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オリエンテーリングとの関わりかた

先日、意外とオリエンテーリングとの関わり方に悩んでいる人は多いのか、、?と思う出来事があったので、改めて考えてみた。

が、案の定私の場合は何も難しいことなんて思いつかなかった。


自分にとってオリエンテーリングは、3年前に始めたときから今まで(きっとこれからもずっと)趣味なので、関わり方に悩んだことがない。
陸上競技をやっていた時のように色々なやりたいことを犠牲にしているならまだしも、オリエンテーリングをやることで何も犠牲にしてないし、やる理由なんて「楽しいから」以外に何もない。

(いきなりスケールの大きい話になってしまうが、)私は結局のところ自分の人生に納得がいっていれば何でも良くて、そのための手段のひとつがオリエンテーリングを楽しむことで、そのための手段のひとつがレースで勝つこと。だからレースで勝てるように練習するだけのこと。少なくとも今はその方がオリエンテーリングが楽しいから。
趣味とシリアスは両立し得る。

ただ、勝つことが目的になってはいけない。定期的に、何故勝ちたいのかを振り返らなければいけない。でないと、経験上”勝ち”に拘って苦しくなる。
アマチュアの世界で、”勝ち”それ自体が意味や価値を持つことは珍しい。
“勝ち”はあくまで何かを得るための手段、だと思う。


もしオリエンテーリング”競技”をしているのが苦しい人がいるなら、少しだけこう思ってほしい。
「たかがオリエンテーリングじゃないか」と。

ほとんどの人にとってオリエンテーリングは(良い意味で)人生においてまあまあの重要度を持っているだけだと思う。オリエンテーリングで勝てなくたって死ぬわけではない。家族や友人を失うことも、長く形成してきた資産を失うこともない。
要は、オリエンテーリングで勝てないことが、オリエンテーリング以上に大事なものを失うことには繋がらない。


また(しばしば私も勘違いしてしまうが)、何かを犠牲にしながら競技に取り組んだ方が勝てるようになるわけでもなく、それが偉いわけでもない

シリアスは美しいが、継続は難しく、継続には何より心の余裕が必要だと思う。何かを犠牲にして取り組むということは、少なからず心身をすり減らす行為でもある。
したがって、他の何かを犠牲にしてまで取り組むことは、シリアスな取り組みを継続するうえで毒になり得、その選択はたとえ”勝ち”を第一目標に置いていても正ではないことが往々にしてある


少々話が逸れたが、結論私がオリエンテーリングをやる理由は極めてシンプルで「楽しいから」に他ならない。プロではないから、これ以上の理由は少なくとも私は要らない。

そんな私も、今はシリアスに競技をすることが自分にとってオリエンテーリングを一番楽しむ方法だと思っているが、今後何かオリエンテーリングより大事なものを犠牲にしないと続けられなくなったら、年を重ね衰えを感じて成績が落ちていったら、オリエンテーリングそれ自体の魅力が減退したら、きっとオリエンテーリング競技を今ほど楽しめなくなる。それはきっとオリエンテーリングとの関わり方を変える時なのだろう。
それが10年後なのか、1年後なのか、来月なのかは分からないが。

でも、所詮 ”楽しむこと” が第一優先の趣味の範囲であれば楽しめるときに楽しんで、楽しみ方も様々あって、つまらなくなった時の身の振り方は、その時に考えれば良い。

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