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春の風と汗

俺はいわゆる百合というジャンルが好きなのですが、百合〜てぇてぇ〜みたいなポンコツな思考なので、じゃあLGBTとかに理解があるかって言われると全く自信がないです。

BLを好むいわゆる腐女子というのも同性愛をしている人たちを反対側の性の人が好ましく見るのってそれは同性愛への理解とは違うと思うし実際にLGBTの人からしたらどうなんでしょうかね。好奇な視線で見られてるみたいで嫌なのかなぁと思ったり。

そんな人間が今日なんかツイッターで話題になってたポカリの新しいCMを見ました。

全長85メートルのセットを作って床も天井も壁も動いてる中を女優さんとカメラマンたちが駆け抜けて撮ってるという映像技法としても表現としてもものすごく面白くて大変なことしてるけどメッセージ性も非常に強い「作品」だなと。野暮ったい広告が増えてきた中で久々に作品性の強い広告を見た気がします(評論家気取りみたいだけど一応昔、広告の勉強はしたことあるので…)

人によっていろいろな捉え方もあるだろうし、単純にポカリスエットがずっと描いてきた若者を清純に描いて爽やかさを伝えるっていう見方もできると思うけど、どう考えてももっと強い現代的なメッセージを優しく描いてるなと。

まあ、ぶっちゃけ冒頭に書いたように俺は最初「百合だ〜てぇてぇ〜」というボンクラな感想をもったんですがw これも間違っちゃいないっちゃいないんだろうけども。

まじめな話をしますか。

「手をのばそうよ。届くから。」というのがCMの最後にも流れるキャッチコピー。つまりそれを描いている映像なんですよね。

映像の冒頭で一人ぼっちの主人公の周囲には同性のカップルしかいない状況で彼女は振り返って、曲がりくねって歪んだ道を、おそらく時間を駆け戻っていく。

扉を開けると前を阻むような逆風。ちなみにここで藤の花びらが視界を遮るくらいに飛んでるけど、日本では藤は女性、松は男性に例える習慣があるそうで。花言葉はいろいろあって「優しさ」「歓迎」「決して離れない」「恋に酔う」。ここでどの意味をとってるのかは難しいですね。鬼滅の刃とは関係ないのは間違い無いと思いますが。女性性あるいはLGBTに理解のない女性こそが彼女の思考を束縛していたとも捉えられますね知らんけど。

そして桜の季節まで遡って彼女は出会いをやり直す。周りには困惑している人たちがいるけど目もくれずに駆け抜けていく。ちなみに講堂なのかな?入るときに先生おしのけてるのねw衆目に晒されるような壇上から降りていくというのも意味ありげ。

後半だけだったら単純に疎遠になった友達、いじめが起きて〜とか色々考えられるけど冒頭の同性カップルのなかに一人っていうので、主人公が手を取る子への気持ちっていうのは同性愛なんだろうなと。4月、新しい出会いの中でそういうこともあるかもしれないけど、きっとそういうことが「当たり前になる未来」があるから後で後悔しないように今を諦めないでという優しいメッセージなのかなと思いました。

Twitter見てると社会の理不尽に怒りに任せて強い言葉で否定する大人たちが多くいるように見えるけど、こういうそっと寄り添って支えてあげられる大人がいるんだなというのを感じて感動しました。

それをポカリのCMでやる意味があるのかという問いもあるだろうけど、部活動とかでポカリを飲むことが多い彼らに対して大塚製薬という企業が率先してメッセージを出すことは企業としての社会的立ち位置を明確にしながら、社会を変革してマイノリティな若者を支えていくという十分意義のある行為だと思います。

サポート頂けたら…どうしよっかなぁ〜。答えはもちろん、イヤァオ!