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平成の舞台芸術回想録第二部(2) ク・ナウカ(SPAC)「天守物語」

 90年代には平田オリザらによる現代口語演劇(関係性の演劇)と並ぶもうひとつの大きな流れがあった。それが「身体性の演劇」で、その代表的な作家と私が考えていたのが当時ク・ナウカを率いていた演出家、宮城聰だった。宮城の演劇は口語演劇ではなく、詩的あるいは古典的なテキストを用い、2人のパフォーマーがムーバー(動く俳優)、スピーカー(語る俳優)に分かれて、浄瑠璃のように演技を行うという特異なスタイルであった。平田オリザは「平田オリザの仕事〈2〉都市に祝祭はいらない」*1という著書で表題通りに「都市には村落共同体の時に必要だった祝祭はいらない」と彼の演劇論を語ったが、宮城はそれに対しあえて「祝祭の演劇」を標榜するなど平田の演劇の特徴を鋭い分析でとらえながら、それを批判できる論理を持った数少ない論客のひとり*2 でもあった。

雨の湯島聖堂 忘れがたい「天守物語」

宮城聰はク・ナウカを活動休止し、鈴木忠志の跡を継ぎ、SPACの芸術総監督に就任した。ク・ナウカ時代の代表作が天守物語」(1996年初演)だ。「天守物語」は野外劇として上演されることが多かったこともあり、海外も含めいろんな場所で「場の持つ力」を取り入れ、観劇歴においても北九州・小倉城前、お台場の公園、雨の利賀野外劇場、こちらも激しい雨の中での湯島聖堂……と忘れがたい記憶を残した舞台を目撃してきたという意味ではワン・アンド・オンリーの作品と言っていい。
 特に印象深かったのは湯島聖堂の公演。「天守物語」では次のように雨に関するセリフが劇中に出てくる。

夫人 この辺は雨だけかい。それは、ほんの吹降りの余波
なごり
であろう。鷹狩が遠出をした、姫路野の一里塚のあたりをお見な。暗夜のような黒い雲、眩いばかりの電光、可恐い雹も降りました。鷹狩の連中は、曠野の、塚の印の松の根に、澪に寄った鮒のように、うようよ集って、あぶあぶして、あやい笠が泳ぐやら、陣羽織が流れるやら。大小をさしたものが、ちっとは雨にも濡れたが可い。慌てる紋は泡沫のよう。野袴の裾を端折って、灸のあとを出すのがある。おお、おかしい。(微笑む)粟粒を一つ二つと算えて拾う雀でも、俄雨には容子が可い。五百石、三百石、千石一人で食むものが、その笑止さと言ってはない。おかしいやら、気の毒やら、ねえ、お前。
薄 はい。
夫人 私はね、群鷺ヶ峰の山の端に、掛稲を楯にして、戻道で、そっと立って視めていた。そこには昼の月があって、雁金のように(その水色の袖を圧さう)その袖に影が映った。影が、結んだ玉ずさのようにも見えた。――夜叉ヶ池のお雪様は、激いなかにお床しい、野はその黒雲、尾上は瑠璃、皆、あの方のお計らい。それでも鷹狩の足も腰も留めさせずに、大風と大雨で、城まで追返しておくれの約束。鷹狩たちが遠くから、松を離れて、その曠野を、黒雲の走る下に、泥川のように流れてくるに従って、追手の風の横吹。私が見ていたあたりへも、一村雨颯さっとかかったから、歌も読まずに蓑をかりて、案山子の笠をさして来ました。ああ、そこの蜻蛉と鬼灯たち、小児に持たして後ほどに返しましょう。

ク・ナウカの大きな魅力は野外空間など劇場以外の場所を公演会場として、その場所、その場所での場の力を取り込んだ舞台づくりを行うことであった。日本でそうした公演を行おうとすると会場の関係者や周辺住民への根回しなど数年をかけての周到な準備が必要。アングラ演劇時代のゲリラ的な野外劇などとは異なり、公共性を視野に入れた振る舞いが必至であり、ことさら国の史跡である湯島聖堂の中庭での公演は文化庁など関係各所との何度にもわたる交渉の末に可能となったものだった。
 そうまでして実現した湯島聖堂の荘厳な空気感は格別なものがあったのだが、天の神がそれに触発されたのか、芝居の内容と呼応するかのように中盤にさしかかる辺りから、大粒の雨が降り出し、その雨による靄の中での上演となり、私も含め観客の大勢は途中で雨を避け、屋根のある本堂のひさし部分などに逃げ込み、そこから舞台を眺めるような格好になった。観劇環境としてはお世辞にもいいと言えるようなものではなかったが、「雨も野外劇の興趣」と感じ、場所の持つ魔力が醸し出す一度限りの魅力に引き込まれたのである。

SPACでも再演

 SPACのレパートリーとしても2011年に再演され阿部一徳、大高浩一、榊原有美、寺内亜矢子、吉植荘一郎らク・ナウカ時代のオリジナルキャストに三島景太、仲谷智邦、舘野百代らSPAC創生期からの俳優陣が加わる合同公演のようなキャスティングで上演された。

以下、SPACでの再演当時の劇評を一部改稿して再録する。

WONDERLAND劇評「演劇は祝祭である-宮城聰小論」から抜粋
 現在のシステムから言えば全員がSPAC契約俳優ということにはなるのだが、それでも昔からのファンにとっては美加理(ムーバー)、阿部一徳(スピーカー)のク・ナウカを支えた黄金コンビが富姫を演じるほか、大高浩一の図書之助とそろい踏みすればこれはもう「ク・ナウカ復活」だろう。
 天候・気候により雰囲気が一変するのが野外劇の醍醐味。予報が思わしく少し心配したのだが、3日夜はめったにないほどの好天だった。傾斜のある客席と斜面に建てられた建物に取り囲まれ、その底の部分に野外劇場「有度」の舞台はある。舞台背後の奥には緑濃い山並みも見えた。昼は暑かったが夕刻になり、開演前から気持ちのよい風が山から吹き上げてくる。この開放感が野外劇の魅力だ。 幕が張られた舞台裏から下座音楽となるパーカッションの軽快な音楽がにぎやかに鳴り出して「天守物語」は始まった。最初の場面では客席上手上方から破れ傘をさして富姫に扮した美加理が登場して、通路となっている階段をゆっくりと降りてくる。
 富姫の衣装に身を包んだ美加理のなんとも神々しくも美しいことか。「美加理、健在なり」と思い、「静岡まで来たかいがあった」と嬉しくなった。美加理の「天守物語」を最後に見たのは2001年7月(お台場・都立潮風公園噴水広場)。今から10年も前のことになる。富姫は播磨国姫路城の五重に棲む高貴な妖怪なのだが、美加理の人間離れしたまばゆいばかりの美貌に「この人自身が妖怪では」あるいは「人魚の生き胆でも食したのでは」などと考えてしまうほどだ。失礼ながらそれなりの年齢になってはいるはずだが、美しさにも人並みはずれた存在感にも一層の磨きがかかったように思われた。
 前半部分のあまり動かない部分で以前は人形振りのような所作をしていたが、今回そこで美加理の指先と腕の動きに東南アジアの舞踊風の動きのように見えた。演出が変わったのかと思い終演後尋ねてみると「意識したものではない」とのこと。ただ、ここ2年ほど南インドにたびたび渡り、現地の舞踊家とも交流を重ねているらしく、「そうしたことが無意識に動きに反映されているかも」とのことであった。「天守物語」に関していえば、鯉のぼりをあしらった派手な色の衣装といい、獅子頭や破れ傘の造形といい無国籍かつ多国籍風にアジア的なイメージを打ち出していることもあり、美加理の南インド風身体所作もそうした要素の一つとして似つかわしいものであった。
 スピーカーを担当した阿部一徳の語り芸にもより一段と熟練の業を感じた。以前はなかった唄まで入って、まさに自在の境地だ。大高浩一演じる図書之助の涼やかなる美男ぶりといい、これ以外の組み合わせを創造するのが難しい最高のキャストによる「完成度」のきわめて高い舞台でもあった。
 ク・ナウカでは通常の芝居のように1つの役を1人で演じる(言動一致体)のではなく動きを担当する俳優(ムーバ—)と語りを担当する俳優(スピーカー)の2人1組が1人の人物を演じる。人形を操る演者と語りを担当する演者が分かれて、1人の人物を演じる人形浄瑠璃からの連想で「人間浄瑠璃」などとも呼ばれるが、この特殊な様式でギリシア悲劇シェイクスピア、歌舞伎台本のような古典から三島由紀夫の「熱帯樹」などの現代劇にいたるまで、様々なテクストを上演してきた。2人1役はそれを間に挟むことで現代人である俳優がリアルに演じることが難しいような等身大を超えた非日常的な人物像を具現していくための手段であり、そこにはそれを具現化するための演技論もセットとして組み込まれている。

 オペラにおけるレチタティーヴォとアリアに例えられるような演技二分法がそれで、最終的にはアリアのような開放されたものを見せたいのだが、演劇はそれだけを見せてもだめで、最後にアリアを見せるためにはその前に唄わない(踊らない)セリフ・演技による状況や関係の説明(レチタティーヴォ)がどうしても必要だというものだ。最終的に至高の高揚を見せるのが目的でもそれをより効果的に見せるには抑制された演技の積み重ねが必要。このためク・ナウカの舞台ではパフォーマーがアリアのように歌う開放された演技を許されるのは最後の方のほんの一瞬だけなのだ。
 この「天守物語」はほかの人物も登場するが、それは状況の説明のためのものにすぎず、ほとんど富姫と図書之助2人だけの物語というシンプルな構造を持っていること。2人の出会いと恋がメインモチーフだが、それが余計な挟雑物なしにほぼ一直線に突き進んでいくこと、などの理由からク・ナウカの方法論とのシンクロ率がきわめて高い。そのせいか「エレクトラ」「王女メディア」などほかの作品で宮城は作品に演出家なりの現代的な解釈を持ち込んでいることが多いのだが、この「天守物語」はそうした要素はほとんどなく、それが一層純度を高めている。
 2人1役システムについてなにより美加理という特別な存在をいかに魅力的に見せるのかという仕掛けだから実は「美加理システム」と呼んでもいいものだと言って、演出家である宮城に嫌な顔をされたことがあるのだが、舞台上で日常とはかけ離れた美しさ、神々しさを体現できるという美加理の魅力がもっとも存分に発揮されたのが「天守物語」だと言ってもいいだろう。

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*1:

平田オリザの仕事〈2〉都市に祝祭はいらない


*2:宮城聰(ク・ナウカ主宰=当時=)インタビュー 1998年下北沢通信収録 http://t.co/5hza5bu

りん (id:simokitazawa) 2年前

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