190117 あれから24年

もうすぐ平成が終わるので、平成に起こったあの地震のことを。

その日は2日間のセンター試験を特に手応えもなく終えてダラダラと眠りについた次の日の早朝だった。突き上げるような衝撃で飛び起きて、「地震だ!大きい!」と思ってしばらく揺れが収まるのをじっと布団の上で待った。それで親が部屋にやってきて「大丈夫?」と聞いてきたが、特に物が落ちたりとかはなく、大きい地震だったなぁ、くらいの感じで、また眠りについた。

それでいつもどおりの時間に起きてテレビを着けてみると、あちこちから火の手の上がっている長田の街や横倒しになった高速道路が画面には映っていた。震源地は淡路島の方で神戸付近が大変なことになっているということだけがそこからはわかって、ちょうど神戸に住んでいた姉と連絡がとれる、とれないでやきもきしたが、姉から連絡があったかの記憶が定かではないが、とにかく電車はうごいているようだったので、しぶしぶ学校に行った。

僕がいつも乗っていた近鉄京都線はそんなに影響がなく、普通に学校に行くとクラスの中で一番遠いのにもかかわらず、最初に教室についた。大阪から連絡している電車に乗って通学している人が多かったので、ほとんどの電車が止まっていたようだった。

とにかくちらほらと来るクラスメイトや隣のクラスの友人たちと大丈夫だった?神戸やばいよね、などと話した記憶はあるけど、センター試験の自己採点をした記憶は自分の中には何も残っていない。その後はなんだかふわふわした何日間かを過ごしたような気がする。

自分が経験した震災はこんなあやふやな記憶だけど、ビジュアルとしてさまざまなニュースや新聞から得たものが一体となって、今はとどまっているように思う。震災ボランティアに行った親友がそれをきっかけに将来進む道を医学の方に切り替えたのも目の当たりにしたが、自分は震災によって何か自分の進路が変わったかどうかは何もわからない。ただ、その時やりたかったことを信じて建築学科に入った。

あれから24年。いろんな不思議な縁で遠く離れた上海にたどり着いたが、せめてこの日だけはどこにいても哀悼を捧げ続けたい。

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