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ぼくとパンと人間たち〜『聖・麺包エクスキャリバー』

 これはひとりの人間と、その人生のターニングポイントに産まれたパンを取材した、いわばひとりと一個の魂の記録である。


 赤、黄色、だいだい。
 私を包むあまりにも鮮やかな極彩色は、それらの色のはじめのルーツじゃないかと思えるほどの眩しさだ。
 私が今いるのは田名部山。
 暖かい土地柄のため、もう初冬だというのに、あたりは近くの木々から枝葉の隙間にのぞく遠く山々の稜線まで、一面美しい紅葉が広がっている。微風が葉を優しくゆらし、近くにある小川のせせらぎが耳に心地良い。
 空気がうまかった。都会で暮らしているからか、顕著に感じる。ここではただそのままの自然が迷いなく燃えていて、こんなにも美しい。
 そんな田名部山の自然の一部のように静かに、私の目の前にひとりの女性が居た。敷き詰められた落ち葉の中、水溜りのように置かれた平石にそっと座っている。
 今回の取材の相手、真田比奈緒(さなだ・ひなお)(34歳・女性)さんだ。
 今は目を閉じて瞑想している。彼女は僧だった。秋色の法衣に身を包んで精神を高めている様は、まるで彼女がこの山そのもののようだった。

「わたしが作っている麺包(パン)の取材に来たのですね」
 10分ほど待ってから、目を開けた彼女が放った第一声だった。私はおどろいた。
 自然とともに暮らす彼女は電話などの連絡手段を持っていないので、今回私は事前のアポイントなしで来たのだが、要件をぴたりと言い当てられた。
「ふふ、自然が教えてくれたのです。山を登るあなたの放つ気は、木々や動物が敏感に感じます」
 驚きが表情に出ていたのか、彼女は微笑んでそう言った。
 どこまでも穏やか。それが真田比那緒さんに対する印象だった。例えるなら澄んだ小川の流れだ。
 しかしそんな真田さんも、昔からずっとこんな人物というわけでは当然ない。意外な過去を持っているのだ。
 パンは人、人はパン。これまでの取材でそれを学んだ私だ。本題に入る前に真田比那緒という人物の過去に迫ろう。

「4年前まで私は、ある団体に所属していました」
 《ホーリー・ウォリアーズ》。それがその団体の名前だ。
 人気が低迷していた女子プロ格闘技業界にあって、常に光に向かって闘い続ける団体である。そこでは真田比那緒は『エクスキャリバー・比那緒』と呼ばれ、《ホーリー・ウォリアーズ》を統率していた。
「あのころの女子プロ格闘技業界はひどい状況でした。《血みどろ・デス・マーチャー軍》という極悪非道のヒール団体が君臨していたからです」
 その団体は、試合中の反則、凶器攻撃は当たり前、なにより観客に浴びせる罵倒が聴くに耐えない内容だったという。
「まず、奇声です。不愉快な奇声を上げてから、罵声を浴びせるのです。『ギャギャギャーーッ! 死んだ海老! 海老! ウーー! ウウーーー!! オーロラビジョン……虹を眺める時間……ギャギャー! ウウーー! ……花のしおり……ウーウウー! ギャッギャッギャ!』といった具合です。なにがやねん、と私はいつも思っていました。ちなみに《血みどろ・デス・マーチャー軍》は皆、ひょっとこのお面を着用していて、その面からそのような、不条理な文言が発せられるのです。観客も私たち対戦相手も皆イライラしました」
 話を聴く限りでは、全くふざけた団体だが、質のわるいことに、実力も伴っていたらしい。
「そう。彼女達は強かった。反則などしなくても。
 特に団体の長である舎堂本町(しゃどうもとまち)・サターンの空中殺法には私たち《ホーリー・ウォリアーズ》も、何度も追い詰められた。コーナーポストからほぼ水平に飛んでくる高速ラリアート『腐り落ちたガルーダ』を回避するのは至難の技だった。しかもそこから、腕を絡めての膝蹴りや背中に回りこんでのパワーボム、グラウンドへの移行もスムーズ。対応する間もなく術中に落ちてしまう。あれは悪魔の技巧だわ。何人かは受身が間に合わず再起不能にまでなった」
 穏やかだった真田さんだが、わずかに眉間にしわを寄せる。
「好物はマンゴージェラートのくせに! 何が、猫舌だから大好きなキャラメルマキアートもアイスしか飲めない、よ! 何が、炊き込みご飯に松の実を入れると仕上がりが見違えるわ、よ! 知っとるわ! あほ! いっつも無茶苦茶して! スポンサーはどうなっとるんだ!」
 かなりエキサイトしている。過去を思い出しているというより、トレースしているようだ。言葉遣いまで変わって……。
 話を聴いていると、エクスキャリバー・真田と舎堂本町・サターンはプライベートで交流があったことが伺えた。興奮してるので今は聴かないほうがいいと思って追究はしなかったが。
 とにかく、そんな凶悪な《血みどろ・デス・マーチャー軍》の振る舞いによって、客足は減っていった(一部のマニアは残ったが)。
 それより深刻だったのは、嫌気が差して引退する選手が相次いだことだった。一時は選手の数が約6割にまで減少したらしい。
「その時期は私たちもやられっぱなしの団体のひとつでしたが」
 居住まいを正して、真田さんは再び語り始めた。
「あいにく私はそんな状況でも折れないプロ格闘技・愛を持っていました。私は立ち上がりました。私たちは徹底した《デス・マーチャー》対策、そしてサターンの『腐れ落ちたガルーダ』対策を講じました。しかし……」
 声を落として彼女は続ける。
「しかし、舎堂本町・サターンは、悔しいですが天才です。あほそのものの罵倒とお面こそしていますが、『腐れ落ちたガルーダ』は無敵でした。しかも私たちが対抗策を見出せずにいる間に新技『ゾンビの頭突き』を編み出したのです。あと『パンドラのお弁当箱』も」
 ひょっとこ軍団は手をつけられない強さになっていったという。
「もう正攻法ではどうしようもなくなりました。勢いに乗った《デス・マーチャー》はますます増長していきました。あるとき試合終わりに、ゆりっぺとカフェに寄りました」
 急に話が変わって私は一瞬混乱したが、ゆりっぺというのは舎堂本町・サターン(本名:舎堂本町友里絵)のことらしい。プライベートでは中学校のときからの友人だそうだ。
「私は当然、サターンとしての振る舞いのことを問いただしました。するとゆりっぺは『そら、仕方あらばって。せーて、やられんのげ悪いんでなが? せで、そんげに無茶しょがんと人気だげあ取らばぁでや!』と反論してきました。やり方こそ過剰ですが、私は彼女の言葉を聴いてそれも正論だと思ったのです」
 途中よくわからなかったが、おそらく、「弱いのが悪い。それに私たちがやってるような無茶なことでもしないと、もともと人気が低迷していた女子プロ格闘技界全体が持ち直すことなんてできないし、ここで駄目になっていく業界ならもともと可能性なんかなかったってことではないか?」と真田さんは言われて納得したということなのだろう。
「ただ、彼女のやり方はやはり、強引すぎました。だから私は、業界全体のために、《デス・マーチャー》と協力する道を選んだのです。しかしゆりっぺ、いえ、舎堂本町・サターンは頑なでした。私はなんとか懐柔する手立てを考えました。サターンとしての彼女は悪魔のようでしたが、普段の彼女は、季節の草花とカフェでダージリンを飲みながらパンを食べるひと時を大切にする女の子。切り崩すならそこだ、と、私は思い至ったのです」

 真田さんはとても賢明だと思った。
 全く別の対策を講じるということは、正攻法で勝つことを諦めるということだ。しかし意志が弱いわけでは決してないだろう。相手を認め、自分の力量を理解し受け入れたからこそ出来る判断である。この「受け入れる」というのは簡単ではない。
 真田さんは、苦難を打開する意志を持ち続け、その上で自分の実力を見限ったのだ。とても真似できない。
 それにしても、この穏やかな女性にそんなバイオレンスな過去があったとは。私は改めて驚いていた。

「私はサターンの勘所を知るため、季節の草花、そしてパン、ロハスでスローな生活を理解しようと思った。私は一時《ホーリー・ウォリアーズ》を抜けこの田名部山にこもることにしました。今では自然と一体になり、木々や草花、動物達とも対話できるようになりました」
――真田さん。あなたが山ごもりされてから、もう4年が経ちますが、その対策とはどういったものなのでしょうか?
 私は訊いた。
「ごらんなさい」
 彼女は、すー、と天を指さした。
 交差する紅葉の隙間からのぞく空に、白い点が見えた。何かが浮かんでいる? 上空100メートルほどの高さだ。
「あれはパンです」
 パンだそうだ。
「私が毎日瞑想して、気を練って、季節を混ぜ込んで生地を作り、日の光と風雨をイースト菌にして発酵させたパンです」
 …………。
 私は登山用のバックパックから双眼鏡を取り出し、上空のパンを見た。
 あっ、ほんとだ! パンだ!
「自然の気で出来た、限りなくロハスなエネルギーメロンパンです。これならきっとゆりっぺを懐柔できるでしょう。名付けて、『聖・麺包エクスキャリバー』。悪魔を討ち倒す聖なるパンという意味です」
 …………。
――舎堂本町・サターンさんですけど、この4年の間に結婚と引退をして、今はタレント活動してますよ。
「………………」
 眉間に深くしわを寄せて、20秒ほど沈黙したあと真田さんは、深い溜息をもらした。
「実は、山ごもりをした目的、あなたに話しながら思い出したんですよね。それまで忘れてたんですよね。あのパンも今日のおやつにしようと思って」
 かなり濃い苦笑いをしている。
「…………ど、どうですか? ごいっしょに」
 微笑もうとして、引きつっている
 せっかくなので呼ばれることにした。
 真田さんが、目をつぶって集中すると、上空のパンがすうっと降りてきた。まん丸の白いパンだ。メロンパンといっていたが、まんまるの表面にはてかりと微細な気泡が見えて蒸しパンみたいだった。
 その形だが、通常は平面に置いて成形していくわけだから、当然(というか物理的に)底がつぶれた球形になるのだが、何らかのちからで浮いていた『聖・麺包エクスキャリバー』は、重力の影響を受けていないため、全くきれいな、実際には有りえない程の球形だった。
 言葉ではひとこと“まんまる”だが、実際目にすると、なかなか見事だ。
 ひとかかえほどある聖・麺包の一部を手で千切って、食べる。

 もぐもぐもぐ……
 もぐもぐもぐ……

 ぺっ!(味がないし、生だ!)

〈了〉

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