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今、つらいと感じている人に贈りたい、「ブランコ」の話

起業した頃、「あの人は大成功を収めていて、うらやましいなあ」と、他の起業家の人たちと自分を比べてしまうことがよくありました。人間の性(さが)かもしれません。人と比べてはいけないと頭では分かっていても、心が勝手にざわざわしてしまいます。今もたまにあります。

会社員の時はもっと酷かったです。「あの人は売上成績が良くて評価されている」「あの人に先に出世された」・・・。相手が後輩だとなおさら嫉妬心は強くなります。

それから約5年、少しずつ自分の仕事の仕方を作りながらやってきて、分かったことがあります。

人生は、ブランコのようなものである。

まず、
前に振れているときは、嬉しい、楽しいなどと感じる「スイート状態」。
後ろに振れているときは、つらい、苦しいなどと感じる「ビター状態」。
と定義してみます。(この記事のTOPのサムネイル画像のように。)

ブランコは、後ろに大きく振れれば前にも大きく振れるし、後ろへの振れが小さいと前にも小さくしか振れません。そしてもちろん、止まっていれば、前にも後ろにも振れていません。

自分にとって幸せな人生を送るには、自分のブランコがどのくらいの大きさで振れていれば、一番心地いいのか、を分かっていることが重要です。

人生40年間、様々な人を見てきましたが、前に大きく振れている人は、例外なく後ろにも大きく振れています。というか、後ろに大きく漕いでいます。成功している人を見た多くの人はそのことに目を向けず、「あの人は成功していて、いいなあ」と思います。しかし、大きく成功するには、それ相応の「ビター状態」を自ら作り出し、受け止め、努力したり対応したりしなければなりません。凄まじいストレスやリスクをとっているのです。

どんなに成功しているように見える人でも、下の図のような状態は、絶対にありえません。

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逆に言うと、次の図のような状態も、絶対に起こりえません。

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ここで、こう思う方がいるかもしれません。
「いや、私は、後ろに一生懸命漕いでいるのに、全然前に行かない」
「私は、ずっとつらくて、後ろ側に固定されている」

そんなことはあり得ません。後ろに振れていることで「つらい」という状態を感じているならば、必ず前にも振れている、つまり何かが確実に良い方向に前進しています。

ずっとつらいままだ、と感じている状態には2種類あり、
1.ブランコが下で静止している
2.前に振れていることに気付いていない

このどちらかです。

僕がこれまでの人生で一番つらかったのは、20代の頃、病気で倒れて1年半寝たきりになったときでした。全身が絶えず痛み続け、歩くこともできず、毎日泣いて時間をやり過ごしていました。

このときの僕は、今思えば、
・肉体は思いっきり前後に振れている状態
・精神はブランコが全く振れていない状態
でした。

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つまり、体は激しく痛みながら、必死に治ろうとしてくれていた。その苦痛の中で、脳は前向きな思考をやめ、全くブランコを漕ごうとしていなかった状態、だったと捉えています。肉体と精神がバラバラの最悪な状態でした。

この状態から抜け出すきっかけになる出来事がありました。

高校生の時、親友がとある事情で突然学校をやめてしまいました。当時、その子の家に迎えに行っても会うことは叶わず、その後大学に進学した僕は、ときどき手紙を出しました。「自分に責任があったのではないか」「もう一度会いたい」という気持ちに何年も囚われ、その子が自分の元に現れて、「ああ、よかった!」と思う夢を見ては目が覚めるということが何度もありました。

いつしかそのことを思い出す機会は減り、20代のとき僕は倒れてしまいます。そして実家で寝込んでいた年の1月1日に、その子から年賀状が送られてきたのです。本当に驚きました。離れてからちょうど10年目のことでした。その年賀状には、「昔、手紙に返事できなくてごめん。今は東京にいます。」ということが書かれていました。

このタイミングでこんなことがあるのか、と思いました。その夜から僕は歩く練習を始めました。全く曲がらなくなっていた膝を、夜中に恐る恐る曲げてみたときのことをはっきりと覚えています。その友人に会いたいという一心でした。

それから毎日少しずつ、実家の周りの田んぼ道を歩きました。最初は、歩き方を忘れていて驚きました。雪が解ける頃には、数百メートル先に目標として決めていた木まで歩けるようになり、その後は、毎日その木まで行って家に戻ってくるまでのタイムを計りました。歩く速度は少しずつ上がっていきました。

その夏にはおおよそ活動できるようになり、東京に戻った僕は、親友と再会することができました。

この経験が、まさにブランコをちょっとずつ、ちょっとずつ漕ぐ、ということでした。それまで肉体的にも精神的にも状況を変えようとしていなかった僕が、ひとつのきっかけでブランコを小さく漕ぎ始めたわけです。

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他にも僕の人生では、いじめとか、親との関係とか、仕事上のこととか、恋愛とか、つらいことはたくさんありました。そのどれを思い返しても、ブランコが後ろに振れたまま静止していたことはありませんでした。前後に大きく振れすぎているか、あるいは止まっているか、そのどちらかだったのです。もちろん、僕の経験なんかよりも、ずっとつらい思いをしている人はいくらでもいます。その人たちのつらさは分からないかもしれません。でも、どんな場合においても、ブランコが振れる大きさを漕ぎ方で調整すれば、少しずつ自分にとって幸福な振れ幅にしていけると思うんです。

今、もしこの文章を読んでくれているあなたが、何かで「つらい」と感じているなら、肉体・精神のそれぞれが、大きく振れすぎているか、止まっているかの、どちらかの状態だと思って一度振り返ってみてください。

また、大きく前に振れているように見える誰かに嫉妬してつらいのだとしたら、自分はその人と同じくらい後ろにも漕げるのか、そんな人生が本当に自分にとって心地いいのかをちゃんと考えてみてください。

僕は自分が心地よく感じる人生の振れ方を、40年かけてようやく分かったみたいです。(これからも、時代によって変わるのだと思いますが。)

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もっと大きく振れていた頃もあったし、ほとんど静止していた頃もありました。そこから、ちょっとずつ、ちょっとずつ、勢いを調整しながらブランコを漕いできました。ブランコは、急にいい感じで振れることはありません。毎日、ちょっとずつ、ちょっとずつ。そして、漕ぐのをやめると、振れは必ず小さくなっていってしまうので、いい振れ幅を保つように。漕ぐのに疲れて飽きないように。自分のリズムで漕いでいます。

ブランコが止まってしまっているかもしれない人は、試しにちょっとだけ漕ぎだしてみてはいかがでしょうか。
振れ過ぎているかもしれない人は、良いところに落ち着くまで、少し止まってみてはいかがでしょうか。

人生のブランコの振れ幅は人それぞれ、自由です。そして、何度でも漕ぎ直すことができるはずです。





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