働くのが怖すぎる病

「働きたくない」
多くの社会人が、日曜の夜には特に、願ってやまないことだろう。
だけど私のそれはちょっと異常な気がする。

アルバイトが怖かった、大学時代

大学生のとき。
周りはみんなアルバイトをしていた。
私も当然のようにするのだと高校の頃までは思っていた。
だけど大学入学が近づいてくると無性に不安に襲われるようになった。

仕事をしてお金を貰う。お金を貰うからにはそれなりの責任が発生する。私は手際が悪い。職場の人を怒らせてしまうかもしれない。お客様も。そうなったらどうしよう?そもそも学業と両立なんてできるのだろうか。

アルバイトは義務じゃない。
元々趣味も少ないし、必要最低限の生活をしていればお金を無理して稼ぐこともなかった。(これは本当に両親に感謝しなければならないことだ)
しかしそうなるとますます働く意義を見出すことができず、見出そうとも思えなかった。

私はきっと極度に自分に自信が無いのだろう。
不安がいつも頭の中を占めるから、いらぬ想像ばかりして、やる気や勇気の芽を自ら潰していく。

それでも「みんながやってるから、何かやらなくちゃ」という義務感に駆られるように、大学で募集している試験監督のバイトなど短期のものを何個かやってみたりした。
仕事もシフトも一般のバイトに比べればかなり少ないが、そのたった数時間でも私はかなーーり緊張していた。
少しでもミスをすれば自分を責める気持ちでいっぱいになり、コミュニケーションには肩が凝るほど気を遣った。
お金が入れば嬉しくはなったが、それをモチベーションにすることは殆どなかった。
ただ、「私もバイトをしている、できるんだ」という「自尊心」を対価として得ていた。

腰が重すぎた、就活時代

そんな私だから、就活は苦戦に苦戦を重ねた。
まず何かと理由をつけてインターンシップにも殆ど行かなかった。
純粋に怖かったのだ。
例えインターンシップでも私の要領の悪さだからきっととても怒られてしまう、足を引っ張ってしまう、そんな空間に行くのが怖い。
ちょっと考えすぎだろう、と客観的に見れば思うことだろうが、当時の私にとっては大問題だった。
結局大学3年の冬になって、やはり「周りがやっているから」という理由で重い腰を上げ、1dayのインターンシップに申し込んだ。

大学での短期バイトも、1dayインターンシップも、共通していたのは「実際やってみれば案外やれるものだ」ということだ。
私は確かにその事実に気付いた。
なのに、それが次のアクションへ繋がることはなかった。
「運が良かっただけで、別の場所では失敗するかもしれない」
という思いが付いて回るからだ。
それはまるで呪いのように私の頭の中にこびり付くものだった。

就活本番のことは正直思い出したくない。
不思議なことに、説明会はあまり苦にならずよく足を運べた。
エントリーシートも沢山書いた。
だけど選ぶ基準は「とにかくブラックじゃないところ」で、表向きには色々とそれらしい志望動機を書いたが、その薄っぺらさはきっと企業にも見破られていたと思う。
身の丈を考えず大企業ばかり選んでいた(当時知識が浅かった私は大きい会社なら安心だと思っていた)こともあり、面接まで行ける企業は殆どなかった。

「仕事嫌い」のまま迎えた、社会人

それからまあ色々とあって、どうにか私は就活を終えることができた。
自分一人の力ではない。周りの色んな人に支えてもらった結果だった。
だからこそ…失敗はできない。
そして4月、コロナ禍の中で入社。
それからについては前の記事をご覧いただければと思う。

私はまもなく心を病んだ。
就活を乗り越え、社会人になったような気がしていた。
それで忘れていたのだ。
働くのが、怖い。
失敗してはいけないというプレッシャー、自分は常に値踏みされているという恐怖感、職場の人たちの大人なコミュニケーション、すべて、すべてが恐ろしく棘のように私の細胞ひとつひとつに刺さってくるように思えた。

言うほど職場は怖くない。
言うほど誰も私を責めない。
だけど、勝手に追い詰められていく。

働くという行為そのものが、私を雁字搦めにするかのようだった。

私にとって「働く」ってなんだろう?

私は入社して早々に、会社を休職した。
追い詰められて正常な判断ができなくなっているのがわかった。
それでやっと落ち着いたところで改めて、「働く」という言葉の意味についてじっくり再考してみた。

働くことの本当の意味

働くのが怖いのは、それが義務だと思うからだ。
でも本来それは、得意な人が得意な作業をして、それに対して他の人々が対価を払うというごく自然な営みだったはずだ。
私はしばらく、もしかしたら仕事というものを意識しはじめてからずっと、その本質を見失っていたのではないだろうか。

働くには失敗してはいけない、うまくやらなくてはいけない。
そうではないのだ。
やりたいと思う仕事を、やりたいように極めていく。
そうして出来上がったものが、やがて誰かにとっての糧になる。
仕事ってもしかして、そういうものじゃないだろうか。

私はもう一度、自分とちゃんと向き合うことにした。
「働くのが怖すぎる病」の原因をゆっくりじっくり取り除く作業。
きっと仕事って本来もっと楽しいものだと思う。
私もその感覚を得られるようになりたい。

いつか、私と同じような思いを抱える人たちに
働くのって案外結構楽しいよって、
そんなことを伝えられる人間になれたらと願う。
いまはまだ遠いけど。

第一歩として……趣味で続けていることを、仕事に変えるための勉強をはじめた。
まだまだ人並みになるには時間がかかると思うけど、どうか、応援しててください。

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