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動物の「表情」をとらえる。 ワイルドライフ・ポートレイト #01

最近は、撮影で奥会津と自宅のある東京を行ったり来たり。じっくり机に向かう間もなく、あっという間に日が過ぎてしまいました。さて、ずっと書き進めたかったこのマガジン、ようやく本編に突入します。
今年になってずっと人や風景ばかりを撮影していますが、
私が主にしている被写体は「野生動物」です。私がどんな風に動物を撮っているか、動物写真を考えているか、についてお話ししたいと思います。

■ ワイルドライフ・ポートレイト

というわけで早速ですが、まずはこの写真をご覧ください。

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北海道に棲む、ヒグマ達です。
この4枚をご覧いただいて感じていただけるでしょうか…。
どうです?顔つき、違って見えませんか?
実際に顔つきも違うし、それに加えて物憂げだったり、好奇心を感じたり、それぞれに表情があると思いませんか?
私が目指している写真のひとつに『野生動物の表情』という要素があります。もちろん人間と同じような感情があるかどうか、私たちにクマの気持ちがはっきりとわかることはありません。でも、フィールドで実際にヒグマの行動を眺めていると、彼らは本当に個性豊かで、怖いときももちろんありますが、それ以上に優しげだったり、ひょうきんだったり…そんな仕草を垣間見ることがありました。

例えば、こんなことがありました。
サケが遡上する川辺でヒグマを待っていた時のこと。
一頭の若いクマが川辺に降りてきました。目の前の川には鮭の群れ。
隠れている僕の存在にも気づいていないようです。
それでも何故か、あちこちキョロキョロと視線を走らせて
落ち着きがありません。河岸にうち上がった鮭の死体に
片手を置いてみたり、なぜか岸に戻って草を齧ってみたり…。

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その姿が滑稽で、写真を撮るのも忘れて眺めていたのですが
理由は、そのクマが去った後にわかりました。
直後に大きなオスグマ(注:クマのオスの成獣は特別大きい)が現れたのです。強いオスグマは他のクマにとっても、自然界で人間の次に恐ろしい存在です。クマは鼻がいいから、若いクマは、辺りに残っていたオスグマの匂いを察知し、ヤバイと感じつつも、サケの誘惑に負けて出てきてしまい、ソワソワしていたのでしょう。
「いや、別に俺サケ食べに来てるわけじゃないんだ~」という感じで草を齧ってみる様子は、なんとも微笑ましいものでした。

余談が長くなりましたが、そんなふうに動物の仕草を間近に見ていられることは幸せなことです。そういったアプローチの繰り返しで、動物にも表情があるんだな。と思えるようになってきました。
もちろん、迫力がある写真も撮りたい。だけど表情を追っているうちに、派手さとはまた別の僕の理想像が見えてきたように思います。例えば「小さなクマを大きく見せる」ような写真より「大きなクマを優しく見せる」写真の方が、僕の思うクマ像だな…と思うようになりました。

■ じっと眺めていられる写真が幸せ

その方向性にある程度自信を持てるようになったのは、写真展会場での出来事がきっかけです。じっと、一枚の写真の前で立ち止まっている女性がいました。

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後で聞いてみると「このコいったい何考えてるんだろう、と思うとじーっと見ていられる」とのことでした。あと「このシカ喋りそう」とか、そういった感想も頂くことが多かったです。大きなオスグマの昼寝から覚めた表情を見て「これ子グマですか?」と尋ねてきた客さんも。(それはそれで、別の意味でちょっとショック・笑、おそらくもう一生出会えないであろう瞬間ですからね)下の写真がそのオスグマです。寝起きな感じ、伝わりますかね?

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まぁ、それはともかく、そんな反応をお客さんからいただいた時に「あー、写真の幸せってこれだなー」と、感じたことを今でもよく覚えています。

■ 素材からの脱却

正直に言ってしまうと、鮮明であったり、迫力があったりする写真は、今は数多く見ることができます。機材の進歩やネットによる情報拡散により、それが身近になってきている。
「動物を克明に捉える」それも素晴らしいことですが、人間と同じように表情を捉える「野生動物のポートレイト」というものがあってもいい。否むしろ、野生動物写真が鮮明に撮れたら完成、という時代ではもはや無い。
彼らの容姿だけではなく、表情まで踏み込んで撮ることこそが「記録」から「写真」へと、大きな一歩を踏み出せる大切な要素なのではないかと思うようになったのです。
被写体の生活や心理に、時間をかけて入り込む。素材としてではなく、恋愛対象(基本片思いですが 笑)のように、あるいは友人のように向き合って撮影する。
素材に対しての感情は、撮り手からの一方通行ですが、相手の反応を見ながらの撮影は、微かながらも、感情が双方向に動きコミュニケーションが生まれます。そういった要素が「じっと見てられる」写真の大切な要素になっているんじゃないかな?そしてきっとそんな写真の方が、インパクトのある写真よりも、家に飾りたくなるんじゃないかな?なんて勝手に思っています。
で、結論。

『動物こそ、人間のように撮れ』

と格言のように記しておきましょう。ちょっと照れ臭いけど。笑)
長く眺めていられる写真が、僕は好きなんです。

もちろん、そういったスタイルの撮影活動は非常に非効率です。同時に危険もありますが、やみくもに自然の奥に入り込んでいくわけではなく、自らの視点で、動物の表情を見つけていくことが大切だと思います。
例えば、東京の都心でも、こんな写真も撮れるわけですから。

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独自の視点であること、群れないこと。自分なりの動物との付き合い方を見つけることが、ワイルドライフ・ポートレイトを撮るうえでは大切なのだと思います。

独自の視点で写真を撮ることには、もうひとつの大切な意味があります。
多くのカメラマンや観光客が、同じ場所に集まって、動物を取り囲んで撮影することで、人馴れによる動物の危険な行動や心無い人間の餌付け行為など、大きな問題を引き起こすこともあります。
インターネットで情報拡散の速度が飛躍的に増した今、写真家が独自のアングルで撮影活動に取り組むことは、より重要性を増してきているように思います。例えばスナップ写真で、街角で何十人も同じ場所で同じ被写体にレンズを向けていたら、道路が渋滞になっちゃいますよね。自然界でもそんなことが起きないように留意する必要も出てきているのかな、と思います。
その辺については、こちらの記事をご覧ください。
知床のヒグマ撮影・人馴れ問題について思うこと。
もちろん、ルールを守って皆と撮影することも楽しいですよ。
それに撮影者である以上、私もある程度、人馴れに援けられているのは事実ですから…。

少し脱線しましたが、僕が思う動物写真のキモのひとつめ、ワイルドライフ・ポートレイトは、こんな感じです。
最後に、僕の撮った中でいちばん人気がある、
ワイルドライフ・ポートレイトな一枚を載せておきますね。

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読んでいただき、有難うございました。
次は、動物の探し方、撮影プロセスから生まれる物語について、等々
お話しできればなと思います。

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