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批判することも、批判されることも怖がらなくていい ~映画『成功したオタク』を見た話~

横浜シネマリン横の「喫茶あずま」で。

私が小中学生の頃は、ちょうど80年代のアイドル全盛期だった。
小学校の高学年の頃、友達のお姉ちゃんが「銀河英雄伝説」のコスプレをしている写真を初めて見た時、私は「オタク」という言葉を知り、その後高校ではバンドブーム、20代でキムタクブームがきて、今は「Travis Japanはもっと売れていいのではないか?」と真剣に考えている。
いつの間にかあらゆるジャンルで使われるようになった「オタク」。
自分はオタクと言うほどではないけど、ごく普通にジャニーズタレントに触れ、応援してきた人間だ。

そして先日もnoteに書いたように、旧ジャニーズは今も大きく揺れている。タレントたちを応援したい気持ちはあるが、BBCの東山社長のインタビューを見て、何も言わないタレントたちに疑問を抱いた。
その姿勢は、世間の性加害を容認していると取られても文句が言えないのでは、とも書いた。
なんかもう、ただ純粋に「いい曲だよ!」「すごいパフォーマンスだよ!」と誰かに教えたいだけの気持ちでさえも「あまりに能天気すぎないか?」と自分に感じるようになった頃、「成功したオタク」という映画が公開されることを知った。

「ちゅ~るはもう買えない」人たちと失敗したオタク

「成功したオタク」は、撮影当時21歳のオ・セヨン監督作品。
中学の頃、K-POPアイドルの熱狂的ファンだった彼女はあるアイデアで「推しに認知」され、ファンの間でも知られる「成功したオタク」として応援を続けていた。
しかし「推し」はある日突然、性犯罪者となってしまう。
混乱と葛藤のなかで、彼女は自分と同じような経験を持つ友人たちを思う。
そして「オタク」たちを訪ね、自分自身の気持ちも掬いながら歩いて行くドキュメンタリー作品。

これ、どうでもいいっちゃどうでもいい話。
推し活なんてあほくさいと思う人もいるだろう。
けれど、先日の食品メーカー「いなば」の社宅をめぐる一連の問題のなかで、ある猫好きの方が「推しが問題を起こしてしまった人の気持ちが初めてわかったかも」という内容のポストを上げていたのを見て、これは意外と色んな人の中にある気持ちなのかも知れない、と思った。

映画の中には、様々な女性が登場する。
(中には好きになるアイドルがことごとく性犯罪を起こしたという女性もいて、かわいそうを通り越して本人も面白くなっていた。)
みんな若い女性で、それは監督が若いからそうなのか、それとも韓国のオタクは若い世代が中心なのか分からないけど、みなはっきりと「性犯罪を犯す人間は最低だ。」と言う。
これは事件が女性に対する性加害で、近年韓国で活発になっているフェミニズム運動とも関係していると思うのだが、推しが犯罪者になったことと、自分自身が社会のなかで日ごろ考えていることがしっかりリンクしていて、嘘だ本当だということに終始する日本の一部オタクとはそもそもの考え方が違う気がした。
いや、この映画には登場しないだけで、そういう声は少なからずあるんだろうと思う。
けれど、監督が自分や人々にこの出来事のなかで伝えたいのは、そういう面の批判ではないと感じた。
それはグッズのお葬式をするときの宝物や推しへの愛や、推し活を通してつながった友人たちとの旅行の思い出であったり(トイレでギター落として折れたよね!とか)、そういう愛おしいものたちは紛れもなく自分自身の一部であり、その愛情は誰かに否定されるものではないし、自分自身も大切にしていいんだという肯定。
監督の優しく、ユーモアある人柄が画面を通して伝わってくる。

映画には、一連の政治汚職で失脚した朴槿恵(パク・クネ)元大統領の支援者集会が登場する。
元大統領と同世代と思われる、およそ60代から70代の人たちが中心に見えた。
彼らは元大統領に手紙を書いていて、「愛しています」「会いたいです」と、その内容はなかなか熱烈。
実はこの場面を見ている時、私は「ジャニーさんありがとう」「ジュリーさんありがとう」というジャニーズファンの言葉を思い出していた。
私には大統領へ手紙を書く人たちと、創業者や社長に感謝を伝えるファンの姿が重なって見えた。
監督は彼らに求められ、元大統領に当たり障りのない手紙を書く。
でもその短い、季節のあいさつ程度の手紙の文面も私にはあたたかく思われ、恐らく世間ではしょーもないと思われているだろうこの支援者たちの気持ちも彼女には分かってしまうし、監督自身のお人よしな部分もあって、ちょっと切なくなった。

この映画に登場するオタクたちのなかでもっとも印象に残ったのは、監督自身の母親だ。
監督の母親は、昔ある俳優のファンだった。
しかし、その俳優も性加害者となり、自死してしまったのだという。
(それにしても韓国の芸能人の性加害多すぎないか?と思ったが、日本は性犯罪がそもそも表に出にくい環境にあるし、芸能界は昔からそれが横行していて騒がれることでもなかっただけの事なのだろうということを、私自身ほんの少し舞台関係の仕事をしていた頃の経験からも思う。)
この母親のインタビューがとてもよくて、これはオタクだけの話じゃなく、なにかに夢中になったり、愛した経験のある人みんなに見て欲しいと思った。
でもオンマ、控訴したことは許せなかったのね。

「より良い人になりたい」と思える存在

「成功したオタク」を見た後、私は「#成功したオタク」で検索をした。
きっとたくさんの「オタク」がこの映画を見ているはずだから、オタク自身の声が知りたいと思ったからだ。
それはほとんどが好意的に捉えていて、「これはこの心境に至るまでのオタクたちの記録であり、オタクがオタクと語り合う映画。その姿は自分とも重なり愛おしい。」というものだった。
そう。
その時間を振り返る時、そのすべては楽しい思い出なんだよね、きっと。

その中で見つけた野崎洋子さんという、ヨーロッパ音楽を紹介するお仕事をされている方のブログを引用する。

同じ気持ちである他のファンの話を聞いたり…。最高に泣けるのがグッズのお葬式のシーン。あそこは泣けるわー。でもって、泣きつつ笑う。泣きながら、自分で自分が滑稽で笑っちゃったりしてるのよね。

ただ私はこの映画を見ていて一連の問題に結論が出た(と言い切ってしまおう)。それはお母さんの言葉にヒントがあった。

それがリアルでもヴァーチャルでもいい。愛とは自分を成長させるものでなくてはいけないということ。それが本当の愛なのだ。そして「愛」とは共に自立した人間の間で成立するものだ、と。それがリアルでもヴァーチャルでも。

これファンということだけじゃなくて、普通の恋愛関係でも、家族でも、友情でも同じじゃない? 相手が酷いやつだとわかって幻滅したり、愛が冷めたり、そういうい現実は悲しいけれどたくさんある。

でも、それによってその人のことを好きだった自分を否定しなくていい。要は自分がその人を知ってどういう人間になったか、ということなのだから。

本当の愛はその人を成長させる。これに尽きる。

だから「推し」に溺れるのはよくない。それはリアルな恋愛でも一緒。DVがあれば離れる、これも健全。相手が犯罪者だと知ったら離れる、これもまた健全。

THE MUSIC PLANT Blog
映画『成功したオタク』を観ました。いやーーー これは素晴らしい。わかる、気持ちわかる!

日付: 2024年4月9日

そしてこのブログの中で、オ・セヨン監督のインタビューを引用している。

「彼を好きだった過程が大事であって、彼がどういう人間かという結果は大事ではない、と。誰かを好きになる行為を通して、自分がどのような人間になっていくのか。それが重要なんじゃないでしょうか」

朝日新聞デジタル
2024年3月24日

翻ってこちらは社会運動を研究している方のポスト

「勝手に好きになって勝手に裏切られたって言える、無関係なのに理解者ぶれるって、ファンって気楽な立場だなと思った。」

ひとつのポストの中になんでここまで言葉の刃をギラギラさせてるのか謎すぎるのだけど。
勝手に好きになったのはそうだけど、ファンは必ずしも「勝手に裏切られたって言える、無関係なのに理解者ぶってる気楽な立場」なわけじゃないことが、この映画を見て伝わらなかったのかぁ…と私は思ってしまった。
だって、出てくる人はみんな苦しんでる。
中にはインタビューを断った人もいる。
でもきっと「それがお気楽だっていうんだよ」と、この方と同じ感想を持つ方はいるだろうなと想像する。
これはファンによるファンのための映画の側面はどうしたってあるし、それが「ファンダムの有害さ」に映ったということだろう。
ファンダムの有害さというものは私も否定はしないが、この映画はその有害さをもって冷笑したり、見下したりする作品じゃない。
オートエスノグラフィーという言葉を使っているけど、私はこれはやはり「映画作品」だと思う。
調査でも資料でもなく、監督が心を動かされたものを追っていく映画。
取材を続ける中で、自分はジャッジできる立場ではないし、二次加害の可能性も考え今もタレントを擁護する人たちに会いにいくことは止めた、と語っている監督らしい映画作品。
だから私はこの作品にファンダムの「有害さ」よりも、背中を撫でてもらったような優しさを感じた。
私も自分がSNSで推しの楽曲をポストする度、これでいいのだろうかと悩んでいたから。
そういう人間の気持ちをわかろうとしてくれる人は、あまりいなかった。
オタクだって、感情のあるひとりの人間なんですけどね。

私自身がトラジャを応援するなかで、時々「彼らを応援するようになって、よりよく生きたい、より良い人間になりたいと思うようになった。」という趣旨のポストを目にする。
それは10代の少女から、私のように彼らの親世代の人まで様々だ。
おそらくトラジャ担の場合、残酷ともいえる不遇の時代から、そこから脱却するために事務所に直談判し、すべてを置いて渡米したことでデビューへとこぎつけた、彼らのこれまでのストーリーもあると思う。
そしてその気持ちは、パンフレットの中で監督が「韓国のファンダムは社会活動に連帯するのはなぜか」という問いに対する

・ファンダムに対する偏見をなくすために「善なる影響力」を試しているのではないか。
・スターのおかげで自分たちがあるから、推しのために何かいいことをしてあげたい、スターが大好きだからその人の役に立つことをしてあげたい。

に通じるものもあると思う。
でもそれが結果としてタレント自身が自らを社会的に律し、ファンも自らの振る舞いがどのような影響を与えるかを考え行動していくことに繋がっているなら、どこかの誰かに何かを言われる筋合いはない。
彼、彼女ら(そして私)の幸福の追求を笑うことなど、誰にもできはしないはずだ。

この映画を見終わり、それがはっきりと感じられ、とても清々しい気分になった。

もちろん、性加害をはじめとする犯罪行為や薬物使用などはあってはならない。
しかし、そのことについて議論したり、批判したり、また自分が批判されることを怖がらなくてもいいと思った。
そして、誹謗中傷には断固として抗議する。

大切なのことは、オ・セヨン監督が言っている。

「誰かを好きになる行為を通して、自分がどのような人間になっていくのか。それが重要なんじゃないでしょうか。」

よりよい人になりたい。
そんな気持ちを持ち続けていけるなら、それはしあわせな生き方だと思う。



余談ですが、私個人としては、先日配信された川島如恵留くんのYouTubeチャンネルを見て、ちょっとホッとした。
いつの間にか会社を設立していたり、彼らは彼らなりに、自分たちの足でしっかりと歩いて行けるようにそれぞれ考えて居るのだろうと感じることができた。
でも、やはりなし崩し的な今の状況はよくないと感じているので、そこが払しょくされる日が来ることを願っている。

初回の動画がすでに30分越えで、如恵留くんらしさ全開となっております。字幕も全部ついていて、配慮された動画。大変だろうけど、楽しんで!



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