新城カズマから、未来への手紙(2017年版)


以下の文章は、先日ツイッター(の #新城カズマで選挙を考える )で呟いた内容を再編集して「新城カズマが自分の子供たちに宛てた手紙」としたものです。

投げ銭システムになっておりますので最後まで読めます…が、お気に召したらチャリ〜ンとやってみてください^^[註00]。

(1020〜1023〜1030〜20190408メモ:誤字脱字・不十分表現・註記追加など、ちょこちょこ加筆修正してます)

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さて、こうして君たちに手紙を書くのは、初めてのこととなります。
今、この西暦2017年という時期、僕たちは(幾度目かの)節目を迎えつつあるようです。あっという間に衆議院の解散が決まり、しかし大義も何もない選挙なぞ棄権すべきだという声もあがるいっぽう、政党が生まれまた消えかけ、大人たちが右往左往し、笑ってはいけないのだけど笑うしかないような笑劇が続き、海の向こうでは相変わらず悲惨な事件や危機が繰り返されています。
それでも僕たちは、とりあえず、じぶんの裏庭だか家庭菜園だかを耕して生きてゆくのです。

そんなわけで僕は選挙へ投票に行きます——これまで幾たびもそうしてきたように。

たしかにこの国の現行選挙制度は穴だらけ、ほころびだらけです(これまでのあらゆる選挙制度がそうであったように)。ではなぜ僕は——君たちの父親である新城カズマは——わざわざ投票に行くのでしょうか?

今回も、そしてこれまでも、僕は2つの方向のことを想像しながら投票しています。

1つ目は過去方向——数十年・数百年・千年前の僕の先祖たちのことを…投票したくてもできなかった/できるなんて夢にも思ってなかった/でも世の中がいずれもっと良くなるかもと夢見てたかもしれない人たちのことを想像しながら。
僕の数世代前の御先祖の誰かが、当時の表現で『赤化主義者』に近しい社会改革思想を抱いていたことも郷里の蔵書整理の際に発見しましたし、そもそも僕の家系は由緒正しき『理屈大好き信州人』です(そしてその系譜をたいそう気に入っています)。だから僕は御先祖様たちにむけて「貴方がたが諦めなかったおかげで僕は命の危険もなく投票できます、ありがとう」と投票のたびに思っていますし——となれば棄権だなんて考えたこともありません。

そう、考えても見てください——投票所へ歩いて行けて(都市部ならば)、途中で銃撃されもせず爆弾で吹っ飛ばされもせず、入り口で『肌の色がアレだから入るな!』とも『免許証は?指紋登録は?ない?じゃダメ!』とも『性別は?納税証明書は?』とも言われないんです! これがどれほど凄いことなのか…人類史における奇跡的瞬間であるか…合衆国でさえ去年は投票マシンがクラッキングされて数時間待たされた投票所があるのに!
普通選挙がこの惑星の片隅で限定的に開始[註01]されてからまだ200年少々、この国では70年ちょい……現行文明の曙を1万2000年前の氷河期終焉としても、その中の70年! 現生人類がホモ・エレクトスと分岐してから短く見積もっても20万年、長ければ180万年…その中の70年!

こんな奇跡を、生涯1度どころか数年にいっぺん体験できるんです!

『大義がない』? ならば法律なり憲法なりを改正して、大義ある時のみ解散できる、とでも改正すればいいだけの話です[註02]。現在のシステム(くりかえしますが、それは完璧なものではありません)は改善可能なのですから。
『まともな選択肢が無い』? 千年前や1万2000年前に僕らの先祖が『まともな耕作地が無いや、もうや〜めた』って匙(もしくは鋤)を投げてたら、どうなったことでしょう? そもそも、まだ国内運用実績が1世紀未満の社会システムに要改善箇所が皆無だとでも? あの武家政権システムだって安定するまでに四百年かかってるんですよ…しかも、それでも要改善でしたし!
『税金の無駄』? ほっといても4年に1度はおこなう衆院選挙の頻度が1.3倍になったという事実に怒るなら、その前にあの東京電力の原発事故(ちなみに僕は己の信条として、あの事故を被災した地名で呼びたくないんです…どうしても名付けろと言うのなら、あれは東京原発事故なりトウキョウ・カラミティとでも呼ぶべきだと思います)の最終処理費用に戦慄すべきでしょう!

そして——もう1つの方向、未来についても僕は投票のたびに想像するのです。僕の子供である君たち、その子孫たちが、百年後に…千年後に…一万年後に…2017年における僕たちの悲喜劇を振り返って、どう思うだろう?……と。
「バカだなあ古代人は」と笑うでしょうか? それとも幾人かは「まあ、当時にしては頑張ったほうだよ、うちの先祖も…なにしろあの時代はまだ量子性格診断も星間神学も無くて…それどころか頓服式人工知能すら無かったんだから!」——などと微笑んでくれるでしょうか?

僕は、選挙というものが、光り輝く奇跡であると同時に未来の子孫たちに届く手紙だと思っています。
だから、彼らが『この最悪の、しかし歴史上発想された全ての統治方法よりはまだマシ』であるところの民主制democracyを改善するまでの(ほんのわずかでも)時間稼ぎになればと願いつつ、僕は最悪から最も遠いであろう候補者や政党を記名して投票しているのです——一人の偉大なSF小説家の、こんな最後の言葉を暗唱しながら:

「私は、まだ人間の知性と日本人の情念を信じたい。この困難をどのように解決していくのか、もう少し生きていて見届けたいと思っている。(…)」
     ……小松左京・他『3.11の未来 日本・SF・創造力』 序文より

あるいは僕の大好きな物語に記された言葉たちを、思い出しながら:

 「それではセルダン計画は失敗したんですね!」
 「いや、ちがう。失敗したかもしれなかった、というだけだ。成功の蓋然性は、最新の演算によれば、まだ21.4パーセントある」

  ……アイザック・アジモフ『銀河帝国の興亡 回天篇』(厚木淳・訳)

「なにも、わたしの生きているあいだに起きなくてもよかったろうに」フロドは言った。
「わしもそう思う」ガンダルフは答えた、「そして、このような時代に生まれ合わせた全ての者もそう願っとるだろう。しかし、己が時を選ぶことはできん。できるのはただ一つ、授けられた時を如何に生きるか、だ」

 ……J.R.R.トールキン『指環物語』旅の仲間第2章(新城カズマ・試訳)


それでは——いつかこの手紙を、君たちが目にすることを願いながら。


 2017年10月、未来と過去の都市・東京にて  新城カズマ



附:〈いまいま主義者〉たちについて
もうひとつ、君たちに知らせておきたいことがあります。
選挙制度改善は常に必要ですし、今次選挙戦において棄権(の表明という制度自体への疑義を可視化する戦術)を推奨してる方々が10年後・20年後・あるいは50年後にも選挙制度改善(もしくは選挙以外の制度の創立)にむけて行動していたならば、非常に有益だと僕は思います。
と同時に、僕たちは——そして君たちは、僕が〈いまいま主義者〉と名付けた人々の言動について、気をつけていかねばならないとも思っているのです:

それは、こんな人たちです。こんなことを口にし、こんなことを行おうと皆を扇動し先導する人たちです:
「今すぐ(の大改革)でなければ全て無意味だ!」
「今こそ完全にして絶対的な変化を!」
「今なら何をやってもいいんだ!」
「いかなる手段を用いても勝利しなければ!」
「一から新規まき直しだ!」

そして事後には責任回避のために、
「今だから言うけどね……へへ、実はこうなるって分かってたのさ、でも敢えてやってたんだよ……議論を喚起するために/この最終的な結果を早めるために/ちょいと場を盛り上げるためにね! へへ、へへへ!」
このような、人類の歴史上たびたび繰り返されてきた〈いまいま主義者〉の跋扈が、今回は果たしてどうなるのか——僕たちはじっと見守り、そして憶えていかなければいけないと思います。


なぜなら、民主制とは記憶のことなのですから。



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註00……投げ銭してくださった方は、数十年後に新城カズマの子供たちが大きくなった時「ああ、あいつらならガキの頃から知ってるさ…なにしろ、このオレがオムツを(比喩的な意味で)替えてやったんだからな…すっかり立派になりやがって…」と感慨に浸ることができます^^。

註01……もっとも最初は「一定以上の税金を納めた成年男子のみ」等の制限付きで、厳密な定義に従うならば「普通」選挙ではないかもしれないので、成人男女全ての投票となればもっと近年のことになります。

註02……しかし、はたして「大義」なるものをどうやって定義するのやら——信州人の後裔としては大変興味深い論点ですが^^;[註03]。


註03……さらに言えば、戦後において衆院が任期満了で選挙となったのは三木内閣の第34回総選挙(1976年)だけなので、その他のすべての総選挙の「大義」の有無やら度合いやらを是非とも知りたいところではあります。

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