僕らの住む町

「僕らの住む町」という曲を書いたのはもう12年も前のことになる。

そんな風に曲の年齢を数えることなんてあまりなかったものだから、そんなにも歳月が過ぎたのかと少し慄いた。

だが考えようによっては、オギャーと生まれた赤ん坊が小学校を卒業するかしないかくらいの歳月が12年くらいなので、まあまあ幼き子どもでもあるのだ。

あの頃どんな気持ちで、どんな風にメンバーと気持ちを作っていたかは未だにはっきり覚えている。この曲だけに関わらず、自分が作った曲は全部覚えているな。それこそ、自分にとっては大事な子どもたちである。

僕らの住む町という曲はおかしなことに3テイクのバージョンが存在する。

ファーストバージョンは、ちょうど英語と日本語と両方の詩が存在する頃、会場限定のシングルCDに収録された。

この曲の完成により、以後日本語ポップスバンドとして突き詰めていくことを覚悟したと言っても過言ではない。

セカンドバージョンは、その翌年に発売されたファーストアルバムにその時のバンドの代表曲として再録された。

サードバージョンは、そのファーストアルバムをメジャーマネジメントの方が発見してくれて、それがきっかけになり一年の育成期間を経てメジャーデビューをして、2枚目のミニアルバムに再度収録されたのだった。

サードバージョンに関しては、本当は自分としては断固反対だった。もはや再録しているものをもう一度録音し直すのは作り手としてどうにも違和感があったし、ファン心理としては新しい自分たちの曲を聴きたいはずだし、その時の自分は何より新しい曲たちに自信を持っていたからだ。

だが、これからバンドの音楽をよりいっそう広く届けていこうというタイミングで、レーベルサイドがあの曲の力を使いたいと思ったのはよくわかるし、自分でもよく出来ている曲だと思っていたので色々な条件を付けさせてもらって、再録をすることにした。

イントロを変更したり、ところどころライヴで行っていたアレンジを積極的に盛り込み、当時のファンの方々にもわざわざレコーディングスタジオに来てもらって、コーラスやハンドクラップを入れてもらったりと、あの曲に当初から託していた思いを具現化させる一心でとにかく人間の音や温度を重ねていった。

こうして自分の中での「僕らの住む町」は完結した。おそらく関わってくれた人の中でも細やかな思い出になっているだろう。そう願う。

そのサードバージョンが原因で、自分とレーベルサイドで不和が生じて、レーベルからクビを言い渡されることになったので、当時は本当に本当に聴くのが嫌になったこともあった。

今となっては、昔ヤンキーだった大人の酔っ払ったときに顔を出す武勇伝みたいな面白おかしく話せる小話になったけれど。

話は変わるが、この曲に自分の住む町である「東京」という言葉を入れなかった。

この曲を聴いてくれた東京以外に住んでいる人がしっかりと「僕らの住む町」を感じてもらえるためである。

「まち」もあえて、「町」にした。

このへんは自分が自分過ぎてこそばゆい気持ちになるけれど、そのへんは今でもあまり変わっていないかもしれない。

自分は東京に生まれ育った一人の人間として、東京という街が、歌の中で出てくると嬉しくなることと、悲しくなることがある。

きのこ帝国の「東京」という曲を聴いたときはとても嬉しかった。

単純に曲が素晴らしいのだけど、自分が思う東京という街をしっかりと写実してくれているようで。おれは東京の回し者でも何でもないんだけど。笑

くるりの「東京」もとても好きな曲だけど、生まれ育った自分にはこの曲の本当の良さは一生わからないのだろうなと思って、少し歯痒い気持ちになった。今思うと、どれだけ感じたがりなんだよと思う。笑

東京を歌う歌はたくさんある。

東京は自分の大事な故郷だから、陳腐で雑な表現をもってして、東京を歌われると悲しい。

東京は誰の心も蝕むことはないよ。

人と建物が多いだけだ。

東京の曲作ろ。

#thechefcooksme #東京 #たま川

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