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有馬記念 新馬先生はこう見る~希望~

プロローグ

有馬記念と聞くと、
なぜ、僕らは心が少し弾むのだろう。

初めての遠足に行くような、
好きな女の子と初めて食事に行く前の日の夜に少し浮つく気持ち。
未知の何かに、ときめくような。

1年の総括が
いい年だった貴女も、
ちょっと不運だった貴方にも
有馬記念は平等に訪れ、
年末に少しの勇気と挑戦する炎を宿してくれる。

今年の有馬記念は、
どんな有馬記念になるのだろう。
そんなウキウキな気持ちに浸りながら、
有力馬の単騎逃げになるなと思い、
過去の有馬記念の映像を僕は1年1年と遡っていた時、
全く記憶のない有馬記念のレース映像があった。
初めて見た有馬記念から26年、
毎年欠かさず見ているはず。
なのに、全く覚えがない。
初めて見る映像。
そんな昔でもないのに・・・・・・・

奇しくもそのレースは近々で唯一、
有力な逃げ馬が逃げ切ったレースだった。

その年も、有馬記念は見ていたはずなのに。
レース映像を見て初めて見るレースのような錯覚に陥った。

2017年の冬にあったこと、
僕の記憶からまるで落とし穴が出来たみたいに、
キタサンブラック最後の勇姿が消えてなくなっていた。

記憶の旅を辿るように、
その年のことを思い出す。

トランプがアメリカ大統領になって、
森友学園の問題が露呈し、
その年の秋に僕は管理職になった。


そうか・・・・


そうだった・・・・


思い出した。


その年、僕はふとしたことから、
初めてのマネジメント業務で気負い、
職場の人間関係に悩み始めていた。

そんな生活が続いて、
2ヶ月が経ち、
浅い睡眠しか出来なくなった12月のある日、
口に入れたご飯の味が全くしなくなった。
朝のパン、小麦の匂いがすると、
腹から胃液が迫り上がってくるのが分かる。
自分の人生で大きな彩りとなる食事の時間が、
一転、灰色の景色に変わった。

鬱症状を伴う、
適応障害だな。
鬱病とは、不快な刺激を体感し、
脳の中でセロトニンが過剰分泌されている状態。

以前は診断する側だった人間が、
初めて自身で心の病気を体験してみた時、
予想以上に冷静を保てず、ひどく動揺するのが分かる。
このことを相談できる人もおらず、辛かった。
なまじ心理学をかじっている分、自分がこういう状態になったことが、
なんだか恥ずかしく、苦しくなった。

きっと、僕は2017年の年の瀬も、
有馬記念を予想もして、レースを見ていたのだろう、
馬券も買ったのだろう。
なんなら、当てていたのかもしれない。

けれど、僕のその時期の記憶は、
味のしないパンに支配された。
ゴムみたいな食感、呑み込めない。
そしてお正月休みに入れる安堵感、
そしてまた職場に戻るのかという恐怖心に支配されていたんだなと。
当時の僕は、
有馬記念と聞いても心が弾まなかった。
だから覚えていないのだろう。

今、競馬を見れて、楽しく予想出来る。
これは当たり前ではないのだ、1年は当たり前に過ぎていくけど、それは実はとても恵まれていたんだな。

今、競馬ができる僕は、
とても幸せなんだな。

こう思える僕はたぶん悪くない1年を過ごせたんだ。

さぁ、改めて有馬記念の予想に入ろう。

調教診断

調教評価第1位

16 ディープボンド

一週前追い切り、疲れを微塵も感じさせず。

去年の有馬記念前も、動きを見て驚いたが、今年はもっと驚いた。後肢の動きが以前よりスムーズで加速すると伸びる。
相変わらずガシガシ追う必要があるが、海外行くたびに成長をしているような印象。
前目に付けたいが、まさかの大外枠。
川田騎手の位置どりが気になる。
早まくりする気がしている。状態は良い。

調教評価第2位

3 ボルドグフーシュ

1週前、出色の出来。

菊花賞の疲れもどこえやら、1週前の時計が福永騎手鞍上とはいえ破格。
併せ馬でラスト1Fが11.1。
終いも素晴らしい。
最終の坂路は、中山対策ともう長い所をやらなくていいという調教内容に見える。
スタートに難があるこの馬とスタートの上手い福永騎手のコンビ、さてどうでるか。

調教評価第3位

5 ジェラルディーナ

単走馬なりも気持ちよく加速

オールカマーで本命印を打って以来、その充実度に注目していたが、1番評価したいのは気持ちの落ち着き。併せ馬をしなくても、馬なりでしっかりと加速していく内容を高く評価。
個人的には、モーリス産駒の2500mがどう出るかと思っているが、ローテーション含め万全の状態で迎えられる。

調教評価第4位

7 エフフォーリア

三頭併せの真ん中で力強く先着

一週前の調教を見た時に1番嬉しかったのは、エフフォーリアが力強く走っていたことだ。
近2走はコーナーを曲がる前で以前のような加速を出さず、直線もタイムは出るが……
という内容であったが、久々に直線が力強く走っている。
横山武史騎手が見ているのは昨年の天皇賞・秋にいたエフフォーリア。そこには及ばずとも今年の中では1番良く見える。

調教評価第5位

10 ジャスティンパレス

最終もしっかり追われた。

菊花賞の内容を見ると、この馬はかなり強い競馬をしていた。
一週前も最終もCW 6Fで3頭併せ。
共に負荷は高く、一週前は3頭の外回し、最終は真ん中でしっかり伸びている。
ダービー、神戸新聞杯、菊花賞とゲートは早い。番手をマーカンド騎手が付けると、斤量減、距離短縮という恩恵が俄然活きてくる。

その他

加速するとそのスピードは抜群

9 イクイノックスはまだ未完成だと思える状況だが、前回より叩いている分よく見える。5位のジャスティンパレスと最後まで迷ったのが1アカイイト。最終追切で舌を出して遊んでいたが坂路のみの追切は変わらず、ただし前走の内容から軽視はできないと思っている。

エピローグ

脳科学で嫌な記憶を思い出すのは、脳が嫌な記憶を「まだ終わっていない出来事」と勘違いしているから繰り返し再生させるという説がある。

観終わったエロビデオと観終わっていないエロビデオだったら、
「観終わっていない映像」の方が気になる。また観たくなる。
観終わったものはラックに丁寧に片づけられるけど、観ている途中のDVD、行為の途中で終わらせたままでいられる男子がいるならその人を紹介してほしい。
聖人とあがめよう。けれど、友達にはなれない。

話が逸れた。
しっかりと処理された記憶は「想い出」として大切にしまわれるけど、処理しきれない記憶は繰り返し思い出される。「未処理の記憶」は脳がずっと気になっている状態。
僕は2017年の年末を、なかったこと、「終わった出来事」にし、思い出として処理出来たのはなぜだろうか。

5年という月日は、色々なものを変えていく。
2018年、
年が明けた僕はストレスフルな職場から元気な内に転職し、
2年後、その職場で結局また管理職で仕事のタクトを振りはじめた。
ご飯の味は徐々に戻り、今では毎日美味しいご飯を食べている。
ただ、朝に食パンの匂いを嗅ぐとやっぱり餌付いてしまうけれど。

でも、僕が生きている目的を
「美味しいご飯を食べる」
にしているのは、思えばこの時の経験のせいなのだろう。

でも、人は楽しみがあれば生きていける。
それを「希望」ともいう。

1年という月日は、5年よりは短いけれど、
それでも何かを変えるのは充分な月日だ。

僕は1年前の有馬記念はよく覚えている。
直線に入る刹那、10番をつけた黄色い帽子をつけた馬が
ゴム毬のように弾んだ馬体と力強い四肢が少し外を走って駆け抜けた。

「有馬記念は好きな馬から買えばいい」

と、誰かから教えてもらった。
たぶん、僕の競馬における師匠なのだろうけど、これは脳が忘れてしまった。

僕は、競馬が大好きだ。
良い競馬のレースを見た後は、その映像が脳内でまた再生出来る。
それは、そのレースが「終わらないこと」として脳内で保っているからなのかもしれない。

競馬が見れて、美味しいものが食べれて、沢山好きなだけ寝れる。

それより幸せなことなんて、僕の人生には必要ない。

けれど、元気でなければ競馬をやる気力もない。
皆がこのnoteを読めるということは、皆が元気でいるという証拠だ。

有馬記念がやってくる。
予想している時間、
それは「終わらない娯楽」として、
永遠に過ごしていける。

でも、その時間は永遠ではない。
発走まで、刻一刻と時を刻み、
レースは開催され、
我々は、その結果に一喜一憂する。

今年もマスクなしで過ごせなかった世界、
信長の野望みたいな侵略戦争が起こった世界、
そして、王者として迎えた1年が惨敗として屈辱にまみれた世界。

とある騎手は週中行われた記者会見の中で、真剣な眼差しで
今できる中で最大限を尽くすと言った。
僕は知っている。
1年という月日は長くはないけれど、
良くも悪くも、何かが変わるには十分な時間だと思う。

去年の姿はそこにない。
今ある姿で構わない。
僕が今年、暮れの中山で見たいのは
今ある中での弾む雄姿。

そうそう、僕が初めて見た有馬記念
桜色の勝負服が、ゴール板を先頭で駆け抜けた。
その馬に跨る騎手は、前走、1番人気で迎えた天皇賞・秋を自身のミスで負け、
「オレが最高に下手に乗った」と自分を責め抜いた。
調教師からは
「あんな下手な騎手は見たことない」
「オレが乗った方がマシだ」と、
手厳しい叱咤激励の言葉を浴びせかけられた。
サクラローレルの主戦騎手、横山典弘は、ただただこの勝利だけを待って、耐えに耐えた。11月中旬に行われた騎手仲間の忘年会でも「明日も調教があるから」と好きな酒をほとんど口にしなかったらしい。
ゴールの後、この秋初めてといっていい底抜けの笑顔を見せた。

僕は今年の有馬記念を、
26年前の記憶と
5年前の自分に重ねる。

復活出来る。
どんな状態でも。
有馬記念は復活が似合う舞台だ。
僕が見たいと思う有馬記念の結果を見つけた。悔いなく本命を打てる馬にやっと出会えた。

横山武史騎手の合同記者会見、
意気込みを聞かれ、最後に彼はこう語った。

「有馬だから、とかではなく、僕はエフフォーリアとまた勝ちたい」

2022年12月25日のクリスマス、
午後4時を迎える少し前、
2分30秒の舞台をこの馬が先頭で駆け抜けた時、
その馬名と同じ「多くの幸せ」を皆に与えてほしい。

有馬記念と聞くと、なぜ心が少し弾むようにときめくのか。

わからない、答えは出ない。
けれど、このレース以上のドラマに僕は今だかつて出会ったことはない。

全ての馬が、夢を背負って走る。
貴方の、そして貴女の夢はなんですか?

2022年 有馬記念
僕の夢は7 エフフォーリア

四半世紀前の父と同じ青い帽子で駆ける駿馬。

競馬が見ながら1年を過ごせる幸せを。
平和に笑える日々に感謝と全ての人馬が無事に完走して終わることを祈って。

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