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ひかり

また、ふりだしに戻った感覚だった数週間


ほんの少し
ほんの少しだけ
また光がみえた気がした


ゆだねきった先に届くギフトは
とっても
やさしくて、やわらかくて
この世界は優しかったことを
思い出させてくれる



必ず夜はあける。
なにもしなくても。
なにかをしようとしなくても。
それは、32年間、息させてもらうなかで
信頼できるようになったこと。



同じところをぐるぐる繰り返しているような自分を、久しぶりに好きになれなかった。例えそれが、同じようなところをぐるぐる繰り返してるようで、螺旋のように、上昇していっていたとしても。



ありとあらゆるツールやアイテムが
もう全て揃っているし、あるのはわかってた。
もう、なにかを付け足していくのではなく
削ぎ落としていくターンに入ったよね。



そのツールでさえ
使いたくない。
こんなにも人ってスイッチが切れたとき
一本の糸が切れたとき
なにもかもの欲がなくなることを身をもって体験する。


欲があるってすごいことなんだよ


あれが食べたい!
あそこへ行きたい!
あの子がすきだ!
なにができるかな?
こうしたらいいのかも
喜んでくれたらいいな
笑ってくれたらいいな
おもろいことしたい!
投稿したい!
ひとつに溶け合いたい!
話したい!
会いたい!
参加したい!
これをしたい!
稼ぎたい!





こう思えるありとあらゆる
ひとつひとつの欲が
どれだけ、奇跡で、生きる活力を与え
パワフルでエネルギッシュだとゆうことなのか身をもって知る。



夢は夢で終わらせない。
待つより掴みにいく、
どちらかといえば、そんな生き方だった😌
だから
そのおかげで
沢山の素敵な出合い
心震える瞬間
ひとりひとりとの響き合い
この地球だからこそ体験できるいろんな感情を
味わって、寄り添って、笑いあって。
ほんとにほんとに魂から願うことは
ありがたいことに
全て叶えさせてもらってきた方だとおもう。


きっと
すべてが人よりも速い。
波瀾万丈だねってよく言われていたけれど
それは、たぶん、好奇心旺盛で行動力があって
思ったら即行動を繰り返させてもらってきただけだとおもうんだ。




だからね
今のようなタームに入るのも
同世代にしては速い。
ふと、周りを見渡してそう感じてる。



自分のことを愛せないと思ったとき、ジタバタするのをやめた。
なにもしなかった。
なにかをしようとしなかった。
蛹が蝶になる前に、じーっと静かに葉と一体になってるような、あの感じ。
神秘的で、神聖なるものだった、この体験そのものが。
本当に息するだけでよかった
全てをゆだねきってみた。
このまま、わたしはどうなっていくのだろうとさえ感じた瞬間もあった。
陽がつよければ陰もつよいもの。
それが陰陽
わたしがわたしとの統合




必ず夜は開けます



なにもしなくてもいい
ただ、ゆだねていれば
息していれば
ひとつの光達があちらこちらで呼んでくれる。
そして、めのまえに届くお便りは
泣けちゃうぐらい、魂からのよろこびをおもいださせてくれる。


見せてるところ
見えるところ
日の目をあびているところ
大それたこと
人生とは、生きるとはそれだけではない



こうやって
息させてもらってる今この瞬間に
どこかでひっそりと生きてくれていて、
誰にも気づかれず誰にも見られず
それでも小さく小さく、
そっと誰かの光になっているヒト・モノ・コトもある。
ひとりひとりが生き合うことでこの世界は成り立つ。
そんなことを、
この人生の中で
涙腺がゆるみ、胸がぎゅっとなり、胸がジワーッとなる一瞬を
何度も何度も見てきたし、感じてきたし
今も毎日そんなことを感じてる。



見えるものだけが全てではないし
見えないものだけも全てではない



振り出しに戻った感覚だった。
人って忘れちゃう生き物だから。
これまで生きてきた癖
思考パターン
潜在的に思うこと、感じること
反応することって
それが無意識にあたりまえになって、自分と融合するまで
何度も何度も反復練習が必要なんです。


だけど
何度も繰り返すなかで
本当の本当に、その願う生き方でありたいのであれば
潜在的に気づく時がくる。
そんなことも今回、気づき学んだ。


離婚した2020年。
よく、がんばった。
向き合いつづけた。
誰よりも、
生きるとゆうことを
言葉だけじゃなく、日々の中で実践し続けたことだけは誇りにおもいなさいと内なるわたしが、わたしを認めてくれた。
まっすぐに、純粋に、素直に、ひたむきに
毎日を生ききってきた。



ごくろうさま



こっちゃんは太陽のようだねって
言われることが多かった。
最近出合った素敵なおともだちたちに
こっちゃんは太陽のようでもあるけど
月あかりのように全体を照らす人でもあるね
って伝えてもらった




振り出しにもどったことは
なんだか
おもったより悲しかったんだけど
ひたすら
塞ぎ込んだおかげで
一日、一日届く優しい光達のおかげで
〝また、ここから、ここから〟
なかなかにおもしろいじゃないかと
顔をあげて、立ち上がり、歩きだした。


大したことないのだから。
すべての傲慢さがスルッとサラッと
流れてそぎおとされていったときに
あらわれる
〝わたし〟を超えた〝わたし〟




楽しみです。




そして
わたしがわたしとこれだけ向き合い
生きることを辞めない
諦めないのがなぜなのか。
この数週間で、その輪郭がはっきりしてきた。




わたしが笑って、
わたしが喜び溢れることはもちろんなのだけど
やっぱりやっぱり
わたしは、みんなの笑った顔と
みんなが喜び溢れている
みんながみんなのまま光あってる瞬間を
ただただみたい。それだけでした。



だから
自分がさせてもらえることで
目の前の方と
そんな一瞬一瞬を創りあいつづけること
沢山の
かけがえのない
ひかりが羽ばたいてく姿を
愛し、抱きしめ、見届けていく



そのために
まずは
自分を愛し、抱きしめ、見つめつづけよう




結局
たどりつくところはいつもおなじ。
〝生きててよかった〟
総じて、よろこびなのです。




7月は静かに淡々と粛々と
違和感を違和感のままにせず
空っぽになっていくまで
軽く、手放していく。




そのできた余白に
第3章への重なり愛がはまっていくでしょう




ありがとう


ありがとうございます🥰