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アートシンキング(アート思考)では、「分からない」が重要だと思う


周りのビジネスパーソンが「アートアート」と言い出して、僕は「え、どういうこと?」と思っています。そして試しに「〇〇さんって、アート好きですか」と聞いてみたりすると、「好き、です。」と答える人が増えてきました。

僕はいわゆるアート作品を見てもほとんど意味が分かりません。なので、一般的にアートアートと騒がれ始めた2016~2017年頃(スマイルズのパビリオンや、GINZA SIX の蔦屋書店などがオープンし、山口周さんの本が流行り出した頃)には、ちょっと何言ってるか全然わかんない、という感じでした。

アートシンキングとは何かをネットで調べてみると、

人が芸術を生みだすときの思考、特に、芸術家が芸術を生みだすときに使っている思考プロセスを活用して、 豊かな生き方やビジネスを創造する。
芸術家が作品を生みだすときのように、自分の感情を重視し、人と共鳴することで、新しいモノを生みだしていく。(以上、芸術思考協会HPより抜粋)

みたいな感じです。他人の感情を分析するデザインシンキング(デザイン思考)に限界が生じたため、新しいものごとを生み出すために、個人の美的感性から思考するのである、ということのようです。

僕も、自分の近著『企画のメモ技』の主題が、”個人的欲求に気付け” なので、何となくわかるような気もしますが、やはりアートの何がビジネス創出に役立つのかは未だによくわからないし、たぶんアートシンキングだとか、アートとサイエンスを使い分けよとか言っているビジネスパーソンのほとんどが、わかってないんじゃないか? と、歪んだ疑惑の目を向けています。「アートとサイエンスの両方から…」とか言っている人を見ると、「アート学んでどうやってビジネス作るねん!」と思っています。

ただ一つ、アートシンキングに関して僕が感じているのは、例えばアート作品を見て、「なんだこれ、良いか悪いか、好きか嫌いか全然わかんないわ!」と思うことが、重要なんだろうな、ということです。

僕は、自分が人生を賭けて手掛けるべき企画を見つけるためには、「好き or 嫌い」を見分けていきましょう、ということを本や講演で伝えていますが、より正確に言えば、「好き or 嫌い or 分からない」を見分けていきましょう、ということになります。好き⇔嫌い、ではなく、好き⇔分からない and 嫌い⇔分からない、です。(嫌い、は重要です。)

どんな人だって世の中のほとんどのことが分かりません。

しかし、わからないものをわからない、と分かることで、わかることはわかる、と分かることができます。

例えば僕は、視覚的芸術作品の良さはほとんどわかりませんが、形態が違う芸術の一つである「落語」の良さはわかります。大学時代に4年間落研に所属していたからというのもありますが、そもそも、落研に入りたいと思う時点で、着物を着て古典を話して人を笑わせる芸能、という、人にとっては奇妙なアクティビティの良さが分かっていたのだと思います。観客が大笑いしているすごい高座を見ると、最終的にぼろぼろ泣きます。非常に美的だと思います。でも、落語の何が良いか全くわからない人の方が多いでしょう。

また、僕は幼少期から感触フェチであり、触り心地がいいものを探して触り続けるという癖を持っていて、現在は感触を楽しむおもちゃも積極的に作ります。これに関しても、こんな感触がいい、などを言語化できているわけではなく、自分にとって気持ちいいかどうかだけを追求しているだけです。このことは、視覚的アートではなく、触覚的アートを作っているとも言えます。そして、手触りに関しては、「好き or 嫌い or わからない」を自分の感性ではっきりと語ることができ、それも美的だと思います。(最近では、購入した新しいスマホに付属してきたケースを触った瞬間ぶち捨てて、100均のシリコンケースを買い、爪でぞんざいにいじって愛用しています。)

このように、先天的か後天的かも定かではない自分の感性で好き嫌いが分かる領域を知るために、「自分はこれがわからない」とちゃんと分かることが重要なのだと考えています。

美術館で作品を見て「いいね!」、難しい本を読んで「いいね!」、、みたいなことを言う人の方が、もしかしたら分かっていないのかもしれません。僕は作品を見ても本を読んでも、「なんだこれ全然わかんねえ…」となって感想を一言も言えないことがほとんどだし、エンタメの大企業に勤めていた時から、ほとんどのアニメ、ゲーム、おもちゃの良さが全然わかりませんでした。だから、数少ない好きになったものの良さを何時間でも語ることができて、そこから得たヒントから自分が確かにいいと思うものが分かり、それを商品作りに活かすことができているのかなと思います。(いろいろなところでよく話している、アプリゲームは6年間にゃんこ大戦争しか続いていない、小説は奥田英朗を繰り返し読んでいる、とかいうのは、そういうことです。)

世の中のほとんどのことが分からない個人が、なぜか「分かってしまった」ものごとが、その個人の感性武器であり、それをぶつけて他人と共感し合うのがビジネス文脈のアートシンキング、

で、いかがでしょうか?

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