」

 すごい理屈ですね。

 途中に、義男さんとピースの会話が挿入されます。

「有馬さんだって、僕の家庭などわからない」(ピース)

 この一言に、ピースの気持ちが表れています。
 家庭環境のことは映画でもしっかり出てくるので、この映画はピースに焦点を当てて作ったものなのだろうなと思いました。

「居場所のないどこへ行っても誰かの邪魔になるという役割を押し付けられた子供」

 原作でもですが、映画でも、聴いているこちらがつらくなる言葉ですね。

 そしてテレビでの滋子とピースの対決。
 一番大切なシーンのはずなのですが、唐突にこの場面に来たように感じて、ついていけませんでした。
 また、なぜ「模倣犯」の話をしようと滋子が思ったのかもわからず、原作の高揚感はありませんでした。気が付いたら話が進んでいて、気が付いたらピースが爆発した感じです。

 ただ、滋子が嘘情報でピースをはめるとき。

「『だって、面白かったからさ』」

 感情を抑え押さえ、こらえ、それでもこらえきれないように声が震えて顔がこわばっているところはとてもよかったです。

 ピースは原作のように激高せず、淡々と言い返します。

「タイトル」であり、オチである「模倣犯」をあまりに軽く扱い過ぎでは? 

 そして、謎の電話がかかってきます。ここで義男じいさんの説教です。映画でも名言のオンパレードです。

「みんな自分の能力の限り、精一杯一生懸命生きているんだ。もっと幸せになりたい金は欲しい……愛されたい、人間の欲望は誰しもある。みんな自分を抑えて生きている。人に迷惑をかけないように分をわきまえて生きている」
「人を驚かせるヒーローになりたければ、普通の人を感動させろよ。愛を与えろよ。そんなことはお前にはできない。なぜならそのことを教えてくれる大人がいなかったからだ。人を愛したり大切に思うことを知らない哀れな人間だ。これからお前は自分のやってきたことの虚しさに苦しむことになる」
「頭がよいか悪いか知らないが、(中略)お前のやってきたことは最低な人殺しにすぎない」

 睨み合う、ピースと義男さん。

「ありがとう、有馬(義男)さん」

 ピースサイン。

 そして、

 爆発。

 みんな唖然。視聴者も唖然。
 私も唖然。

 これはピースの精神世界と現実が融合してしまったのではないでしょうか。
 安部公房とかでよくある、精神世界がそのまま現実になってしまう展開(マジックリアリズム)。

 しばし呆然となった後、亡き夫の時計がピースの手首から吹っ飛んで帰ってきて、滋子が泣く展開に胸を締め付けられます。

 事件がすべて終わった後、義男じいさんがテレビに向かって叫びます。

「これで解決のつもりか、何も解決していないだろう。終わらせるつもりか。ふざけるな」

 ホントにそうだよっ!! と多くの観客が思ったに違いありません。

「でも、終わらせてください。そうしないと何も自分は始まりません」(真一)

 このやりとりは観客と監督の気持ちの代弁なのでしょうか。

「わかった。私が悪かった」(義男)

 義男さんのせいじゃないよ……ラストがこうなったのは……。

「もうボクに家族はいません。独りぼっちです。でも生きたいんです。何かしたいんです」

 原作の真一くんとは違いますが、切なさと必死さを感じられてよかったです。

 そしてこの映画は、最後にもう一つ爆弾を落としてくれます。

 大川公園で赤ちゃんが発見されるのです(ピースの子供)。
 一体、誰がここまで運んできたのかなど、謎が残ります。

「血よりも環境が大事だということを証明してください」

 と、赤ちゃんを義男にピースはたくします。

 赤ちゃんを抱えて険しい顔をした義男さんのカットで物語は終わります。

 監督はピースに人生を生き直させてあげたかったのかな、そして義男に何か残してあげたかったのかな……と思いました。
 誰との赤ちゃんなのか、ネットでは「鞠子説」と「由美子説」があります。鞠子説のほうが有力ですが、原作の由美子の不憫さへの救済と誰が赤ちゃんを運んできたのかを考えると、由美子説もありかな? と思います。いやこれはこれで不憫か……。

 実に不思議な映画でした。

 好意的にとるなら、原作で不幸だったキャラクターを救済したかったのかなと。

 ヒロミの姉の件がなかったり、由美子の自殺シーンがなかったり、カズへのヒロミの当りが原作より優しかったり、ピースの子どもが出てきたりするのは、原作で不幸だった部分を取り払ってあげたかったのかなと勝手に思いました。そうやって観れば悪い展開ではなかったと思います。

『黒い家』と同じ監督だったことは後から知りました。あの映画はとにかく菰田幸子が怖かったことが印象的でした。役者さんにアブナイ演技をさせることが上手な監督さんなのかと思いました。

 義男じいさんはまだましですが、滋子や真一くんの描き方はあまりにも薄かったんじゃないかということは気になりました。由美子に至っては途中でフェイドアウトしてしまいますし。

 いろいろとツッコミ所は多いですが、自分はこの映画はけっこう好きです。

 2002年の時代を感じることができたのも興味深かったです。
 女性は眉毛細くてメイクがきつくて、こんな感じだったっけ? とか(笑)。

 そして!
『模倣犯』→『小さき勇者たち~ガメラ~』→『シン・ゴジラ』と観て行ってほしい。
 ヒロミくんがクズニート殺人犯を脱していいお父さんに、そして国防を担う偉い人に成長していく姿を見ることができるから!
 よかったね~、本当のエリートになれたね! って気持ちになれるから!!

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島田つき

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