11:マイ・シングルファザー ・ストーリー(活動に集中することが出来た訳)

こんにちは。シングルファザー 村上です。

10年間、なぜ?私が活動を続けてこれたのかについて書いていきたいと思います。
本来であれば、仕事・家事・地域・子育て・自分ごと等をしながら社会提言活動を行なっていくことは時間的んも経済的にも、あらゆる意味で不可能な事です。

必ず、綻びが生まれ日常生活や、仕事等に綻びが生まれるか。
または体調を崩ししまうと思います。

その「なぜ?」を紐解いて行きたいと思います。

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1_パートナーの存在


「誰かのためには頑張れる」そして「自分にしかできない事がある」
そんな私の性格と使命感が突き動かしてきた。

しかし、私の背後にはいつも心を支えてくれるパートナーがいた。活動自体には関心を持つ人では無かったが、私が公の場やメディアの前に立つ時、不安と恐怖そして孤独感を癒し、なだめてくれた。

このパートナーがいなければ、私は途中で挫け心を病んでいただろうと振り返って思う。

それだけ、過酷なストレスが活動時、常に私を襲っていた。

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2_ひとり親家庭の仲間達

ソーシャルネットワークのmixiやフェイスブックのオフ会を通じて、私に寄り添ってくれた仲間達の存在も大きかった。

夜中の飲み会、ウェブ上でのやり取り、コミュニティ上での悩み相談からの課題提起

お花見したり、バーベキューや公園遊び、泊りがけの遊び、楽しい時間から悩みが零れ落ち皆で支え合う時間は私を孤独を癒してくれた。

そもそも私は人間が苦手なのです。
特にコミュニティを作る、まとめる力が無く、実はそうした時間や仲間との繋がりもパートナーが主体となり作ってくれたものでした。

多種多様な「ひとり親家庭」へなった理由や経緯は、誰1人として同じでは無い事を知る事ができ、「誰を見ても自己責任」で「ひとり親家庭」になった人はいないと確信する事が出来たのは、やはりパートナーの求心力と話術によるところが大きかった。

私はそこから、問題解決するには?と集中して取り組む事が出来たのです

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3_生活保護制度による支え

活動を始めたのは息子が小学校に入学する年でした。しかし二年生に上がるまでの期間は、体力も気持ちも追いつかず息子は休み休み、自分の体調に合わせて通学していました。

その間、私も就職活動を行おうとしました。
しかし。ハローワークでも、生活保護課でも今は息子さんのフォローに集中するべきと返答。

しかし働きたかった私はアルバイトでも良いからとコンビニやヤクルト、事務、土方など手当たり次第に面接を受けに行きます。

しかし「その、ご家庭の状態では無理です」とコンビニでさえ採用して頂くことは難しかった。「働きたい」という気持ちは叶わず、現状を維持せよという状況に絶望した。

しかし逆に「何もする事がない時間」を得る事に気付きました。
この時間を使って何かすることは出来ないだろうか?

そして私はお金の心配をすることなく、活動に集中して取り組むことが出来たのです。
「働きたい」気持ちを、社会復帰前のリハビリとして始めた活動が10年も続くとは思いませんでしたが、私は生活保護を受けていることで法改正という仕事を最後まで行うことが出来たのです。

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4_普通とは違う自分への気づき

昔から変わり者と言われていた私。つまり発達障がいを持っていたという事だ。
当時は、発達障害の認知もなく「変わり者」であったが現在では「多様性」の個性の一つとして認知されてきているように思う。

その為、日常的な友人関係や職場内での人間関係、一般常識的な行動判断等で上手に出来ない事が多く離職理由や人との衝突の理由になってきたことも多々あった。
その失敗を経験するたびに、どうしたら同じ失敗を繰り返さないで済むだろう・・
どうしたら工夫が出来るだろうと手帳を、いつも持ち歩き日々振り返りを行い、自らの特性を活かし一般就労しながら、何とか周囲の理解も得られながら日常生活を送る事が出来ている。

私はこうした問題解決能力がマイノリティーな父子家庭になった時の自らの行動の原動力になってきていたのだなと最近になり考えるようになった。

何故??に気づき、調査し整理し確認し事実を認識する。
そして「自らが感じている問題意識は間違っていない」に辿り着く。

じゃぁ、どうしたら法律を変える事が出来るのか、これも同様に相談し調査し、整理し、確認し、そして手順を明確にし行動に移した。結果、児童扶養手当等の多くの法改正を実現する事が出来た。

私の座右の銘では無いが活動をする際に心に、いつも留めておく言葉がある
それは「要支援者は提案者、提言者となる事が出来る」という言葉だ。

減点方式で物事を人や行いを見るのではなく、加点方式で「何故だろう?」と問いに変えていく事で、その他の多くの地域、社会、対人関係の問題も同様に解決する事が出来るのであることを悟ったのでした。

「普通・一般的・当たり前」の枠組みにいる人達は「何処かの誰かがやるだろう思考」の方が大多数を占めているように私には見える。

しかし「普通・一般的等」とは少し違う個性や特性や環境にいる人達からは「訴えが、提言が、提案が、必ずなされているのだ」届くか届かないかは、届け方を知っているか、知らないかだけの差。

つまりは私は「届け方を見つけた、変わり者なのだ」
そして逆境をチャンスに変えるのが、当たり前な感覚の持ち主なのだと思う。
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いくつかの、活動に集中出来た背景や理由をまとめて書いてみました。
自分で振り返って思うのは、やはり「支え」があって成り立ってきたことだったんだな。
と改めて、振り返って思います。

今後もなんやかんやで、社会問題と関わる事があるかもしれませんが、あくまでも私は「要支援者である当事者」であるスタンスを軸に関わっていきたいと考えています。

机上の空論や平均値、調査データも、当然議論を進める以上、大事なことです。
しかし、必ず零れ落ちる課題・問題が存在している。

私はそこを掬い上げ実現させていく泥臭い仕事を、これから社会活動家としてピアソーシャルワーカーとして取り組んでいきたいと考えています。

これは私が特別なのでは無く、皆さんにも少し調べれば出来る事。
可能であれば、その可能性が社会を変える一番の近道であることに気づいて欲しいなと思っています。


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シングルファザー 村上 よしのぶ

父子家庭歴17年。今年18歳の息子と17歳の娘を0歳と1歳から男1人で育て上げる。□全国父子家庭支援ネットワーク 代表 □宮城県父子の会 代表 □公益財団法人あすのば 評議委員 □ファザーリングジャパン 会員父子家庭への支援制度拡充の為の10年間の政策提言の活動をする

私のシングルファザー ストーリー

私の自叙伝みたいな物を想定しています。
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