見出し画像

カチューシャの唄

「カチューシャの唄」は大正時代に発表された劇中歌で、「日本初の流行歌」とも言われています。三善晃は日本歌曲の合唱編曲で多くの名作を残していますが、「カチューシャの唄」もその一つです。

島村抱月、相馬御風作詞
中山晋平作曲、三善晃編曲
混声合唱とピアノのためのカチューシャの唄

 元の歌詞は5番まであり、三善晃の合唱編曲では3番までが使われています。

カチューシャ かわいや 
わかれの つらさ
せめて淡雪 とけぬ間に
神に願いを ララ かけましょうか

カチューシャ かわいや 
わかれの つらさ
今宵ひと夜に ふる雪の
明日は野山の ララ 路かくせ

カチューシャ かわいや 
わかれの つらさ
せめて又逢う それまでは
同じ姿で ララ いてたもれ

カチューシャ かわいや
わかれの つらさ
つらいわかれの 涙のひまに
風は野を吹く ララ 日はくれる

カチューシャ かわいや
わかれの つらさ
ひろい野原を とぼとぼと
ひとり出て行く ララ あすの旅

 さて、「カチューシャ」とは誰でしょうか。そしてなぜ、彼女と別れなくてはならないのでしょうか。そんな疑問を出発点に、この歌の背景について調べてみました。

「カチューシャの唄」は大正時代に上演されたトルストイ原作「復活」の劇中歌として発表されました。
 「復活」はトルストイ晩年の長編小説で、トルストイ自身の過去への悔恨も織り交ぜながら書かれたといわれています。

「復活」のあらすじです。
「若い貴族ネフリュードフは殺人事件の裁判に陪審員として出廷するが、被告人の一人である若い女を見て驚く。彼女は、彼がかつて下宿していたおじ夫婦の別荘の下女カチューシャだったのだ。ネフリュードフは、軍務につく前に滞在した別荘でカチューシャと恋仲になった。一夜の過ちの後、ネフリュードフは出て行ったが、カチューシャは彼の子供を産んだあと、娼婦に身を落とし、ついに殺人に関わったのである。裁判でカチューシャにシベリア送りの刑が宣告されてしまうが、罪の意識に目覚めたネフリュードフは、彼女と自分の人生の復活のために奔走する。」

 この小説は日本でも評判となり、演出家だった島村抱月が舞台化し上演しました。抱月は日本の新劇運動の先駆けの1人で、1913年(大賞2年)に劇団・芸術座を結成し、翌1914年(大正3年)にトルストイの「復活」を上演しました。この舞台で主演した松井須磨子が歌う劇中歌「カチューシャの唄」がレコードに吹き込まれて大ヒットとなったのです。「青空文庫」で舞台「復活」の脚本を読むことができます。

すこし長くなりますが、脚本から「カチューシャの唄」のシーンを引用します。

カチューシャ
 春になったのですね。あら、もう一番鶏が泣いている。・・・氷が砕ける音は、あの森の向こうから聞こえてくるのです。

ネフリュードフ
 たまらなくいい眺めだ。こうして君の手を取って、この風景の中をいつまでも歩いてみたい。おや、野原には人がまだいっぱいだ。

カチューシャ
 あれは隣村の人たちが復活祭の火を焚いているのでしょう。

ネフリュードフ
 その前で、みんな歌を歌っているようだね。

カチューシャ
 そうやって最後に願い事を唱えると、それが一年のうちに叶うんですって。

ネフリュードフ
 君も一つ歌を歌ってくれないか。そして、お祈りをして願い事をしよう。

カチューシャ
 でも、わたし、できないのですもの。それに、奥様方の目を覚ますと大変だわ。

ネフリュードフ
 大丈夫。小さく、低い声で歌ったらいい。君の名前が入った歌がいいな。

カチューシャ
 そうね。じゃあ、歌いましょうか。・・・(ちょっと考えて、軽く手を打ち)
   カチューシャ 可愛や
   別れのつらさ
   せめて淡雪解けぬまに
   神に願いをかけましょか

ネフリュードフ
 もう一度。僕も歌うよ。
 (二人で手を打ち、低く歌う)

ネフリュードフ
 さあ、歌を歌ったら、もう一つ復活祭の儀式があるだろう。僕と君とが唇にキスすること。今日はみんな平等なのだから。

カチューシャ
 いいえ。唇は親子だけです。他人は、おでこにキスするのです。

ネフリュードフ
 じゃあ、この他人は、おでこをお出し。

カチューシャ
 はい。(すなおに額を出す。ネフリュードフは、それを両手に挟むようにしてキスしようとする)

ネフリュードフ
 でも、こんなかわいらしいおでこじゃ、キスする場所がないよ。だから唇にしてもいいだろう。

カチューシャ
 いけません。おでこだけ。

(カチューシャは避けようとするが、ネフリュードフはこれを制して、じっと眼を見つめ、口をつける。彼女はそれを唇に受ける)

カチューシャ
(しばらくして目の覚めたように)ああ、わたし、どうしたのでしょう。いけない。お願いですから放してください。

ネフリュードフ
 僕はもう、このままでは別れられない。

カチューシャ
(涙声で)でも、明日は戦地へお立ちになるじゃありませんか。またいつお会いできるかもわからないのに。今夜だけ、こんなことをなさるなんて。残酷です。ああ、わたし、どうしたらいいでしょう。わたし、もう行きます。いいえ、行かなくちゃ。行かなくちゃだめ。

ネフリュードフ
(もがいている彼女をしばらく抱きとめようとするが)そんなにいうなら、もう行ったらいい。

(ネフリュードフは彼女から手を離す。彼女はまた男の胸に頭を当て、すすり泣きながら)

カチューシャ
 わたし、やっぱり行かれない。行かれない。(ひしと男にすがる。暗転)

 「せめて淡雪 とけぬ間に」
 舞台は「ロシアの田舎の別荘」、季節は3月です。春の気配は感じられるものの、あたりにはまだ雪が残っています。

 「神に願いを ララ かけましょうか」
 この時期に行われる復活祭はロシア正教の最大の祭日で、盛大に祝い事が行われるようです。あたりからは祈りの声が聞こえ、二人も神に願いを捧げます。

 「せめて又逢う それまでは同じ姿で」 
 時代はロシア王朝最後の皇帝ニコライ2世の時代。ネフリュードフは兵役に向かいますが、カチューシャは運命に翻弄されます。二人が再会した時、カチューシャは売春婦の被告人、ネフリュードフは貴族の陪審員という姿でした。

 その後の二人の運命は、ぜひ原作か島村抱月の脚本をお読みください。舞台の最後のシーンでは、再び復活祭の鐘の音がなり、祈りの声が聞こえるなかで幕を閉じます。

 当時の松井須磨子の歌声を聞くことができます。


 トップの画像はトルストイの原作に使われた挿絵で、画家レオニード・パステルナークの作によるものです。

2022年10月29日(土)~30日
合唱団大洗にて歌唱予定


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?